まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

人心が微(かす)かになった (旧稿)

2019-08-04 14:32:25 | Weblog

『国民に戦争の覚悟はあるのかね・・・』

 中東派遣(兵)を急ぐ総理を諫めた後藤田官房長官



右往左往の随想ですが当世の備忘として・・・・

 

現在はまさに現状追認政府といったところだろう。

あの頃、満州事変、日中戦の泥沼化に際して、政府にチェック機能を有す国会が現地の戦況報告に対して現状追認に陥った様子に似てきた。

 

ただ、あの頃はまだ少しマシだった。軍や議員の本人なり家族縁者に肉体的衝撃なり惨禍を体験した人物がいたことだ。いまの構成員は戦後70年経った今、その体験も、また生存者から聴くことも少ない世代となった。

それらが貿易なり国防なりの海外案件を政府要員が勝手な約束事を相手国と行い、しかも議会にもかけられていない状態で海外舞台(場面)において気勢をあげる姿は、再三コラムに書く「五寒」にある「内外」に符合する亡国の兆候に符合してくる

 

内外とは内政が思わしくなく、よって海外、とくに近隣諸国から弱体化したと見透かされ圧力を掛けられると、深い深慮もなく表面的争論や、軍事力などの数値の多寡を争うようになる。つまり.そのことが政治に国民の信頼を背景とした自信と耐力が乏しくなった証左であり、それは為政者としては恐れ気質の単純反応なのだ。

 

外の人来たる、内の人よろこぶ」とは孔子の云う郷づくりの要諦だが、逆に、外に遣いに出る邦びとのことも言っている。

あの田中総理が日中交流の調印式のときに周総理から色紙を頂戴した。

言、信を必す 行、果を必す」言うことに信用がおけ、行うことに結果が出る,という意だが、これも孔子でその後に「硜硜然として小人なるかな」と章は続く。

つまり信用ができて一過性の結果だけでは小者だと・・・・

ならば一等の人間は、君主の遣いで四方の国に行って、君主を辱めることのない義のある人物だといっている。

今の民主主義国家の君主は国民、役人は行政府の長である総理、戦前は陛下の大御心(おおみこころ)を旨とした。

 

あの石松も親分次郎長の元を離れたらあの状態だった。ちなみに税金の使途であるODAは、支出したら外国政府の内政となり、たとえ繋ぎをとった議員にキックバックや便宜供与があっても関与できない、まして昨年の汚職摘発0件の内政専門の警視庁捜査2課である。

一時の農協の海外旅行は爆買だった。品物もイロモノも買った。成金の大風呂敷だが、大方は先祖の田畑を売った土地成金だ。それらが選んだ地方、国を問わず議員も大風呂敷を広げて、やたら約束事をしてくる。貰う方は座布団を重ねての接待だ。なかには空手形もある。しかも外交案件は約束してから議会に諮るという。

 

これでは国際連盟の会議おいて国家のメンツにおいて気に沿わないと、堂々?と退席して日露不可侵、日独伊三国同盟を牽引した松岡外相や満州事変の首謀者石原参謀の現地状況に追認したことと同じだ。いくら周りが愚かに見えても、行き着く先が博打では堪ったものでではない。

 

混沌とした欧州情勢を読めず、「欧州の情勢、まことに不可思議・・」と、辞めた首相もいた。

たしかに罠(わな)を駆使する狩猟民族と共同作業の農耕を主とする民族では外交の手法が全く違う。中国の北方は牧羊ゆえに、羊に我「義」が人間関係上、重きをなす。南は海洋ゆえにカイを漕ぎ網を操作する複数、人が二人で「仁」。中国共産党の幹部の多くはの上海閥や浙江、湖南などが多くを占めている。人が複数になると、どうしても権謀術数が長けてくる。

外交にはよくあることだが、敵の敵は味方風に北朝鮮と米国の軍事産業が裏談合して日本海にミサイルを飛ばせば、日本はミサイルディフェンスシステムを莫大な費用で買うだろう。

資金の足の速さでは似ている中国と米国が煮えきらない外交を続ければ、日本は米国の庇護を期待して、より擦り寄るだろう。ヨーロッパでもドイツがロシアと関係を深くすれば、米国でさえ付け入るスキはない。ウクライナの状況も起きる。

 

   

   共産党習主席と国民党馬前総統    今どきの国共合作??

 

日本の外交はいつも背伸びをし、巧言して金を配っている。ことのほか景気のよいそぶりをして並ぼうとする。細事だが家庭や人付き合いで親父がそんなことをしたら破産するか家族にも相手にされない。とくに三代目(3期)が危ないという。

伊達男も見栄えを気にして中身が伴わない。人の噂を気にするあまり八方美人になり、風評を飛ばす人たちを飲み食いで懐柔する。政治ならマスコミ懐柔と便宜供与だ。ついでに脅しもある。

 

内では忍耐強くも呆れ気分が混じる。おとなし気な人に囲まれているが、くれぐれも外に出て国民のお遣いには慎重になるべきだ。ましてや帰国したら陛下にご奏上(報告)されるはずだ。その輔弼として大御心を具現できないお遣いなら行かない方がいいだう。諸事総覧すれば大御心の何たるかを掴めるだろう。

民主(国民)が頼り無いから有司(官僚)経国といわれるが、これも近ごろは弛緩している。しかもそれを頼りにしている議員は有司や法匪の理屈に戸惑うばかりだ。

なかには意見もなく、喋らされ、引責辞任役になる議員もいるが、無感応にもみえる大衆も一過性の傍観に諦めを増している。


『税金も払う、政治は語らず任せるから、俺たちのことを邪魔しないでくれ』

与えられ、囲われた自由ではなく、本性の自由度は世界一といわれる隣の大国の民族の躍動である 

一方、みんなが言いたいことを云い、書きたいことを記す。

しかしいつの間にか「何かおかしい」と思いつつもいつものように世俗に浮浪している。依頼心、好奇心、迎合心、そして喜怒哀楽は狂喜に似て、過ぎればフラットな無表情が社会を覆う人たちが棲む国。


まさにゴマメの歯ぎしりのようだが、「人心は微かなり」の状況になってきた。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする