趣味と節約と時に妄想の記録

節約を通して未来を創造するブログです。
時に妄想も書いたりします。時々趣味の写真もUPします。

程よく使うのが節約

2018年04月19日 10時20分17秒 | シリーズ物
どうやらアプデ問題の解決はまだ時間がかかるようなので、今日は回想話などを書きます。

先日実家へ行った時に、5年ほど前に(いわゆるボケ防止と言葉を忘れない為に)パソコンでもかまったらと、置いてきたパソコンが押入れの奥に追いやられているのを発見。

ま、兄貴の問題もあってここ3年くらいはそれどころじゃ無かった事もあるのだが・・・。

何年もかまってなかったので(もちろん通電もしていない)、動くかどうかを試してみた。

電源に繋いで暫く放置してから、スイッチON。 見事に起動。 富士通製ビジネスモデルのXPノート。

子供が結構使った中古の格安ノートだ。 もちろんネット関係は機能上使えなくして、完全オフライン使用のみ。

この時代は無線など関係ないし、そもそも実家にはネット環境は無い(有線)。

約5年(正確では無いが)のブランクを感じさせない見事な起動。 シンプルis ベスト。

そういえば兄貴の葬儀の時に一回電源入れたなぁ・・・。1年ぶりくらいか。

母のDVD鑑賞用にと、無料のDVDプレイヤーを入れてあったが、なんの問題も無く見えた。 

ただ、時間だけは止まっていた。何故か内蔵時計の時刻は1998年に戻っていた。

それでも、製造後20年は経過しているが、まったく現役のマシンと変わりないのは驚きだ。もっともウイルス対策もしていないし、ネットワーク関係のサービスもすべて無効にしてあるんでシンプルなんですけどね。

昔の物は持ちが良い。

こんな事もあった。 母の部屋には30年以上も前に買ったイグサの敷物が敷いてある。 冬にはその上にホットカーペットの付属品のカーペットのみを敷いたりしているのだが、母も高齢になり そろそろ部屋替えを考えているようで、とりあえず物置部屋(といってもちゃんとした部屋なんだが)を客間にしたいとの事で、置いてある荷物を片付ける事に。

そのときにパソコンも発見したんだけどねw

押し込まれていた箱やら色々なものを片付けて、とりあえずカーペットだけの状態にしたが、埃だらけのカーペットをイグサの敷物に交換したいとの要望。 

ここで、母にはイグサは今は高級品だから止めた方が良いとアドバイスするも、拒否。 でもって、行きつけの布団屋さんに電話して、手ごろな(料金的に)敷物を持ってきてもらう事に。

で届いたのが、なんとぺらぺらな敷物・・・。それでも1畳1000円は下らない物だ。

早速畳の上に広げてみる。 ピンで留めながら・・・案の定である。 安物・・・。つーか昔とは質が違う。

母曰く、「昔と同じくらいの値段だった」 価値基準だとか難しい話を85歳を過ぎた母としても仕方が無く、黙々と作業を続けたが、あまりの質の悪さに愕然とした・・・。

やはり、今の物は悪い。 少なくとも1万円以上は出さないと、そこそこの物は買えない時代である。それでもそこそこである。

今後の事もあるので、母に色々と説明をした。

結局そのイグサの敷物の上に、さらにカーペット(あまっているやつ)を敷いて解決したのだが・・・・。

何が書きたいか。 時代を知り、程よく使うことが節約への近道という事。

古き良き日本製の時代は終わった。 これは間違い無い。 ただ、お金を出せばなんとかなる事もある。

お金の無い者はどうすれば良いのか・・・ だから時代を知り、程よく使う。 

つまり色々な意味で工夫をするって事です。 その第一歩が、知ること。

何を知れば良いか? そこが問題ですね。

この話はまたの機会にでも。
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意外な盲点(石油ストーブ編)2

2015年02月06日 11時36分53秒 | シリーズ物
今日は石油ストーブに関してです。過去記事(←飛びます)にも書いたのですが、石油ストーブも進化しています。
それで今年買った石油ストーブなんですが、10回くらい使ったら差ほど前のストーブと変わらない臭いがして来たのです。そこで、もしかすると空焚きをすれば改善されるかと思って、空焚きを実行。なんとなんとかなり臭いが軽減されました。

またこのストーブ(グリーンウッド製)を紹介していた書き込みに、消し方にコツがあるような事が書いてあったので実験。その書き込みによれば、時間をかけてゆっくりダイヤルを消火位置に戻すという方法でした。僕はこのストーブに関してはあまり変わらない印象を受けましたが、コロナ製の今家にある他のストーブで実験したところ、かなり効果ある事がわかりました。

やり方は、概ね5分くらいの時間をかけてゆっくりゆっくりと消火位置までノブを捻る方法です。

ストーブの前で5分も座っていられないので、他の事をしながら5段階くらいに分けてノブを回します。ノブの角度が消火位置に近づけば近づくほど炎は小さくなります。当たり前のはなしですが、ここで嫌な臭いがして来たら空焚きがお勧めです。空焚き直後のストーブならゆっくり消火時(炎が小さくても付いている間)はほとんど臭いません。

ただ、炎が消える瞬間は臭います。これは仕方がありません。

何回かこの方法で消火をしていると段々と臭いがとれなくなって来ます。その時が空焚き実施の目安かもしれません。

そうこうしている間に、もしかすると石油ストーブは燃料が空になってから給油する方が臭い軽減に関しては得策なのか?という仮説が生まれました。

なぜなら結局空焚きというのは、ストーブの中の燃料を(給油タンクだけではなくて。リザーブタンク内まで燃やし切る事)燃やし切ることですから、燃料が空になってから給油しても同じでは?と思ったのです。

僕は貧乏性だから、燃料タンクが半分になったら給油する癖です。タイミング的に一番冷え込む時間帯に給油の為に寒いベランダに出るのは嫌ですから・・・。その癖が、実は嫌な臭いをもたらしていた可能性が浮上です・・・・。

注意・・・空焚きはストーブによっては異臭や有害なガスが発生する場合もありますので取説をよく読んで実施して下さい。また、ストーブの芯の寿命を縮める可能性が大きいので注意は必要です。

そんなわけで個人的な思いつきの範囲をでないのですが、今度燃料が無くなってから給油する方法を実践したいと思います。結果はまた記事にしてみます。

空焚きは別として、ゆっくり消火に関してはコロナのニオイカット機能が付いているストーブには有効かと思います。完全に炎が消えた後は臭いますので換気が必要です。だた、換気の時間が短くて済むという話です。

換気の時間を短くするというその為に試行錯誤している無能な親父ですよ(笑い)。

追記・・・今回のテンプレートはとてもかわいい感じなんですけど、目の悪い僕はチョウチョじゃなくてドクロが飛んでいるように見えて・・・一回そう脳が認識するとそう見えてしまう
やっぱり、ドクロだよなぁ・・・。色使いとのアンバランスは何これ??
テンプレートのタイトルはスウィートカフェですよ・・・ドクロね・・・。
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意外な盲点かも1

2015年02月05日 11時16分24秒 | シリーズ物
心配していた雪ですが愛知県は今のところの予想通り少なかったです。良かった濃かった。関東地方は降りそうなのでお気をつけ下さい。

さて今日と明日、ストーブの意外な盲点について書いて見ます。

今日は石油ファンヒーターに関してです。毎度の事ですが実話ですよ。

まずは石油ファンヒーターに関してです。機械に興味が無いというか、なんでもあって当たり前、置いてあって当たり前の風潮です。親は自分を犠牲にして一生懸命働に働いて・・・そんな苦労話を書いても仕方が無いのですが、やはり自分の周りにある器機にも目を配って欲しいものです。

先日子供のパソコンのメンテナンスしていた時にあまりにも寒(室温8度)かったので、子供に買ってあげたファンヒーターを点けた時の事です。

あれ?なんとなく音がおかしいぞ・・・炎もなんかむらがある。そして吹き出し口のグリルを見たところ、白い粉が指先に付くくらいにびっしり・・・・

なんじゃこりゃ~~←古いです。

この白い粉は・・・。そこでネットで検索したら、シリコン系のスプレーをファンヒーターを使いながら使用すると、スプレーに含まれているシリコンが空気中に拡散されて裏の吸気口から入り燃やされた時に白いススが発生すると事を突き止めました。

そこで、子供に聞くも、なんもスプレーなどは使っていないとの事・・・。しかし、白い物質は灰に間違いないようなので、もう少し調べたら、なんとなんと・・・。

犯人はシャンプーやリンスだったのです。実はシャンプーやリンスにもシリコンが使われており、ファンヒーターを使いながらドライヤーを使うと髪の毛に付着したシリコン成分が空気中に拡散して、あとはスプレー缶と同じ原理です。

毎日の事だからチリも積もれば山となるで、大量に吹き出しグリルにススとなって溜まっていたのでしょう。

僕が重いベランダへ出入りする窓のレールに使った、潤滑用のシリコンスプレーも原因の一つかもしれません。時間をかけて空気中に拡散か?随分前の話ですが・・・。

兎に角、思いもよらぬと申しますか日常茶飯事の事が、思いもしない結果に結びつくという事です。

このシリコンの燃えカスの白いスス、放っておくとやがてファンヒーターが点火しなくなります。その場合バーナーを見れば原因は明らかなので、ほぼ有償修理となります。

スプレー缶に関しては注意書きにもありますが、まさかリンスまでとは・・・。

保湿クリームにも含まれてるようです。この当たりは取説にも一応は書いてはあります。

発見が早かったので故障には到りませんでしたが、毎日部屋を暖めてくれるツールです。

どこか変な汚れが付着していないかを確認して欲しい旨を子供にお願いしたのですが・・・。
馬の耳に念仏?うっとうしい親父で話はおしまいです・・・。

に話しても、電気代を抑える為にファンヒーターで髪の毛を乾かしてるんだよ!と言われる始末・・・。 それとこれとは話が違うと言っても・・・いつものパターンです。

あんたが金を稼がないから悪い あんたの育て方が悪い 

みんな僕が悪いでおしまいです。 

まーね、世の中そんな人ばかりでは無いと思いますので、多少なりとも有益な情報だと思って今回記事にしたわけです。

毎日部屋を暖めてくれる大切なツールのファンヒーターです。スイッチをONする前に吹き出し口の汚れや空気取り入れ口くらいはチェックした方が良いでしょう。

長く安全に使う事が最終的には節約(お金)に繋がるとは思って日々生活しています。

もちろん6年も経てば部品の寿命を迎えますのでその時は正しく消費(買い替え)しますよ。
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葛の中にヒントが?・・・⑤

2013年03月05日 11時09分28秒 | シリーズ物
葛をテーマにしたシリーズも5回目になりました。書きながらフト浮かんだ事に尾ひれをつけて書いたものです。以下は箇条書きですよ。文才の無いおっさんなんでお許し下さい。


安いものを買ったら、やはりどこかで何かのエネルギーが奪われてる。奪われたエネルギーはどこかで補う必要が出てくる。すべての存在は総エネルギー量は皆同じって事のようです。

循環型社会の基本は、すべての環境、すべての過程で何も必要以上に奪われないって事が大原則です。仮に奪われても、容易に補われる。だから循環する。

便利な社会です。しかし、同時にとてつもない何かを奪われている。

葛布の元・つまり葛から取れる繊維は、必要な分しか作る事が出来ないようです。それは、天候に左右され、また葛から繊維をとる為には、葛だけでは無くてススキも必要になるそうです。日本の各地にススキが自生している事と葛の関係も実は相関関係が存在してるようです。

ここで、もう一度悪い喩えのクズについて考えます。ごみクズも同じ心根から思いは発せられているようですが、ようは、その良さは十分わかっているのだけれども、今の生活様式ではどうにもならない・今の技術ではどうしようもないので、それはまるで昔利用していた「葛」のようだと共時性が判断していた事から始まったのではないかと推測します。
そして、便利さが優先されるようになると、昔の生活様式をいつしか蔑むようになり、共通概念として「悪い喩の言葉」に変化して行ったのではないでしょうか。
また、結果を求めるという側面からすれば、すべての条件をクリアしても、最後の瞬間に天候に左右されたり、過程で旨く行かないとそれまで費やした仕事が無駄になってしまう・・・ほんとうにそれは台無し、クズになってしまう。葛と屑がここで表裏一対の言葉に成ったのではと推測されます。手仕事などはそういった側面が大きい。だから仕事が旨く出来ない人の事を「葛」に喩えて「クズ」と蔑んだり、感情をぶつける対象にするのでは無いでしょうか。

仕事の対象が「葛から布を作る」という事だったのが、時代が移り変わり複雑な現代社会の中での様々な「営利目的の仕事」に変化しただけで、心根は全く同じ・・・進化をしていないのでは無いでしょうか。

ただ、クズはクズでは無いって事。その概念だけは深い部分に生きている事だけは確かな気がします。
もしかするとこの瞬間にも誰かがどこかで研究を重ねて、葛から凄い作用を発見しているかも知れませんよ。

旨く書けませんでしたが(毎度の事ですがね)、多少は葛について興味を持っていただけたでしょうか?

今回はたまたま葛について少しだけ妄想を踏まえて掘り下げてみましたが、日本語の言葉には不思議な韻(印)が沢山存在する気がしますね。

このシリーズはこれで終了です。毎度くだらない記事にお付き合い下さっていただきありがとうございます。
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葛から布が・・・④

2013年03月03日 17時09分25秒 | シリーズ物
今回で4回目ですが、この事が一番不思議と申しますか、能無し中年親父が生まれて初めて知った事です・・・。

「葛から布が出来る」調べれば調べるほど不思議な・・・。便利になったのだからそれで良いではないか?という意見も多いでしょうねたぶん・・・。

しかし、今のこの便利な世界は過去の歴史に基づいているのも事実。歴史認識というと、どうしても領土の問題とか民族の問題とかに発展する傾向にありますが、もっとシンプルに今があるのは、過去のお陰・・・。

そして、知る事が新しい未来をも創造する力となるのではと思います。

葛に関して、先人の方のすばらしいブログが沢山あります。私のように妄想しているだけでは無くて実際に葛から布を作る体験をされている方も多くおられます。そちらのブログを参考にして下さい。勝手な引用になりますので今回はURLとかは載せません。興味のある方は、「葛から布が出来るんです」という検索ワードで検索してみてください。私のようなにわか親父が、触れられるほど簡単なテーマではないようです。

それで、ここに書きましたが沢山の情報が入ってきたのだと思います。

実は私、アパレル会社に何年か勤めていたのですが、その会社の研修でも葛から布が出来る話など無かった・・・。繊維の歴史の中でも語られなかった・・・・。

それだけに、不思議でならなかったのです。  葛と屑。漢字は違うが殆どアクセントも同じ言葉。(私の住んでいる地方の話ですがね)

正直、植物の葛はそこらじゅうに生えていて、厄介者でしかないので、自分もクズと呼ばれる厄介者なんだなと思っていましたよ(笑い)。

クズが濁れば、グズですよ・・・これまたあまり良い意味では使われないですね。

何故にそこまで、悪い喩の言葉に似ている「葛」。そこには、潜在意識の中に封じ込まれた不思議があるのかもしれませんね。

このシリーズ、一旦ここで終了です。複雑過ぎて紐解けないんです実は・・・。

ここからは、テーマが飛びますのでまた次回です。いつになる事やら・・・。

現在でも、工芸品?として静岡県で葛布は作られているそうです。興味のある方は検索して見て下さい。

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厳しい冬の贈り物?・・・③

2013年02月26日 15時50分01秒 | シリーズ物
葛について今回で3回目の記事ですが、葛布の前に、葛粉について少し書いて見ます。
僕も時々、自分でおやつを作るんですが、おもにサツマイモを使った蒸まんじゅうなんですがね。鬼饅頭って呼びますけどね。ベースは小麦粉なんですが、少しだけ葛粉を混ぜるんですね。そうするとつやが出るというか、饅頭の隅の方に少しだけ透明な部分ができて何ともいえない美味しさになるんですよ。
葛餅なんかも好きですよ。僕はあんこは苦手なんですが、最近の葛餅は、あんこの代わりにカスタードクリームが入ってたりとかしてこれまた美味しい・・・そんな話はどうでもいいのですが。葛粉について、その作り方なんぞをネットで検索していたら・・・。

葛の根を掘って(これもかなり大変らしいです。なにせ野生の葛ですからね)、その根から澱粉を採取するって事ですが、根を掘るのに適した一番の時期が、冬でしかも厳冬とありました。厳しい冬じゃーないと根っこの中にしっかりと澱粉を溜め込まないらしいです。しかも夏にしっかりと葉っぱを張り巡らしてとありました。
そうやって考えると、夏が猛暑で冬が厳しい・・・ずばり今年じゃーないかと単純に思ったわけです。ダメですよ!買占めなんかしたら・・・。

そうすると、今年取れた葛粉は美味しいんじゃーないかな?と思ったりもします。自然界は時々、思っても見ないプレゼントを下さります。その味が忘れられなくて、求める人は求めるものですね・・・。

この春に和菓子屋さんに並ぶ葛餅は格別に美味しいかもしれませんね。あくまでも推測ですよ。推測。

でも、この記事も葛について興味を持たなければ書かなかったし、寒い冬が教えてくださった感もあります。

なんとなく楽しみの一つが増えた気がしませんか? 葛の根の見究めも凄く難しいようです。つくづく世の中の奥の深さを知りましたね・・・そして、頂く時は自然界の恵みと携わっている人々に感謝ですよ・・・という事で今回はここまで。

次回は葛布について少し書きますね。 葛ってやはり凄いな・・・。
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くずって?(仮題)・・・②

2013年02月24日 12時18分38秒 | シリーズ物
今日は植物の葛についてです。きっと知っている人は知っている話なんでしょうけど、なんと葛は秋の七草にも入っていました。

ここで今更ながら、秋の七草って?①萩 ②すすき ③桔梗 ④撫子(ナデシコ) ⑤ ⑥フジバカマ ⑦オミナエシ だそうで・・・。ちなみに私は、⑤が秋の七草の仲間って事知りませんでしたし、おまけに⑥の花は名前も知らなかった・・・あららですよ。

参考までに春の七草は、セリ、ナズナ(ペンペン草のこと)、ごぎょう(花子草)、はこべら、仏の座、菘(カブ)、すずしろ(大根)ですよ。
こちらは、七草粥でわりとしられているかも。

話戻って、葛は秋の七草の一つだって事ですね。それで、wikiにも詳しく書かれていますが、食用、薬用・・・葛根湯って葛から作られていた??書いたらきりが無いくらい凄い植物なんですが、今は単に繁殖力の強い雑草扱いのようで・・・。というよりも、利用価値はあるのだけれども、「その精製に手間暇がかかるから廃れた」というのが現状のようですね。もっと精製に時間も電力も必要でしかも取り扱いに最高の注意が必要でおまけに廃棄物の処理まで何万年・・・その物質には巨額のお金と労力を惜しまないのに・・・書くのが馬鹿らしい。

現在流通している食用の葛粉でさえもコーンスターチや馬鈴薯が混ざっているそうな。それほど葛から純度の高い澱粉を取り出すのは手間暇がかかる事のようです。室町時代はどうやっていたのだろうと?素朴な疑問さえ沸いて来ますね。

ところで、葛ってどんな花? はっきり言って名前と顔じゃなーかった、姿が一致しないと思いますので参考までに写真をのっけます。拾い物ですごめんなさい。
葉はこんな感じ ↓

花はこんな感じ ↓

確かにタダの雑草にしか見えませんね・・・雑草ですけどね・・・。いや、そのすばらしさを知っている人には雑草では無いが、知らない人にとっては雑草としか写らないでしょうね。世の中そんな事象は山のようにありますからね。

どうして秋の七草の「葛」が自分の中で抜けているのかを考えていたら、やはり「くず」という音とその使い方にあったようです。簡単に言えば子供の頃から、お前はくずだとか、人間のくずだとか出来損ないだとか親から言われて育てられて来ましたからね・・・。当然社会に出ても同じ・・・。先輩から「のろま」とか「くず」とかね。潜在意識下で「くず」と言う音、響きをシャットアウトしていたのでしょうね。

でも、そのくずが・・・屑では無かった・・・漢字で表す「屑」も何も利用できない、どうしようもない存在では決して無い事に結びつく・・・。逆に考えれば、意図してそちらの方へ人々の関心が行かないように、向かないように操作されているとも捉える事が出来る。つまりは、元々あった循環型社会から、長い時間をかけて非循環型の消費社会へ無意識の内に誘導されている・・・。元々日本にあったすばらしい植物の存在さえも否定している自分があった事に気づいたりもします。この辺りが、言葉の秘密なんですけどね。

ほんとにすばらしい存在は、忌み嫌う言葉の中にあったりするんですね。このことは機会があれば書いて見ます。

そんなわけで、植物としての葛は大変有用なんだけれども現代の日本の消費文明の中では廃れた存在である事がわかりました。次回は葛の利用の中でも葛布を少し書いて見ます。
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言葉の意味(仮)・・・①

2013年02月23日 11時14分45秒 | シリーズ物
今日からまたまた懲りずにシリーズ物の投稿です。文才が全く無いので読みにくいと思いますので興味の無い方はスルーして下さいね。

今回のテーマは「くず」

くず。不思議ですね。屑となれば鉄屑とかごみ屑とか人間の屑とか、あまりよい喩えには使われません。葛となれば話は違って来ます。葛は植物です。でも、この植物の葛も現在はあまりよい存在ではないようです。
植物の葛。悪い喩えで用いる屑。はたして、この「クズ」に隠された意味を妄想してみます。音と漢字の違いだけでしょうか。端と橋の違いのように・・・。
実は、このテーマについて考えていますと、ものすごい量の情報が入ってきます。

情報の根幹は・・・「くず」は「くず」ではない。一見役に立たないものその中にこそ真価がある。それが、潜在意識の根幹にあるようです。
その根幹が様々な形に変化して、様々なイメージを作り上げています。思考があまりにも絡まるので、紐解いて整理します。

植物の葛の歴史を少し考えてみます。

何故私が「くず」をテーマにしようと思ったのかといいますと、ある方がくずについて話しておられました。葛は昔(その昔がいつ頃の事かはわかりません)は、どうやら布のはなしのようでした。絹は一部の身分の高い方が身にまとい、その次が綿。その次が麻、その次の余った布切れがくずだと。どうしようもない余った繊維。それがくず・・・。

その時はそうなんだと自分なりに納得しました。ところがですよ。その余った「くず」で作り上げた布切れを時の幕府のお偉いさんが休息する場所に使っていたと言う事を知って、大きな疑問が沸きました。言葉の秘密です。

くずに関して先人の方のすばらしいブログを見つけましたので、一部を引用させていただきます。以下は引用です。

日本書紀(応神天皇19年)には「冬十月の戊犬の朔に吉野宮に幸す。時に国栖人(くずびと)来朝り。因り醴酒を以て、天皇に献りて、歌して曰さく。…」とあります。また、万葉集巻10には「国栖(くにす)らが春菜採むらし司馬の野のしばしば君を思うこのころ」と詠んだ相聞歌がある。
この国栖(くにす)らというのは国栖人(くずびと)のことを指します。上古には奈良県吉野郡吉野川上流の住民を国栖(くず)と呼んでおり、今でもそこには国栖(くず)の地名が残っています。
国栖人というのは大和国家以前の山地に住んでいた人々に与えられた呼び方であったようです。主に岩穴に住んでいた人々であって、祖先の名は石押分と呼ばれていました。この国栖人というのはいわゆる山人の象徴的な呼称であったと考えられています。
引用はここまでです。引用元は「葛について」というブログからです。

頭に?マークが沢山浮かびました・・・。葛餅とか葛湯くらいは知っていましたが、葛から布ができる???これは知りませんでした。
そもそも、植物の葛について何も知りません。そこからスタートです。今日はここまでです。
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④安らぎの揺りかごとは

2012年11月23日 10時27分40秒 | シリーズ物
今回で3回目なのですが、何故かこちらを先に書きたくなったので先にのっけます。ごくごく当たり前の話です。胎教・・・でもどんなに繕っても人の本心は隠せないのです。

④安らぎの揺りかごとは。

結論から書きますと、それは、母親の子宮の内部の事なのです。これが、とても重要です。

生まれて来る前の子供にとっての安らぎのゆりかご・・・。その揺りかごが今はどうでしょうか?

実は私にとっては、時にやすらぎのゆりかごでは無かったようです。その結果生まれてきた時に、首にへその緒を3重にも4重にも巻いて生まれてきたのです。記憶にははっきりとは残っていませんが、生まれて来るのをかなりためらったようです。処置が遅れていたら、今こうしてブログなど書いていないでしょうねって当たり前か・・・。

当然、生まれてからも、厳格な父と体の弱い母・・・そんな父に、いつも殴られて心歪んでいるように見えた兄・・・。兄も私も予科練式軍隊教育を受けました・・・。

今の世の中なら完全な虐待ですよ。叩かれて鼻血が止まらない・・・目の中に星が見えても殴られ続ける・・・。そんな日々の記憶しか思い起こせません。このあたりは過去記事にありますけどね。

父も同じような人生だったようです。よくは知りませんがね・・・。兎に角、戦争がすべての生活を変えてしまったようです。

私が生まれる前は、兄の受けていた教育をちゃんと母の子宮の中で感じ取っていたんです。
そして、なんども生まれることをためらいました・・・。しかし、それもまた運命・・・だったのでしょうね。

そうそう、僕は変わっていましたよ。普通の子ではなかったようです。小さい頃・・・小学1年の頃までは、押入れの中が大好きで、綺麗な石ころを拾っては磨いて、押入れの中に綺麗に並べて飾ったり、海に流れ着いた流木を磨いて飾ったりと・・・かなり変わった習性を持っていましたね。盆栽も好きでした。盆栽は実際にした事は無いし、今ではあまり興味はないですけどね。

この子、病院へ連れて行ったほうが・・・当時の精神病院ですよ。そんな会話を夜な夜な寝たふりをして聞いていました。

そんなに変わっているのかなぁ・・と自分では不思議に思いましたね。
はっきり言って勉強は大嫌い!字は汚いし・・・でも、この子はいったい何のとりえがあるんだ・・・それも聞いていました(笑い)。

子供の頃は、絵だけは上手かった・・・いつも入選。図工とか技術家庭科、美術だけは5でしたね。それでは、受験戦争に勝てるわけないですね。
しかし、貧乏でしたからね・・・絵を学ぶ教室なんて当時は地元には無いですしね。
正直、体も弱かったので、絵を描くくらいしか気を紛らわせる事が無かったんです。

後は、いつも空想ばかりしていました。ソラに浮かぶ雲と話をしたり、虫やカエルと話をしたり・・・。今思えばこの頃の空想が今の妄想の原点かもしれませんね~。

さてと、何故自分の事を書いたのか・・・それは、安らぎのゆりかごに入っていられる時間を本当に大切にしてあげて欲しいから・・・自分のような悲惨な経験をさせて欲しくないからです。

子供にとって母親のお腹にいる時間は永遠のゆりかごに感じるのです。この話は物心つくまでの話です。

今はどうか?実はそのゆりかごが身近に存在するんですよ。

そのゆりかごは、今は暖かな太陽の光であり、心地よい風、そして自分を理解して下さる方々・・・なのです。

発想を広げれば、この自然環境を包み込む地球であり、それさえも包み込む宇宙の存在へと繋がって行く・・・。
どこで、何がどう転んだのかよくはわかりませんが、今はそれを感じる一人となりました・・・。感じても、大した事はなーんも出来ませんけどね。

でも、皆きっと同じだと思いますよ。感じても、今と云う時間を、社会生活の維持の為に日々競争に勝ち抜いておられるわけですからね・・・。
そんな暇あったら、お金を稼げ!!とお怒りになるかも・・・。だから、貧乏能無し親父だと自分で書いていますからね。

なんだか、酔いどれ親父の戯言になってきた・・・お酒飲んでませんから・・・。飲めないし飲みません・・・なので普通の意識で書いています。
そんなわけで、今の太陽の光は優しい母(元)の安らぎのゆりかごに思えました。
そして、自分の何かが、安らぎのゆりかごを無意識に求めるのだなと・・・。

一瞬、ほんの一瞬感じる安らぎを何故か強く感じたので今回のシリーズにしました。
実際の太陽は、少し荒れています。知っている人は知っていますね。

このシリーズはこれで終りです。③についてはある時、突然アップします。

人は癒しや、安らぎをきっと何かに求めると思います。でも、実は、大きな大きな安らぎの空間の中にいた・・・という話です。

少し体調がすぐれないので妄想の旅も今回はこれくらいにします。
くだらない妄想の記録に興味を持って下さってありがとうございました。
コメント (2)
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③事の理に反するとは

2012年11月23日 09時03分15秒 | シリーズ物
③事の理に反するとは・・・妄想親父の戯言ですよ。読んでくださる方・・・ほんとうにありがとうございます。

さて、事の理に反するとは。どんなことでしょう。簡単に書くならば、人は空を飛べません。それは重力が存在するからです。でも、この重力はいつの時代も同じであったかと云うと実はそうではないのです。

この辺りの事はまた別の機会で・・・。

今はどうでしょう。ハングライダーにヘリコプター。自由に空を飛べる技術を有しています。

これが、人の力。発明とも云いますね。角度を変えればこれが、事の理に反する力なのです。

また、医学の進歩もそうです。これは、もう書く必要も無いでしょうね。 

水は高い所から低いところへ自然に流れます。その力を利用して水力発電は行なわれますが、その対価(表現は難しいのですが)として、ダムを作る必要が生まれ、自然が壊され、それでも多くの人の為になっている間はまだ良いのですが、やがて一部の人間は仕事の為の仕事を作り始めます。これが、事の理に反するのですよ・・・。

やがて、その反する力(技術)を他国へ売ろうと動き始めます。この辺りは何も書く必要もないでしょう。そのままの反射を受け初めています。

そして、自然界は大きく動きます。利用は利用で報いられるのです。そして、すべての人が文明という力を利用している間は、自然界からみれば皆同じなのです・・・。私も例外では決してありません。もしも、多少の違いがあれば、ほんの少し意識出来るか出来ないか・・・ただそれだけです。

これが、宇宙から見れば皆同じ・平等という事です。

人は一人では決して生きては行けません。自己完結できないのです。そのように設計されています。そこにこそ、唯一、事の理に反する行動が出来る存在として生まれて来ている理由があるようです。

誤解してはいけません。反する行動が、許されているわけでは無いのです。その行動の結果をどれだけ意識できるか・・・あるいは感じられるか・・・その動きを見られているのです。

体が弱く、気弱だった私はどれだけ神様に助けを願った事でしょう・・・。
でも、神様は助けては下さらない。助けたくとも助けられないのです。それは、それが事の理だからです。

その理がわかれば、神社への訪問の仕方も変わる事でしょう。樹齢何百年と云う樹に触れる心も変わるでしょう。パワースポットへ行く事の意義も変わる事でしょう。

近くの公園にたたずむ木々を見つめる心が変わるのです。

そこには、自分と自然しか存在しないのです。そして、気付くのです。
本当に求めるべき姿が感じられるのです。
それでも、わからない・・・それでも迷う。 なら、出来る事を静かにするしかない・・。

祈りという言葉は僕はあまり好きではありません。そこには無意識に結果を求めるからです。

その祈りが本物かどうか。自分では点検できないからです。ですから、感謝しかやはり無いと・・・。

あんたは病気がちだから、感謝が足りないんだよ!とよく言われました。子供の頃の話ですよ・・・今でも、きっと足りないのでしょうね・・・。単純なすりキズでも普通の人の倍以上は治るのに時間がかかり、おまけにすぐに膿んでしまいます・・・。そんな体質を今では受け入れているのであまり苦にはなりませんけどね・・・差ほど子供の頃と変わってはいません。気にしないようにしているだけのことです。探せば痛いところだらけです。

ここまでこられた事も・・・感謝です。それしかありません。 

この先は、旨く書けないのでここまでにします。 なんだか支離滅裂に成ってきた・・・。
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