ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

他人の評価

2017年04月14日 | 通信-社会・生活

 2月24日付ガジ丸通信『可哀想な新米農夫』を書いている時、「俺は他人から見ればできない男、可哀想な新米農夫に見えているのかもなぁ」と他人の評価を勝手に想像しながら、「いや、俺は1日10時間も畑仕事ができる、できる男だぞ」などと、自分の勝手な想像に自分自身で反論もしていた。「いや、確かに作物の出来は悪いが、自分が食う分の収穫はあるぞ、さほど可哀想ではないぞ」とも反論していた。
 文章を書いている時は思考があちらこちらに及んで、自分に対する他人の評価についても想像してしまったが、じつは私は、他人の評価などほとんど気にしていない。ほとんど気にしていないが一部は気にしている。世に多くいる美女から見た評価は気にしている。しかし、それ以外は、例えば、男から見た評価などはどうでもいいと思っている。
 「どうでもいい」には理由もある。私はけして嫌われてもいい、軽蔑されてもいいなどとは思っていない。街に遊びに出掛けることもほとんどなく、日々コツコツと畑仕事をしている生き方であれば、特に嫌われたり軽蔑されたりすることは無かろう、嫌われたり軽蔑されたりしなければ、あとはどうでも良かろうと思っているだけ。
 あとはどうでも良かろうと思っているので、私の髪はいつもボサボサ、髭は3~5日に1回しか剃らないので無精髭の日がほとんど、襟袖がよれよれで破れているシャツを着、見えないけれど時には破れたパンツも履いている。靴は畑の土埃でいつも汚れている。
     
 ボロの服を着ている私、ブログをアップするために毎週金曜日に通っている事務所の事務員に「あんた、外で会っても私に声を掛けないでよ」と言われている。でもさ、私のようなオジサン、あるいはジイサンはきっと多くいるはず。人目を気にせず自分の好きな格好で、自分の好きなように行動する。死ぬまでの一時だ、それで良いと思う。

 他人の評価を気にするのは女性に多いのではないか。自分がどうしたいかというより他人からどう見られるかを大事なこととしているようである。だから化粧をし、きれいなべべも着る。だから、本音と建前を使い分け男を翻弄する。
 恋人が髪形を変えたのにも気付かない、香水を替えたのにも気付かない私だが、今(恋人がいた頃から20年経っている)ならその言い訳ができる。
 髪が短くても長くても、パーマでもストレートでもそんなことどうでもいいこと。香水がミカンの匂いでもバラの匂いでもそんなことどうでもいいこと。私にとっては、あんたがあんたでいることが大事なこと。あんたがあんたでいれば・・・見た目のことじゃないよ、あんたの存在そのものとか生き方とか感性とかだよ、それがあんたであり続けるならいつまでも好きでいられる。という言い訳、ちょっとカッコ良過ぎか?

 今やっている介護施設の運転手というバイト、私にとってはストレスなんだが、介護職員達から見れば「何言ってるの、あんたは運転だけでしょ、何がストレスよ」なのかもしれない。だけどさ、「若い頃の苦労は買ってでもせよ」という諺もあるじゃないか、私は若くないのだ、引退している身だ、もう苦労は卒業してもよかろう。これでも若い頃は現場の仕事を覚えながら、勉強していくつかの資格を取って会社に貢献し、パソコンも勉強して仕事に関わるいくつかのソフト使いこなせるように頑張ったのだ。現役引退している身の死ぬまでの一時、好きなことをしてのんびり生きてもいいじゃないかと思う。
    

 記:2017.4.14 島乃ガジ丸