ユクレー屋の休みは旧暦の行事がある時などが主で、日曜日も特に休みと決まっているわけでは無かった。お陰で、ケダマンはほとんど毎日飲めたし、私も週末、金、土、日の夜は概ねユクレー屋で時間を過ごすことができた。ところが、マナが来てからは、ユクレー屋は日曜日、休みとなってしまった。なので、日曜日の夜、ケダマンと私は飲み場所を他に探さなければならなくなった。浜辺で飲んだり、シバイサー博士の研究所で過ごすことが多くなった。そういった時は、やはり、ちょっと侘しさがあった。
マナが来てからまた、これはプラス面だが、ユクレー屋は料理のバラエティーが豊富になった。マナは料理も(話も客あしらいもということ)上手であった。ウフオバーにはさすがに及ばないが、ユーナに比べたら雲泥の差がある。上手である上、ウフオバーが作らない料理、今時の料理をいくつも知っていて、それらを店の料理として出した。そういったことは、日曜日に飲めないというマイナス面を補って余りあるものであった。
というわけで、ケダマンだけでなく、私もユクレー屋で飲むことが、まあ、これまでも十分楽しかったのだが、なおいっそう楽しくなっている。
その日の、マナが出してくれた肴は、ブロッコリーの茎を炒めたものと、キャベツの葉脈(固いところ)の胡麻和えであった。それらは、私が見て、食べて、そうだと知ったのでは無く、「これ何?」と訊いて、マナが答えてくれたこと。
「ブロッコリーの茎を薄く、1ミリくらいね、スライスして、それを胡麻油でソテーするの、ちょっと焦げ目が付くくらい両面ね。それに塩コショウで味付けしただけよ。ブロッコリーの味と胡麻油の香りが上手く合っているでしょ。」
「うん、ぴったしキンコンカン合っている」(ケダマン、ゑんちゅ)
「こっちはね。キャベツの固いところをもっと薄くスライスして、塩揉みして、水洗いして、炒りゴマを振りかけて、ポン酢をかけただけよ。」
「うん、これも美味いよ。」(同じくケダマン、ゑんちゅ)
などということが毎夜毎夜あって、ユクレー屋の楽しみが増している。
その日は、マナがユクレー屋に来て2週間ほどしか経っていない頃のことなのだが、そんなこんなのことが、日曜日を除いた毎日あって、マナはもうすっかりユクレー屋のママさんになっており、その風格を十分に備えていた。そして、もう十分に我々にも慣れたみたいである。で、ちょっと訊いてみた。
「マナはさ、この島に来たのはいつ頃なの?」
「うん、もう1年くらいになるよ。何か、あっという間って感じ。」
「この島が見えるのは、何か深い悲しみがあったからということになるけど、1年前くらいにそういうことが何かあったの?」
「うーん、そうねぇ、きっちり話すのは面倒だからちょっと端折るけど、私、3回結婚してるんだよ。私、こんな可愛い顔してるのにさ、男運が悪いみたいでさ、最初と2番目の男はしょうもない奴だったんだよ。一人は酷い酒乱で、一人は酷いマザコン。で、すぐに離婚したのさ。でも、最後の、3番目の人はとても良い人だったんだ。子供もできたんだよ。私もやっと幸せが掴めたと思ったんだ。それがさ、子供が一歳にもならないうちにその人が病気で死んでさ、それから半年も経たないうちに、今度は子供が、これは私の不注意だったんだけどさ、病気で亡くしたのさ。」
「そりゃあ辛かっただろうね。」
「うん、気が狂いそうになったよ。私自身、生きているのか死んでいるのか判らない状態で一日一日が過ぎていったみたいだったさ。家の中に何日もボーっとしていたんだ。そしたら、ある日、変な世界に迷い込んでしまったのさ。」
「変な世界って、この島のこと?」
「ううん、ここじゃないと思う。何か、夢なのか現実なのかも判らないんだけど、白い道をトボトボ歩いていたら、その道端にさ、低い台の上にいくつかの箱を置いて何やら売っているのが見えたんだ。売っている方は服を着たネコでさ、女の人が一人その前に座って、箱の中のものをいろいろ見ていたのさ。近寄ってみると、小さな看板があって、そこには『幸せの量り売り』って書いてあったんだ。」
「おー、それ、俺知ってる。前にユーナに話した『怪盗マオ』の世界のことだ。そこでは、そうやって幸せを量り売りしているらしい。その幸せは、マオが盗んできた幸せで、売っている奴はきっと、マオ本人か、マオの仲間だぜ。」とケダマンが口を挟む。その話は私もガジ丸から聞いて知っているが、だけど、私の聞いた話では、幸せを売っているのはマオでも無く、マオの仲間が、マオが盗んだ幸せを売っているのでもない。幸せの量り売りをしているのは、人の弱みに付け込んで儲けているインチキ商人という話だ。
マオの住む世界に一人の商人がいた。彼が売るものは「幸せ」であった。路上にシートを敷き、その上に何種類かの「幸せ」を置き、それを量り売りしていた。客は商品の前に座り、「愛を100グラム下さい」とか「夢を200グラム下さい」とか言う。客は、それらを手に入れただけで幸せを感じる。手っ取り早い幸せだ。癖になる。
商人は客に幸せを売るが、それらの対価として物や金は求めない。その人が本来持っている「幸せ」を頂く。自分で作り上げていく「幸せ」だ。商人は、彼が作った見せ掛けの「幸せ」で、本物の「幸せ」を得るわけである。ぼろ儲けである。
本物の「幸せ」を売って、見せ掛けの「幸せ」ばかりで生きている人々は、そのうち、幸せになる力を失くしていく。・・・といった内容であった。
「で、どうしたの?」
「幸せを売っているのなら買いたいと思ったよ。で、そうしようと思って、箱の中にあるキラキラしたものを手に取ろうとしたら、肩を叩かれたんだ。そして、『止めな』って声がしたんだ。振り向いたらさ、そこには商人とは別のネコが立っていたんだ。そのネコも服を着ていたんだけど、それは何の違和感も無くて、逆に何か懐かしい感じがして、心が温かい気分になったんだ。で、思わず抱きついたんだ。抱きついたら急に涙が出て、ワーワー泣いて、しばらくして気が付いたら、浜辺に立っていたのさ。」
「そこがユクレー島だったわけだ。そして、そのネコはガジ丸だったんだね。」
「そう、私が顔を上げたら、『ここはユクレー島、俺はガジ丸。しばらくここにいな』と言ってくれたんだ。で、以来、ここに住んでいるというわけよ。」
以上でマナの身の上話は一応終わった。酷い酒乱や酷いマザコンの詳しいことにも興味はあったが、それらは追々聞いていくことにしよう。その夜のその後は、いつものように笑いの絶えない楽しい飲み会となった。マナはすっかり立ち直ったようである。
語り:ゑんちゅ小僧 2007.3.4