趣味と節約と時に妄想の記録

節約を通して未来を創造するブログです。
時に妄想も書いたりします。時々趣味の写真もUPします。

オケに思いをめぐらせて

2024年01月31日 22時55分46秒 | 実体験的エッセイ

地域によっては3月中旬の陽気だったとか? 僕んとこは雪こそ降りませんでしたが、指先のかじかむ寒い1日でした。ホントに凄いムラです。気候変動だけでは説明つかないような・・・。

海外の話ですが、22日にアメリカのある地方で、凍り付いた道路で横転する消防車の映像だとか、中国では高速道路でこれまた路面凍結による100台以上がからむ玉突き衝突事故があったりとか、どうなってるんだろう?もしかすると今までも起きていたけど、情報が発信されていなかっただけ?。でも高速道路は近年だから、やはり乱開発の影響?日本でもこの先、暖気の影響を受ける地域と、寒気の影響を受ける地域とが二分されそうですよ。その境目の地域って・・どうなるんだろう? 何やら想定外の自然災害の匂いが立ち込めるのは僕だけでしょうか。

さて今日の話題は、オケについてです。カラオケですか? まさかー音痴な僕は歌は歌いません(笑い)。

風が吹けば桶屋が儲かるの桶? そうそうその桶です。 木製の桶ね。

桶って、大きなオケじゃなくて、銭湯なんかに置いてある小さな桶の話です。その桶ってよく考えてみたら、ちょっと前まで、非常に身近にあった家財道具の一つなんですよ。

身近だけではなくて、田舎に住んでいる人は、普通に作ってた。僕の母方のおじいさんも作っていた。

農作業の閑散期の冬場の仕事として、桶や、草鞋、足袋などを作ってたんですよ。 子供の頃に作業場を見た記憶があります。

なんで桶なんか?と思われるでしょ? ネットの動画でたまたま桶を作る動画を見てましてね・・・。そういえばあんな風な治具というか道具が、おじいちゃんの家にあったなぁ~と思い出したんですよ。

道具が無いと作れません。仮に道具があっても、当然作り方も知りません。 でも聞くところによると、今も東南アジアの一部の地域で桶が作られているとか。しかも、その作り方を教えたのは・・・生き残った日本兵だったとか。

なんなんでしょうね。 とても虚しさを覚えます。 

確かに、お金を払えば、家財道具などは何でも手に入る時代です。 お金と交換に、大切な伝承技術も同時に失ってしまったんだなぁ~と改めて再認識した今日でした。

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ぴよたろうとピヨコ・・・その6

2024年01月25日 10時55分41秒 | 実体験的エッセイ

このシリーズも今回で完結です。

僕もピヨコの世話が辛くなって来ました。 兎に角狂暴。あんなに懐いていたのに・・・。最近になって

you tubeで検索すると、ある日突然にペットの鶏が狂暴になるような内容の動画もありますね。

どうやらニワトリは元々家畜では無くて、闘鶏の目的で日本に入ってきた歴史もあるようです。つまり、元々が狂暴な面を内包していたとも言えるのかも? 回想なので何とでも書けますけどね。 当時の僕は、ある種のショックとつつかれた傷の痛みでかなり落ち込んだ記憶があります。

そしてついにその日が来ました。

母が「もう、産んだ卵も食べてしまうし、おばさんに譲ったらどうだね?」と

僕「おばさんはどうするんだろう?」

母「ニワトリだもの、そりゃ食べるに決まっているじゃないか。いつまでも子供だね」と

僕「え、それは可哀そうだよ」

母「何言ってるんだい。ニワトリは家畜。卵を産まなくなったら食べるの」

それが当時の普通の常識だったのでしょう。

数日が経って、僕が学校から帰ってくると、小屋の中にはピヨコはいません。

その日の夕食のおかずは豪勢な鳥の唐揚げでした。 兄が、喜んで食べていたのを今でも思い出します。

母が「食べないの?」

僕「僕が肉嫌いなのは知ってるだろ?」

母「あんたが一生懸命育てた鶏だよ。感謝して食べてあげなよ」と・・・。

兄も「食べないなら俺が食べてしまうぞ」

僕「みんなにせっつかれると余計に食べられない」と言うと、

母「一切れ残しておくから後から食べなさい」と。

しばらくして、涙を堪えながらその一切れの唐揚げをほおばりました。

すると・・・「おいしい・・・」

涙と共にピヨコの思い出が蘇ります。

それからです。なんとあれほど肉が嫌いだった僕が、肉が食べれるようになったのです。

はじめは鶏肉から。そして豚肉。牛肉も。

僕の記憶はこれで最後です。 中学、高校の思い出がほとんど無いのでね。

忘れられない子供の頃の思い出。 縁日で買ったヒヨコの思い出。

そのヒヨコが大人になり、卵を産み、そしてあるとき食卓に唐揚げが並んだ・・・。

でもそのお陰で、肉嫌いが治ったという他愛もないお話です。

僕は今でも、自分の肉嫌いが治ったのは「ピヨコ」のおかげだと思っています。

今振り返れば、命を頂くことの尊さ、愛情をもって育てる事の大切さを肌で学んだのだと思います。

そして何より、感謝の思いです。

現代社会では、生き物を育てる機会がとても少なくなったと思います。 ペットは別ですよ。子供時代は勉強や習い事、大人になれば経済活動優先でそんな時間が無いのが現状でしょう。その一方で増える食物アレルギーや好き嫌い。

最近ネットで、あるペンキ画家さんが有名になっている事を知りました。 スピ系の話になるのかな?紹介ではないです。でもその中で、命を頂くストーリーのようなくだりが紹介されていました。

アフリカのある小さな村での経験を本にしたらしいのですが、食べ物には全てストーリーがあり、そのストーリーを感じられることが、人間としての本来の仕事ではないか? とね。

今の僕はもうこんな目ですから、本を読むことは出来ません。短い動画とその作者の声を聞いて、この方は「扉を開いた」んだと直感しました。

僕も日々、声なき声を少しでも感じられるようにこのブログを書いて来ました。スタートは生きるための節約でしたけどね。

こうして生きているだけで本当に多くを頂いています。目に見えるとか否かではありません。 果たしてそのお返しをしてるのだろうか?

後書です・・・毎度くだらない話で申し訳無いのですが、この「ぴよたろうとピヨコ」の話は実話です。文章を書くのが下手なので描写は下手ですけどね。

この先、世の中は間違いなく混迷して行くでしょう。 その混迷の中で、次の未来へ繋がる何かが生まれる。生まれた卵を食べる(潰す)のもこれまた人間。生かして次の世へ繋げるのも人間です。

すべての事象は唯一無二で、フラクタル。  実は成功も失敗も無かった。

意識するべきは・・・・ストーリー。あなただけのストーリー。

今日に感謝。おおいなる自然の恵みに感謝。

今日もこの記事を読んで下さった方々に感謝。

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ぴよたろうとピヨコ・・・その5

2024年01月24日 20時16分01秒 | 実体験的エッセイ

気が付けばこのエッセイ(選択タグに無いのでコラムとなってますが)も5回目です。

その事件とは、僕が学校に行っている間に起きました。 

僕が学校から帰ると母の手や足に痛々しい傷が。

「どうしたの?」と尋ねると

「ぴよたろうにつつかれた」と言うんです。母はまだぴよたろうと呼んでました。

「え?なんで」

ピヨコが鳥籠の奥の方に生んだ卵を取ろうとしたら、つつかれたらしいのです。

実はその頃には、ピヨコの殻が薄くなり始めていて、病気じゃ無いかと心配していたんです。

卵の殻も透けた茶色で、ちょっと触ると、簡単に白身が飛び出してくるような、そんな卵になっていたんです。

家族も原因が良く分からず、そのニワトリを飼っている知り合いに聞いて見ると、カルシウム不足になっているのではないか?という事で、丁度その日、学校から帰ったら、貝殻をつぶしてエサに混ぜるつもりだったのでした。

今思えば、もっと早くすれば良かった。悔いが残ります。 もっともそんな事、当時では知り要が無かったですけどね。

ここからが問題で、もしもニワトリが自分の卵を餌と間違えてつついたりすると、卵の味を覚えて、凶暴なニワトリになる事があるから、早くした方が良いとまで言われていたらしいのですが、その「早くした方がいい」の部分が僕まで伝わって無かった・・・。緊急性があったんですね。

時すでに遅し。 いつもの散歩の時のように鳥小屋からピヨコを出して、掃除をするんですが、その時も、僕の事をつつこうとするんです。昨日まであんなに懐いていたピヨコが・・・。

何とか外へだして、散歩させるも、呼んでも飛んで来ないで、迎えに行くと足を思い切りつつかれました(涙)。

母曰く「畜生だね。やっぱり」

実は母はあまり動物が好きではありません。特に猫はね。90歳を超えた今でも、猫は母が一生懸命に手入れをした畑を荒らすし(どこの飼いネコか知れませんけどね)、本当に苦労してましてね。年齢もあって、去年から畑つくりも止めてしまいました。その原因が野良猫じゃ無くて、どうやらどこかの飼いネコなんですね。

母の話を聞いていると、猫好きの方には申し訳ないですが、猫は飼い主の前では愛嬌を振りまいて、外では全くの他人に迷惑をかけている。どうもそんな個体もいるらしいのです。等の猫は、自分の決めたように勝手気ままに生きているだけで、特に母の畑を荒らそうとしているわけでは無いようですが(ネットで猫の習性を調べた結果)、年老いた母は聞く耳を持たなかったです。 もしかすると、この時にピヨコにつつかれた事が動物嫌いに拍車を掛けたのかなぁとも、今振り返るとそう思ったりもします。

話戻しますが、暫くすると、貝殻の効果もあって、卵の殻は少しづつですが硬くなって来たんですね。

所がです。またも事件が起きました。

何故か僕が学校に行っている間に事件は起きるんですね。そうしたものでしょうね。

何と、ピヨコは既に卵の味を覚えてしまっていて、殻が硬くなっても、産んで直ぐに採らないと、自分でつついて卵を食べてしまう、凶暴なニワトリに変わってしまったのでした。僕が見たのは、くちばしの周りがベットリと黄色くなったピヨコの哀れな姿でした。

今思えば、鳥小屋の作りが悪かった・・・。 卵を産んだ時点で、卵が落ちるようなゲージに替えるべきだったのでしょうね。 ニワトリを放し飼い飼育している方もおられると思いますが、その場合はまた違ったニワトリの社会が形成されるようですが、普通は、ゲージで飼育されてますね。養鶏場で見かける姿です。

僕も大人になって家族を持ち、セキセイインコを飼った事があるのですが、鳥といえども順位を勝手に決めて、おまけに卵を産んだ瞬間に、きっとこれは本能でしょうね、生物的な「メス」が目覚めて、やたらと凶暴になるんですよ、どんなに自分に慣れたインコであってもそうでした。賢いインコは、ゲージから起用に抜け出して、部屋の中の一番高い場所に卵を産みます。これは本能が発露したとしか考えられませんね。飼っているインコをその高い場所(天井近くの棚の隙間)まで迎えに行くのですが、その時も指をかなり強く噛まれました。

だから、ピヨコも卵を産んだ瞬間にメスになり、どこかで本能のスイッチが入ったのでしょう。

そして、母に成れなかった(一羽ですから)事から、自ら卵を食べて、より凶暴なニワトリへと変貌したのだと推測します。

そして運命の日がやって来ます。今日はここまでです。続く・・・

最後まで読んで下さった方々に感謝。

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ぴよたろうとピヨコ・・・その4

2024年01月23日 11時41分37秒 | 実体験的エッセイ

今日はその4です。では続きです。

その後ぴよたろうはすくすくと育ち、僕の腕に留まるのも痛いくらいになってきました。トサカも立派になりました。大きくなれば当然エサの問題が出てきます。次のエサを買うか買わないかの問題です。 鶏のエサは家畜用のエサです。 簡単に言えば、大きな袋(20kg?)の販売です。今でこそペットショップでインコや他の鳥用の小さな袋のエサは売っていますが、当然当時は小分けなどありません。 余談ですが、そうやって考えると、今でもペットショップで鶏のエサは見かけないですね。

そしてある日、餌を分けてくれた知り合いのおばさんと母親の会話を聞いてしまいました。

知り合い「そろそろ家がこの鶏もらえんかね?」
母「エサ代もかさむしね」
知り合い「縁日の鶏などメスでは無いから、卵も産まないだろうしね」
母「内の子もそろそろ飽きるんじゃーないかな?」
母「一度話してみるよ」

そんな会話でした。

で、母が僕に、「そろそろ、ぴよたろうをおばさんに譲らないかい? エサ代もかさむしね?」
「あんたもそろそろ勉強に身を入れてくれないと。どうだい?」
そんな感じでした。僕は「おばさんは大切に育ててくれるかな?」
母「そりゃーそうでしょ」


でもその顔に何だか嫌な雰囲気を感じました。
それから数日間、僕はぴよたろうに
「もう直ぐお別れかも知れない。お前が卵を産んでくれたら、きっとここに居られるのに。悲しいね」
いつものように体を撫でながら、話しかけました。


何日経ったのかなぁ?。そんなある日、いつものようにぴよたろうの様子を見に行くと
なんとなんと、茶色い大きな卵が鳥籠にころがっているではありませんか。そりゃーもー信じられませんでした。
当然、家族全員ビックリです。 知り合いのおばさんまでビックリ。「ぴよたろう」が卵を産んだ!


「縁日のヒヨコが卵を産んだ?」「嘘だろ!」
「誰かが小屋に卵を入れた」とか、そりゃもー大騒ぎ。


でも事実です。縁日で買ったヒヨコが卵を産んだのです。

そうぴよたろうは実はメスだったのですよ。


白い鶏なのに卵の色は白くありませんでした。茶色い卵でした。しかも、その殻は買った卵よりも殻が強く、なかなか割れなかった事を覚えています。黄身はプリプリで今でこそTVのCMでやっているような濃厚卵そっくりです。それから、少しだけぴよたろうの我が家での地位が変わりました。
1日1個卵を産んでくれる大切な鶏になったのでした。

その日から、僕は「ぴよたろう」から「ピヨコ」と呼ぶ事にしました。

このエッセイのタイトル「ぴよたろう」も「ピヨコ」も実は同じ鶏だったのです。

「ピヨコ」と呼んでも、今までと同じように僕にはとても懐く可愛い鶏でした。

僕はピヨコが卵を産むところもこの目でハッキリと見たので間違いないです。もちろん子供ながらに驚きました。

それから一月と経たないうちに事件が起こるのです。 続きはまた明日。

今日も読んでくださった方々に感謝です。

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ぴよたろうとピヨコ・・・その3

2024年01月21日 11時27分38秒 | 実体験的エッセイ

今日はその3ですね。 この辺りから記憶が飛んでいます。ですから、小学の高学年なのか、中学へ上がる頃なのかよく自分でも覚えていません。

自分の記憶の中では、ヒヨコの黄色い毛が抜けて、白い鶏になり始めて、虫籠に入り切れなくなり、同時に、家の中であちらこちらにフンをしまくって、その掃除が大変だった事は覚えています。

ただね、ほんとうに可愛かった。 学校から帰ると、玄関辺りからぴよたろうの鳴く声が聞こえました。そして家に入るや否や、自分で虫かごの蓋を開けて(簡単な構造でしたから)、ぴょんと籠の上で待っているんですね。

勉強などそっちのけでした(さぞかし両親は心配だったと思います)。

たかが家畜です。ニワトリなど家畜の扱いです。 「大きくなったらどうするの?」

母の口癖でした。

どれくらい月日が経ったんでしょう。いつしか、ぴよたろうの頭に小さなトサカのような物が生えて来ました。

今でこそトサカとわかるのですが、当時はどこかで頭を打って血が出ていると思い込みましたよ。何せ虫かごですから。

それで、休みの日に、知り合いから材料を頂いたり、倉庫にあった、いらない木を組み合わせて、小さな犬小屋程の鳥籠を作ったのでした。その頃には家の中には置けず、玄関の横(つまり外)に置くことになっていました。夜には暖かく毛布を2重にかけて、毎朝と夕方の餌やりと散歩が日課でした。

散歩のときは、僕の後をどこまでも付いてくるんですよ。 邪魔な位にね。 その頃にはトサカも立派になり、大きなニワトリに成長していましたよ。

ニワトリって10m位なら飛ぶって知ってました? 当時親戚のおじさんに話をしても信じてもらえなくて、ある時、家に親戚の人が遊びに来た時に、丁度ぴよたろうの散歩の時間でね。 適当に畑で遊ばしていたんですね。

そしてかくかくしかじかとおじさんに話をしても「そんなバカな!」でしたよ。何せゲージの中に入った家畜です。卵を産まなければ、肉にされる家畜です。卵を産んでもその価値は「肉」しかありません。それが当時は普通の感覚だったのでしょう。

「じゃーおじさん。 名前を呼ぶから見ててね。」と僕が「ぴよたろう」と呼ぶと、畑の方から10メートル位飛んで僕の腕に飛び乗って来るんですよ。まるで、高匠の鷹みたいにね。

それにはおじさんも驚きを隠せなかったようです。「へー慣れてるね」って感じでした。

ぴよたろうにはもう一つ、当時では不思議な癖?があって、少量の砂の上で、砂浴びをするんです。僕は「変な事するな?」くらいにしか思わなかったのですが、体がかゆいのかな? と思って、ぴよたろうの体をよーく調べると、「あれ!変な黒い小さな物が」それがぴょんぴょん跳ねるんです。

びっくり仰天です。すぐに親を呼んで見てもらうと、「ノミだぞこれ」という話になり、そういえば最近倉庫の中を見てないなという話になり、おやじが倉庫(結構大きな倉庫です。田舎ですから)の奥の方を調べに行くと、なんとなんと野良猫がちゃっかり子供を産んでいました。 一大事です。 番犬がいるのに野良猫か?って・・・。とにかく、猫退治と、ノミ退治で大変でした。 猫は鶏を襲います。 仕方が無い事です。そして、倉庫の穴などを塞ぐ処理などを行いました。その頃の番犬はもう老犬でしたし、倉庫と家が離れてましたからね。そんなわけで、今思えばぴよたろうが身をもってノミの存在を知らせてくれたんだとね。

ぴよたろうに感謝です。夏でしたから、ぴよたろうを綺麗にあらって、赤くなってるお腹に軟膏を塗ってあがました。「ごめんよぴよたろう」そして月日が流れます。

続きは明日です。今日も読んでくださった方に感謝。

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ぴよたろうとピヨコ・・・番外編的独り言

2024年01月20日 14時56分16秒 | 実体験的エッセイ

なかなかと昔の記憶を呼び覚ますのは難しいです。特に僕は、中学と高校は、病気に伴う手術の影響で、ほとんど友達もいないし、自由の利かない青春時代を過ごしていますので、小学の後半からは記憶自体が曖昧になっています。なので、特に印象に残った事を掘り起こして書いています。

そしてこのシリーズ、何故こんなエッセイ(下手くそ日記的な)を書いたか?少しだけふれたいと思っています。

飽食の時代、お金を払えば何でも出来る日本です。特にTVでは毎日グルメ番組・・・。

僕は沢山食べられませんし、お金も無いし、取り上げられた店で食べると言う選択肢もありません。申し訳ないけどね。 確かに車を運転できた頃は、雰囲気の良い喫茶店でコーヒーを飲む事もたまにはいいか~と思っていましたが、正直喫茶店のコーヒーをそのまま飲むと、胃がやられます。でも確かに香りは良い。 そんな店では、お店の方には申し訳ないけど、水で自分好みに薄めて飲みます。まず僕の事を相当理解してくれる方しか一緒には行ってくれませんね(笑い)。

食べる方などもっと悲惨です。バイキングは子供料金で十分位な量しか食べられませんし、普段食べない物を食べると、次の日必ず下痢をします。お酒も同じ。もっとも若い頃に手術をした関係上、お酒は一滴も飲みません。昔の妻に・・・「チェ、何時まで経っても面白くね~奴」と言われました。

「飲んだらあかん次の日が」・・・って標語ですよ(笑い)。

若い頃は、数回ですけどフランス料理のコースを食べに行った事があります。かなり無理をしました。

やっぱり次の日・・・下痢。40代で務めた会社の食事会でフランス料理を食べました。美味しかったです。

確かに美味しかったですけど・・・・やっぱり次の日、下痢。生肉、生魚がダメ見たい。受け付けないんですね。

「肉は良く焼いて」と頼むのですが、高級なお店程、嫌がります。 刺身も同じ理由です。寿司屋に行ってマグロが殆ど食べられない変な男です。生は一切ダメです。 最近、鉄火巻きだけ少し食べられるようになりましたがほんの少しです。ワサビが入っていたらNG。 ダメです。カレーも同じ。ベトコンラーメン? 有り得ない領域です。

何度か繰り返して、いつしか無理して人と付き合う事を止めました。下痢になった後の復活までが本当に大変なんです。今でこそ無理な飲み会とか無い企業が多いですが、そんな時代では無かった・・・。なので2005年の交通事故をきっかけに定職には付いていません。当然極貧生活ですよ。

普通に生きられない人もいるって事を知って欲しかった。ひっそりと生きているんです。そんな人にはグルメ番組など意味が無いし理解も出来ない。でもこの星に住まう同じメンバーである事をね。生き延びるには・・・避けるしかない。それ以外の選択肢は無いのです。

別の角度からこの避ける譲る事が自分を苦しめ、さらに敏感になって行く。ならばいっそ、その神経質で弱々しく敏感な自分の感性を生かせば?そして受け入れて自分の扉を開けたのです。

そして今は心澄ませば、秋に落ちる葉一枚の思いまでも伝わる自分になっていた。 ま、他の人には妄想としか映らないですけどね。それで良いのです。 

あるとき、おおいなる何かが自分にこう問いかけてきました。

「あなたは皆の為に、皆はあなたの為に」「one for all all for one」 「心の扉を開ければ、銀河の彼方まで感じられる。」 今はもう扉は開いていませんよ(あはは)。

心に残る思い出の中から、今振り返れば、そこから何を学んだのか?その学びは生かされているのか?

「ぴよたろう」から自分は何を学んで、何を頂いたのか? 今だから振り返れる。そんな記録を残したかった。

扉の向こうへ持って帰れる事。それは自分の行って来た小さな記録だけ。 その記録に今できる事は?

今日に感謝。そして、おおいなる自然の恵みに感謝。 となるわけです。

純粋だった頃の自分に・・・時空を超えてエールを送りたい。

そして、生き物を頂くとはどういうことか? 野菜も家畜も皆、扉を持っている。 って事を。

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ぴよたろうとピヨコ・・・その2

2024年01月20日 13時11分47秒 | 実体験的エッセイ

年に一回の夏祭り。多くの人で賑わっていました。 当時手の中に50円位しか持っていなかった記憶があります。時代が時代です。50円もあれば、りんご飴とか綿菓子が買える時代ですよ。そんな中、僕の目を引いたのが、「ピヨピヨ」と鳴く鶏のヒヨコでした。

「かわいい」手を出すとピヨピヨと手の中に入ってきます。

「ぼうず、一匹どうだ?」と声をかけられます。

値段は、餌付きで60円でした。

「おじさん。僕50円しか持っていないんだ」と言うと、

「じゃー餌無しで50円でいいや」と言われた記憶があります。

とても迷いました。このままヒヨコを買って帰ったら親からなんと言われるだろうと・・・。でも、手の中のヒヨコは僕から離れようとはしません。 そんな様子を見かねた店のおじさんが、

「そのヒヨコ、ぼうずが気に入ったみたいだから、いいよ、いいよ、餌付きで50円で」と売ってくれました。

確か紙袋に入れてもらって家に持ち帰った記憶があります。

そして家に戻ると、当然親からは「そんな物どうするの? 自分で育てられるの?」とか、兄からは、そんなもの直ぐに返してこいとか、さんざんでした・・・。

でも、そのヒヨコは本当に僕から離れなかったんです。ついに親も折れて、その夜は、夏の蝉取り籠の中入れて僕の布団の横で一緒に寝ました。

その夜に両親の会話で、「あの子、ヒヨコどうするんだろう?」

おやじが、なーに「縁日のヒヨコなんて直ぐに死んでしまうよ。心配いらないよ」という会話が聞こえました。

その後、毎日のように籠から出して、部屋の中を散歩させ、夜は籠ごと一緒に布団で寝ました。そして、縁日でもらった餌が無くなり・・・。

「かあさんお願いだから、鳥の餌を買って?」とせがむも、「鶏のエサなんてこの辺りでは売ってないから自分で何とかしなさい」と言われてしまいました。

ヒヨコはなんでも食べます。でも、白米を食べると下痢を起こすのは不思議でした。可哀そうでしたが、2回ほど試して見て、やっぱり白米を食べると、下痢をしました。2024年の今、検索してもそれらしい答えは見つかりません。ただ、鳥類は、白米(炊いたご飯)を与えると下痢をする事が多いとインコの飼い方に書いてありました。これも今現在の知識です。当時はわかるはずもありません。 たかがニワトリのヒヨコです。ペットのように育てる人は周りにいない時代です。学校の図書館にもそれらしい本はありませんでした。

さすがに困った・・・。餌が無いとヒヨコは死んでしまいます。そこで、そういえば知り合いの大工さんの家で鶏を飼っていたのを思いだして、その事を母親に話すと・・・

観念した様子で「明日少し餌を分けてもらえるか聞いてみるよ」という話になったんですね。

そして飼い始めて3日後、僕は名前を「ぴよたろう」と名付けて、可愛がり始めたのでした。

今日はここまで。続きは明日です。良かったら続きをどうぞ。

今でも・・・と言っても14年以上も前ですが、僕の手の中ではヒヨコは眠りにつきます。

気持ちよさそう。 もちろん生きてますよ(笑い)。この写真はいつ見ても癒されます(手前ミソですが)

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子供の頃の経験・・・食べ物

2024年01月19日 16時29分57秒 | 実体験的エッセイ

このシリーズは僕の経験に基づいた、今では懐かしい話を備忘録的に残すカテゴリーです。

第一回は、「ぴよたろうとピヨコ」というお話です。

僕は小学の時にどしても食べられない物がありました。それが「肉」です。

家では、冷やご飯(熱いご飯は苦手)にふりかけ。お味噌汁は好きでしたね。後は海の近くで育ったので、焼海苔は大好物でした。野菜は全体的に苦手。でも大根は好きでした。 そんな子供の頃に、どうしても食べられなかったのが・・・「肉」。豚肉など特に苦手でね・・・給食の肉が大の苦手でした。 いまでも覚えているのが、給食の肉をパンに挟んで家に持ち帰るのところを担任の先生に見つかって、一人だけ残されて酷い目に遭いました。今なら大問題ですよ。 そのせいか良くはわかりませんが、背は小さく、小学2年の頃から目が悪くなり始めて、いじめられた、いじめられた・・・当時は眼鏡ポンチとかビン底とかね。良い記憶など何もありません。イジメは生涯残る記憶となります。

それで家では、魚の目を沢山食べさせられました。 海が近くだったから、魚は普通に食卓にありました。いくら食べても目は良くならず・・・藁にでもすがる気持ちで魚の目を食べましたが、ダメでした。

今思えば、元々目が悪かった・・・。強靭な目では無かった。無理をしても、いつの日か網膜剥離を起こす運命だったと思います。 網膜剥離を起こす前に、過去記事でも書きましたが、目の中に光る三角形が連なる長い物が見える時が何年かに一度あったんです。過去記事です。⇒夢はどこで見ている?体験談3 - 趣味と節約と時に妄想の記録 (goo.ne.jp) 

今だから言える事です。話し戻して、家族も僕の肉嫌いをとても心配していました。タンパク質系は魚の肉とソーセージがほとんどでしたね。魚肉ソーセージは大好きでした(笑い)。今のようにおいしい冷凍食品もなくてね、冷蔵食品でグリコのハンバーグが大のご馳走でした。当時はかなりの贅沢品。誕生日くらいにしか食べられなかったなぁ。その後、異物混入事件と共に世の中から消えた商品です。

そんなある日、町で夏のお祭りがあったんですね。 僕の母親が、縁日とかそういうの好きでは無いので、一人でお小遣いを握りしめて出かけたんです。

この続きは明日です。 続く

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