変な天気です。雨雲レーダーに反映されない暑い雲が太陽を遮ったかと思えば、また晴れ。小さなソーラーシステムではまともに充電も出来ません。
さて先日キュウリの枯れてきた葉を整理しながらその切り口を見たときに、この模様はどこかで見たような・・・そんな気が一瞬したんです。すぐに忘れてしまいましたけど。
で先月だったかな、久しぶりに名古屋へ出かけた時に、有名な百貨店で曼荼羅アートの展示会をやってたんですね。色とりどりの幾何学模様。「見ているだけでパワーが湧いてくる」とか、「運を引き寄せる」とか、確かに綺麗でしたが、どうして見ているだけで?と疑問が浮かびました。この手の商売とか沢山あるんでね、別段批判では無いですよ。
でもなんだか違和感が残りましてね。確かにキラキラ輝いて綺麗には見えます。しかしながら、仏教の曼荼羅はこんな感じです
曼荼羅も様々な種類があるのでね、検索したらこれがヒットしただけです。
でもこの形。丸い外形に年輪のような・・・・ これは植物の切り株そっくり。
そうです。身近に曼荼羅の世界が溢れている。でもそこには正確な幾何学模様では無く、自然が織りなす幾何学模様が存在するのです。
例えばこれ
単子葉植物の幹の断面の写真です。どうですか?僕には曼荼羅にしか見えません。
また双子植物の断面がこれ・・
ちょっとサンプルが悪いかなw。内側に仏教の曼荼羅のように、別の領域が形成されています。
大昔、顕微鏡の無い時代に、人々は、植物と同じような構成を曼荼羅に描いたのでしょうか? あるいは、この世界自体が、植物の幹のように自然に構成されているのでしょうか?
人間が描いた、考えた曼荼羅の世界は精密で非常に幾何学的ですが、自然が作り出す曼荼羅(植物の幹)は、一見不揃いでバラバラようですが、全体として役目を果たす。
僕は人間は植物のようにあるのが、自然な姿だと思いますね。
無理に整列をさせたり、一糸乱れぬ集団行動的なダンスなどに美しさを感じる方も多いと思いますが、僕はある程度の幅があって良いと思います。それが自然です。
同じ大きさ重さでなければ詰めないレンガ造りの壁と、一見大きさはバラバラだが隙間なく積み上げられた石垣。どちらも美しいし、頑丈だと思います。でも、石垣の方が自然だと感じます。
不思議なんですけど、地球上の植物は上の二つの切り口パターンに大きく分類されるそうです。単子葉植物と双子葉植物の2種類です。まるで陰と陽?仏教の世界にも大乗と小乗がありますね。
分類学的には単子葉植物が先に出現して、その後に双子葉植物が出現したとか。
競争力は双子葉植物の方が強いと考えられているそうです。でも草木のほとんどが単子葉植物だそうです。
このあたりも一部の富裕層とその他大多数って感じがします。
さて、さらに混迷が予想される社会情勢です。 植物無くしては空気も作られません。その植物に2つの世界観が存在した!という僕の勝手な妄想的なお話でした。
今日も陽が沈みます。 今日に感謝。おおいなる自然の恵みとお働きに感謝。