私が高校生の頃、春になるとバスストという恒例行事があった。労使交渉がもつれてストが4月まで続けられたりすると、バスストの日は学校も休みとなって、我々勉強嫌いの仲間は大いに喜んだ。沖縄は電車が無いので、バスが止まると通学ができないのだ。
大学の頃は東京に住んでいたが、そこでも春になるとストライキがあった。交通ゼネストといって、電車もバスも止まった。よく覚えていないが飛行機もたぶん止まった。
このごろ、交通ゼネストという言葉をあまり聞かなくなった。調べてみると、1981年が交通ゼネストの実質的な最後だったらしい。労働組合のあるような大きな会社に勤めたことが無いので気付かなかったが、そうなのだ。スト無し春闘となってからもう20年以上も経っているのだ。春闘そのものはずっと続いていて、多くの労働組合はちゃんと賃上げ要求をしている。が、バブル崩壊後は賃上げどころか現状維持が精いっぱいのところが多いようだ。労働時間の削減もままならず、労働環境は悪くなっているらしい。
それに加えて、バブル崩壊後は企業業績回復の名のもとにリストラが横行している。労働者の首をポンポンと切る。まるで、これは贅肉を削ぎ落としているのである、良い行為なのである、かのように、当然のこととして行われている。失業者も増えた。
つまり、現況は、企業側の力が強いのだ。会社の言うことを聞かないと辞めさせられるとなれば、多少のことは受け入れなければならない。サービス残業も当たり前となる。
今週火曜日、水曜日と二日続けて現場に出た。久々の肉体労働のお陰で、両日ともたいへん美味しくシャワーの後のビールを飲むことができた。美味しいビールは、初日はいつもの時間に飲むことができたが、二日目はだいぶ遅くなった。なぜなら、初日は事務仕事もあったので3時過ぎには現場を抜け、いつもの退社時間に帰ることができた。が、二日目は朝から作業終了まで現場にいた。作業が終了したのは空も薄暗くなった6時半。会社に戻ったのは7時前、家に着いたのは7時半。ビールは8時過ぎとなった。
決められた退社時間は5時半、私が現場監督(数年前まではたまにやった)の場合は、よほど忙しくない限り、概ねその少し前には現場から戻って、道具の片付けなどをして、5時半には帰れるようにした。残業は極力避けた。ところが、その日の現場監督は若いT君。彼は皆の意見も聞かず(私はガジ丸記事書きで毎日忙しいので、残業を打診されたら断っていた)に、さも当然のごとく、時間過ぎても作業を続けた。1時間半の残業となった。しかし、残業代は付かない。いわゆるサービス残業というものである。
バブル崩壊後から会社勤めをしている若い人にとっては、サービス残業なんて当たり前のことなんだろうか、ただ働きすることに疑問は感じないんだろうか、と私は不思議に思った。そして、そんな社会状況に少し腹が立って、サービス残業に疑問を持たないT君にも少し腹が立って、そして、私のただ働きについては大いに腹が立ったのであった。
記:2005.2.18 ガジ丸