無垢板:まじりもののない板。「無垢の一枚板」と使う(広辞苑)
合板:薄く削った薄板(単板・ベニヤ板)奇数枚を、木目が互いに直交するように接着剤で張り合せた板。(広辞苑)
修正材:無垢の角材を張り合わせて板状にしたもの。(ガジ丸)
などという言葉を知ってもらった上で、修理するということの話。
表面に傷ができた、塗装が剥げたなどの際に表面を削ったり、穴埋めしたり、古い塗装を剥がして新しく塗り替えるといった修理が効くのは、上記の材料でそれぞれ作られた家具の場合、第一に無垢板、次に修正材となる。合板もできないことは無いが、難しい。
無垢板を用い、分解ができるような伝統的な組み方で作られた家具は、修理ができるように作られている。修理しながら100年も200年も使っていけるよう作られている。壊れないような強固なモノを作るのではなく、ある程度壊れることを想定し、修理ができるようにしようという考えだ。100年かけて作られた木材であるならば、100年は使えるようなモノにしようという考えだ。これこそエコロジーと言えるであろう。もし、修理不能なほどに壊れた場合でも、無垢板であれば、その板を別の用途に転用することができる。板はまた、古ければ古いほど価値の出る場合もある。一つの財産となる。
壊れたら捨てる。壊れていなくても傷がついて見た目が悪くなると捨てる。などといって大量に物が捨てられていき、地球はゴミに溢れてしまったが、家具とは違い、テレビもパソコンも古いものに価値があるなんてことは無いみたいだ。古いものはどんどん捨てられていき、溢れるゴミはさらに増えつづけていくしかないようだ。残念だが。
今朝、出勤前に電気屋へ寄った。年末に突然壊れたテレビを修理に出してあって、治ったと言うことで取りに行ったのだ。修理代は約1万円。14インチのテレビなど1万円出せば量販店で売っているというのだが、生まれてからまだ5年ほどしか経っていないテレビ、廃棄処分にするのは忍びなかったので、生き返らせてもらった。ところが、せっかく生き返らせてもらったテレビなのだが、戻る場所が無い。元いた場所には新しいモニターが座っている。古き物は新しい物に太刀打ちできない。さて、どうしたものか。
修理することはエコロジーですよ、大事なことですよ、などと新年早々生意気な口を利いたガジ丸だが、なかなかもって、エコロジーは難しいもんだと再認識させられた。
記:島乃ガジ丸 2005.1.7