パル・下中記念館
知識人の “昇 官 発 財” 「利は智を昏(くら)からしむ」
(学問をして高官に就けば、自ずと財利が発生する)
我が国に滞在する外国の高名な書評家との体験があった。
“昇官発財”という何処の国にも少なからず存在する社会システムも、一方では人間関係の潤いや社会の発展を促すものとして考え方もありますが、ここでは財を得るために高位高官になることを望み、その分類選別のための知識修得という“私”行為を当然のごとく考え、しかも、その生きざまを人間の当然の姿として歓迎するような民意があり、知識人の堕落によって、歴史的にも幾度となく衰亡を招いている国情に随った、ある知識人との対話である。
その書評家の考察によって、自身のステータスの高まりを促すことを知っている我が国でも飛び切り高名で、その一文、一言は大衆の精神構造の移風さえ可能な作家の姿も垣間見ることができた。
作家についても売文の極みとでもいおうか、虚構の人物像を実像と錯覚しているのは本人自身の問題でもあり、一群の時運に蠢(うごめ)く商業出版の戯れでもある。
あの憂国の気概に溢れ、と賞されている三島由紀夫もアメリカ在住の江藤淳氏に自作の英訳出版を懇請する書簡を送り、他方、江藤氏を扱き下ろす書簡を安岡正篤氏に送っている。当時、ノーベル賞のうわさに上っていたのは、安部公房、三島由紀夫氏等だが、それには英文出版が前提になり、しかも高名な外国人書評家の、゛お褒めの言葉゛が必要であった。所詮、商業出版会の演者であり、その説く゛義情゛とはかけ離れた一方の私的、あるいは生活のための名利追求の姿しかない。
まさに一事が万事の例でもある。
その世界では定評のある文芸誌のページをひろげ
「ここに載っているのが私です」名刺がわりでもある。
内容は毎年ノーベル賞候補だと騒がれている小説家○○の書評である。 一読すると付け加えるように、
「いやぁ、司馬先生との付き合いもながくて、手紙もこんなにもらっていますよ」と、親指と中指で10センチぐらいの寸法をつくって筆者の目の前に示した。
司馬は新聞記者出身で歴史の登場人物をわかりやすく、しかも興味深くも独特な表現する人気作家でもある。 作家ブランドとしての愛読者は多く、我が国の代表的知識人として海外でも評価されつつある人物でもある。
書評家におびただしい数の手紙を差し出す作家の意図は計り兼ねるが、国内的にたとえ時運の評価を得て功なり名を遂げた作家が、他国人の書評の価値を意味することを考えてもみたくもなる。 特に“人情”のもつその国独特の解釈と、「利」と「義」の功利的な使い分けを上手に計る小利口な知識人の姿に興味がわいてくる。
作家の影響力を“公の利福”と認識していた期待の失望感でもある。
「あーそうですか」と、ぶっきらぼうに答えた筆者だが、不愉快でもなければ怒った訳でもない、ただ親指と中指を広げた間にある手紙の価値に感応が鈍かっただけのことである。
「ずっと、日本にお住まいですか」
「東大をでまして、そのご外交部におりまして、いまは家族は国におりますが私は日本に一人住まいです」
その意味するところ指と指の関係と、書評家としてのおかれている立場が観えてくる。
「◻️誌に150枚、◯誌に80枚たのまれていて、ものすごく忙しいですよ」と、続く
「ところで、この書評は日本で著したものではないですね」おもわず口からでた。
おびただしい数の文字が並ぶ10ページ近い書評の中の2行ほどの表現が、ついおせっかいのように言葉を突いてしまった。
「高名な作家の書評は私の能力では解りませんが、書評する目の前の先生に興味があります」
「なんで判るのですか」と、けげんな顔で質問をした。
「お国(母国)の知識人の表現として観させていただきました」
我が国の高名といわれる作家が一喜一憂する書評家の戸惑いは、書評より難解な問題ではあるが、彼の国の“美風”が“臭風”として漂うだけのことでり、単に似て非なる現実でもあった。
そのことは彼の国の典型的な修飾であり、我が国においても“問わず語らず”といった美風?に支えられて価値を生ずるものである。
生きるための必要な“二つの心”が習い性となり、他に影響や感動を与える文章にも、そのクセが出るのである。
それが私事の潤いの手段だとしたら、自らが卑しい心底を文学書評という高邁な美名に隠れて表現しているに過ぎないのである。
不特定多数が感動、感激をとおして知識を得るささやかな歓びにも、いとも中立公平とおもえる他国の書評家を擁して自らの魂を装飾する卑しさは、阿諛迎合する他の知識人とともに無知を越えた“恥”の域にあると同時に、人格低俗の意味をも理解するのである。
「ところで、◇◇◇は日本では尊敬する人も多く、影響を受けた知識人、政治家も数が多いと聞いていますが、お国ではどうですか」
「有名で立派な方ですよ」
「ここは自由な国、日本ですよ」笑いながら問い返してみた。
書評家は一息ついてこう話した。
「いゃ…◇◇◇はしばらく日本におりましたが、帰国してからは政治指導者が変わるたびに失脚した指導者を批判したり、新しい権力者の迎合文を発表したりで信用のおけない変節者ですよ。保身の嗅覚がいいですね。」
「知識人の典型的なはかない姿ですね。しかし、そうでもしなければ生きられないでしょうね。」 ☆ ◇◇◇は市川市在のころ某国際謀略機関に誘われている。
書評家は妙な安堵を見せて
「どこの箇所で分かりましたか(著した場所について)」と、ページを開いた。
その箇所を指しながら
「現体制を賛美して異なる体制を批判していますね。しかも、今後どんな変化があっても影響がないという臭覚をもって“さりげなく”」
書評家は黙ってうなづいた。 そして自身の体験として
「じつは日本国内の地方の公演に呼ばれまして、質問の時間になり我が国の政治体制に触れた部分がありました。 私にとっても家族の生活にとっても大変微妙な影響のある問題なので答えることができませんでした。」
「どこの国でも知識人の役割は難しいですね」
加えて
「 革命前の清朝末期の読書人である梁巨川先生は知識人のことをこう言っています。 “読書人とは聖賢の書を読む人をいう。聖賢の書には聖賢の教えが記されている。従って聖賢の書を読んだ以上は、その教えを実践せねばならない。すなわち読書人とは聖賢の教えを実践する責任を負う人のことである”とあるように勇気と知識を何のために活かすかという事が問題ですよね」
初対面で、しかも長幼の序も弁えず聞きづらい問答ではあったが、日本の現代風の価値では知識人は国民の情報でもあり、判断力の希薄な人にとっては指導者でもあり扇動者でもあるのだ。 国によっては変革期において旧態の政治家より影響力を発揮する場合もある。ここで重要視するのは知識人の位置づけである。
人によっては新進時の切れ味も年齢とともに重厚さが大物風としての姿を現し、自らの生きた実証でもある過去の残像や、さまざまな“公”“私”のご褒美が身分保障として大衆に誤った属性価値を提供してしまうこともあります。
そこには国家の情感を育む“腐葉土”としての悟りは無いままに…
それは循環の無い精神の閉塞であり、庇護の中にある自由を“自由”として表現しているに過ぎない状況でもある。
知識人は、多様な表現を駆使して人間の存在を闊達に表現することを“分”の責任とするならば、一過性の現世価値の庇護者としての一翼を担う政治体制に迎合することは人間の作為を越えた“自ら(おのずから、自然に)”変革到来する避けることのできない将来の有効価値を否定することに気づかなければならない。
しかも一部には異物の存在を“批判の自由”という自由で押しやってしまう傾向があります。 有名か無名か、高位か低位かという意識を背景の力とする場合もあります。 新芽の発生を売文世界の行為として、いとも奇抜な姿勢を伴わなければ興味を示すことのない世の中の刺激マヒという精神病的一派に支えられていることを考えなくてはならないことと同様に、年齢のみで現代の守旧と分別されてしまった人々のなかに全ての“本(もと)”をたどる観察に必要な気風が存在していることを理解されなければならないでしょう。
天安門事件の場で実感した、「小富在勤、大富在天」(小さな富は勤労によって得ることができるが、本当の富というものは決して侵すことのできない人知を越えた自然の意志に添って始めて得ることができる 我訳)は、草莽の賢者の存在や自身の良心を再覚するに当てはまる言葉ではないでしょうか。
以下次号