まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

佐藤慎一郎氏に観る 機密費という銭   2010 加筆再

2024-06-09 00:56:51 | Weblog

≪最近、以下の内容に極めて似た著作が出版された。濾過された情報の又聞きだが、実直な作者ゆえか、佐藤先生象の感受表現は改めて懐かく感じられた。もし先生にお会いして盃を交して著作にある記述を拝聴するならば、P44のような言動をするような風はないと認識するでしょう。また「おれ・・・(俺)」は、申が上から押されて下部が曲がった姿、つまり男性シンボルが押し曲げられた、いわゆる男の機能はないと、「日本人は面白い呼称をする」と云われたことを笑い話として語られた。

残置された書類はすべて焼却を切望していましたが、書類現物があることは不思議なこと。残っていたとしても触れた御仁は師の切望を知らぬはずはない。

真実を追うことが学問だと認識するのは勝手だが、切望の意を曲解なり隠匿することそのものを利とするのなら、どこかの国の大量破壊兵器隠匿如何として徒に知の有利さを弄ぶ愚は、師の「人師」としての風儀を汚すことだろう。≫

 

本文゜ 《酔譚の了解録音を参考加筆しました》

マスコミの解説委員や政治部長が機密費からお小遣いを貰っていたと話題になっている。

彼等にとっては問題なのだろう。ウンともスンとも言えないし書けない。陸羯南が聞いたら何といおうか。いや天聴(天皇の耳に届く)ならこれ程の社会悪は無いだろう。お耳を煩わせることだ。

たかだか瓦版、モノ書きの類のことだが、まさに走狗に入るとはこのことだろう。

国家観のあるうちはいいが、食い扶持、遊興、餞別の類になっては国民の信頼は得られない。とはいっても、゛国民の信頼゛ほどいい加減のものはないという前提もある。
つまり、嫉妬と怨嗟の対象だからだ。

こうなると、゛さもしい゛゛卑しい゛争論が発生するが、落ち着きの無い言いっ放しが大部分だ。

モノ書きの倣いだが、見たことを系列化するのが彼の職業における正当性であり、証拠や前提とする動機をとりあえず接続詞を多用して取り纏め、購読料を払っている不特定多数に伝えことを職業としているが、はたして食い扶持といえるのだろうか。珍奇、高邁に飾られた紙面は作り、書く者を文化人や知識人と称して盛り立てる世間の納得性もここでは問題視される。

日中国交前夜にマスコミが中国に入った。当時は香港からあとは鉄道だったが、香港からの旅費は中国政府持ち。視察と称する物見遊山は最終地北京に到着した。人民大会堂では周恩来首相の招宴があった。最後に風呂敷包みが届けられ「これを皆さんで・・」と告げられた。

中身は現金である。ブンヤどもは会議を開いた。どう処理したらいいか。国内の社内会議のような堂々巡りで埒が明かなかった。それでも彼等は大新聞の記者である。
そのとき毎日新聞の橘氏が毅然として「考えることではない。貰うべきものではない」と言い放った。

このことは当時の荒木文部大臣がエピソードとして語ったものである。場所は反共右翼が建てたビルの落成式である。こうも言っている「近頃は反共を謳って中共から金を貰ってビルを建てたものがいる」と。 むろん某政党も政党本部のために当時の額で3億円貰っている。

佐藤慎一郎氏が台湾の学術研究団に招かれ日本人の学者や研究者と訪台したときのこと、帰りにお土産が渡された。現金だった。

佐藤氏は賄賂を潤滑剤、人情を贈ると考えている彼等の慣習的な行為を非難はしない。問題は日本人の教育者や知識人の姿である。日本人として招かれた学者や、その後の台湾派と呼ばれている知識人達が当然の如く、あるいはコッソリと懐を開く姿に愕然とした。




             


クリーンハンドの法則は汚れた手を洗わないで握手をすると自らも汚れるということだ。
そのご佐藤氏はその訪問団からスポイルされている。つまり仲間ではないということだ。
狭い範囲の掟や習慣は法律の世界に優先することもある。とくに人情を加味されれば受けずとも理解することもある。しかもその訪問団の中では唯一20年以上中国で生活している佐藤氏はその意味するところを熟知している。
だから日本人が日本人として具現する姿を知っている。

知を働かせて意味も無い対価を受け取る。まるで物を売って対価を受け取るのと同じように手を差し出す。これでは言論の前提となる本(もと)が無いということだ。
「物知りのバカは無学のバカより始末が悪い」
「吾、汝らほど書を読まず、されど汝らほど愚かならず」
あの満州崩壊のときの軍人、官吏、しかも、゛高級゛と冠する連中と同じ醜態が平和時の知識人外交に佐藤氏はみたのだ


格好付け、変わり者といわれようが佐藤氏は断固、断った。それは、孫文の側近として、戦後は国民党最高顧問として日中交誼に尽力した叔父山田純三郎の遺志でもあった。その原点は「真の日本人がいなくなった」という孫文の嘆息への頑なな回答でもあった。
その中でも外国語を専門とする親台派で有名な教授は机を開けて生徒にその収得金をこれ見よがしに見せて平然としていた。いまは通信社の役職になった生徒の秘述である。

そんなのが大陸非難、日本政府への政策提言などと、何をかいわんや、いや国賊的知識人である。果たして彼等は孫文が歎いた真の日本人の枯渇した姿の映し絵ではないかとも思える醜態である。あるいは田中派経世会の中国詣から置いてきぼりにされた他派閥や大言壮語した議員の台湾派としての口利きは、辛い台湾の立場を巧妙に操りながらも何の功も産むことは無かった。

そのさもしい連中は、児玉源太郎、後藤新平、明石元三郎、八田興一、六士の教育殉職者等の事績を踏みにじり、かつ功利的な国内派閥抗争を台湾人の目に晒し、みっともない小人政治家の姿として今なお現地では語り草となっている。
またそれらが台湾棄民、つまり気に食わないので国を棄て、蛍のように甘い水に籍を移動した騒がしい連中の日本に対する阿諛迎合の口舌に気分を高揚させている。
知識人の曲学阿世と政治家の国賊的態度は今もって「信」を元とするアジアの民衆から嘲笑され続けている



つまり、かれらは実態から遊離した空中戦に戯れているのである。
゛片腹が痛い゛まさに台湾問題は日本人にとって胸を張って大義を唱えられない状況であり、三国の反目や難渋に多くの煩いとなっている一端は日本人そのものにあるといってよい問題でもある。

それが機密費をも扱うのである。官吏に嘲られるのも一理ある。
働かずに貰う銭、それは等しく国民から徴収した汗の対価である。

知識人は口舌と文筆によって営みがある。商業出版の労働者としてその技芸や珍奇な論を高邁に飾り立てて著作料を生活の糧としている。

部数を気にして本屋のデコレーションまで口を挟み、通称「平積み」の多少と置き場所を気にする。
そんなのに限って人を映しに義や愛をつづり、読者を架空な世界に誘惑する。また論争と称して騒がしい罵詈雑言を繰り広げる






             




筆者の周りにもそのような輩が出没するが、総じて照れくさいのか清貧を装い、場を変えて酒色に興じる小人作家も散見する。彼等も商業出版の社用経費の使い方に長けている。
ネタ元である政治家、治安官吏とのバーターは客である読者というより、不特定の国民に対する背任がごく自然に行なわれている。

日露戦勝の立役者である明石元三郎は膨大な機密費を使いロシア国内の社会構造の転換まで行なったが、余った資金は精細な支出記録を添えて返却している。
今どきの、貰ったものは使い切りとは違う当時の日本人の姿であり、その真剣さと集中力、普段の努力と愛国心は、国家ら俸給をいただく軍官吏として当然な姿であった。

佐藤氏も永年にわたって総理報告を送っていた。はじめは何のためか解らなかった。
或る時、管轄の官吏が訪ねてきて中国問題への意見具申の懇嘱があった
いつも赤坂の料理屋で普段食したことの無い料理が出て聴取が行なわれた。後でわかったことだが中国は佐藤氏、米国は某、ソ連は某とあくまで秘密報告だった。印刷はしないで手書きの聴取で7部作成する。

それが分かったのは安岡さんのと一緒にいたところに福田総理が入ってきて、
「やぁ、佐藤先生いつも貴重なご報告恐縮です」といわれ、はじめて総理が読むものだと理解した。
香港に渡り、海岸で待っていると棄民が泳いでくる。そして中国人でさえ日本人と判別できない流暢な北京語で聴取する。温かい食べ物を一緒に食べる。
軍報や国内向け人民日報を読み解き検証し、次を推考する。国内法規を翻訳する

それが総理もみる秘密報告となる。
或る時、「そろそろ歳なので他の人に・・・、高名な中国研究者もおるし・・・」

聴者はいう。
いゃ、彼等は誰にでも理解できること、発表できることを言っている。中国人がこの問題をどう考えるかは推測でしかない。それでは政府の決断はできない。この問題は佐藤先生しかできない。世界の中のアジア、そして日中関係、かつ善隣関係への模索という前提が無ければ只の論文でしかない。それはその人たちの事情です」

それも日本及びアジアのためだ。だから渡航費と謝金だけしかいただかなかった。コレ(妻)は大変だった。拓大でも学長に教授を依頼されたとき二万円もらった。コレにこれでは生活ができないね・・といったら、烈火のごとく怒った。『あなたは学生が好きなんでしょう。そんなことで辞めたら学生は可哀想です。私はできますから続けてください』と叱られてしまった。



              

             モト夫人


この報告書も日本のため、国のためと思っている。日本人の伯父がなんで孫文の側近として中国の革命に行ったのか。それは西洋に抑圧されたアジアの人々を救うためには、先ず中国を近代化して日本と提携しアジアを興す、その一点だけだ。コレに金の問題ではないことを改めて教えてもらった」

外務省が機密費を流用し贅沢三昧した。大蔵省高官の銀行接待、官官接待、佐藤氏は「もう日本人はいなくなったのか」と筆者の面前で大粒の涙を流した。
何のために伯父達は頑張った(辛亥革命)のか・・・

困ったときの荻窪頼り

(荻窪団地に居住)中国国務院の高官や台湾高官も佐藤氏を頼って訪問する。池田、福田氏ら総理からの教授要請がある。しかも無名を貫き足跡をたどるも痕跡は少ない。
それを是として財貨や名位には目もくれない。だから異民族にも信頼があった。
なによりも熱意と人情があった。そして自身にあえて重責を課し厳しかった。

「先生、今日は出席者も少なく失礼しました」と筆者が恐縮すると、

「何をそんなことを気にしている。陽明は、゛独りでも少なしといえず、千人でも多しといえず ゛といっている。一人でも真剣に聴くものが入れば人数の多少を拘らない。一人の人間によって社会は興きる。また一人によって滅ぶときもある。このような場を作る志はありがたい。また継続することだ。わたしはいつでも参りますよ」
物の多少に囚われない、真の自由を担保するのは己の精神だと。

機密費というあぶく銭は手をつける人間次第によって国家は滅ぶ。
あえて説明はいらぬことだ。

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