江ノ島児玉神社 爾霊山(旅順203高地)
高潔な人物と卑しい言論貴族
典型的な一例がある
日曜日の早朝のテレビに一家言をもっている老人の時評問答を内容としている番組があった。 出演者も故人となったりしているが、いわゆる長寿番組である。
双方があいづちを打てるような類似した論評だが、その端々に人物の違いを観ることができる。
一方の老人の逸話だが、陛下との御拝謁を知り合いの侍従を通じ実現したときのことである。 古事に「智は偽りを生ず」の典型だが、自らを偽るのはまだも・・・
庭内を散歩途中、偶然の設定を計略して“あずまや”(御休み処)に待機してのことである。
それは、俗気のある侍従が、その御仁をあらかじめ散歩途中に待機させ、さも偶然のごとく装い、陛下との拝謁に及ぶものである。然し図らずも拝謁ではなく、面談非礼の様相になってしまった長老言論人である。
話題に事欠いたのか老人は紹介者の侍従のワイシャツを指して
「陛下、入江さんのお召しのワイシャツは私の友人の会社で作っている⚪︎⚪︎製のそれです」
陛下は、なぜそのような話題になるのか、との意味の言葉を申されたそうです。
老人は年甲斐もなく、その場を取り繕うのに冷や汗をかいたと、名家嫡男(松前)の出司が蔑称を込めて話していたことがある。
講演の依頼があれば「会場はどんなところか」「どんな人が何人くるのか」「講演料は」などと、日ごろの正論に似つかわしくもない俗話がのこっている。 その姿勢は大衆迎合のガス抜き行為であり、往々にして謀るところは権威隷属の利権亡者でもある。
一方の対談老人は名利に恬淡で、独りでも真剣に聴講する人間がいれば、先の老人のような条件は皆無である。 内(心の中)なる独立を遂げた明治人の気骨が伝わるようである。 双方とも元新聞記者ではあるが、卑しさと高潔さは地位や名誉の所産ではないようだ。
視聴者が多く、大衆に影響力のある番組であり、反権力や反社会の是非に対する実直なる言動に喝采をおくったのは筆者のみではないだろう。
大衆に対する“辞譲の礼”は人格という徳性が、属性(名誉、地位、財力、等)よりも優越するものだということを教えている。
知識人の責任とは
ここでは知識人の色、食、財の欲望を否定するものでなければ、品よく上手にあるべきということではない。
ただ、 大衆は役割の分別という毅然とした知識人の自覚に感応したいのである。
それは知識の量、技術の巧みのみならず、それらに裏打ちされた見識や勇気のもつ“委ねられる強さ”を望むのである。
我が国では知識人に過大なほどの価値と働きを求めている。
ときには身分違いの存在を感ずることもあるだろう。 国の政策決定に立ち会う場面もあれば、世論を誘導させたり派手な民間外交を図るものもいる。
もしも“分”の曖昧さや超越が民主主義の自由と人権の利点としたならば同時に“分”を越えた責任も存在するはずです。
たとえ多面的立場に立って意見具申の要求があっても、公序良俗の範はもとより、そこには避けて通れない道義という大前提の責任がつきまとうはずです。
とくに知識修得の練度、高低が人間の能力判定とされているかのような時代に、また評価に従って各界、各派に請われ、その知識を不特定多数の利福の増進に発揮するものなら本人の考える以上に匿名の不特定に対する深慮が必要になってくる。
孟子の言葉に「四端」があります。 是非の心 羞悪の心 辞譲の心 惻隠の心はそれぞれ“智”“義”“礼”“仁”を育てるきっかけとなる心だといっています。
しかも、その心は外部から教えられるものではなく、生まれながら誰でも持っている徳性であるとも教えている。
それは 決して文字に表現されるような難解で固陋なものではない爽やかで、すがすがしい“本心”でもある。
このようにも教えています
「生まれながら持っているものに気が付かずに、それを解き放って(放心)それを
捜し求めることを知らないということは情けないことです。 自分の飼っている鶏
や犬がどこかに行ってしまうと、すぐ追いかけて探すことを知っているのに、自分
の本心がどこかえ放失されてしまっても、捜しもとめて、再び自分に取り戻すこと
は知らない。 学問の道とは外にはない。ただこの失った本心を取り戻そうと求め
ることでもある。」
また孔子と哀公の問答に
「引っ越しをしたが、女房を忘れていった者がいるそうだが」
「女房を忘れるぐらいならまだ良いほうです。近ごろでは“自分”を忘れる者がいる」
筆者の体験だが、台湾在住の老女の話である。 夫は世界史に名を残すある事件の陰の首謀者といわれている人物である。 あくまで事件と関係ない思い出話だが
「苗先生は自分を探すために一生忙しく働いていました」と語っている。
【参考文②】
苗氏は生前にこう語っている。
「男子は世界史に名を残すつもりで志を立てなくてはならない」と、「そのためには」の問いに“天下、公のため。その中に道あり”との書を筆者にしたためてくれた。
老境の画家の呻きにも似た言葉でもある。
自我(私)から公(おおやけ)によって“自らの分”(位置、能力)を知り、その後“滅我”によって“無常”を知り、無垢の存在を望むのだろう。
売文の輩、言論貴族と称され、大衆の上部に位置すると思われ、ときには錯覚した権威、権力さえ生ずる知識人と一目置かれている人々に、庶世の幼稚で無学といわれている人々の“理”(ことわり)に添うことを恥じてはいけない。
天が落ちてきたら一番高いところに最初に当たるといっている。
体験者は訴える。
満州崩壊はつい昨日のことだ。そこで得た教訓はこんなことだった。
「吾、汝らほど書を読まず、されど汝らほど愚かならず」
「物知りの馬鹿は、無学の馬鹿よりもっと馬鹿だ」
“信なく立たず”とはあるが、さしずめ“本(もと)”なければ学問は無駄であり、知識人は社会悪の一片の存在でもしかないだろう。
知識人・・・、響だけはいいが。
完