ガジ丸が想う沖縄

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自給自足の険しい道:生活編

2011年06月10日 | 通信-社会・生活

 我が家の墓の隣の隣、無縁墓になった所に建築端材などで作られた小屋が建っている。そこに、十年以上も前から自由人が一人住み着いている。
 自由人の小屋に電気は引かれていない。灯りが無い。おそらく、「暗くなったら寝る」という生活スタイルなのであろう。懐中電灯を持っているので、たまには夜出かけることがあるのかもしれない。たまには夜、トイレへ行ったりもするのだろう。
  自由人の小屋にはガスも引かれていない。一斗缶で作った釜に枯れ枝や廃材を薪にして煮炊きをやっている。その他に、カセットコンロも持っている。雨の日など、薪が燃やせない場合にはカセットコンロを使用しているのかもしれない。
 自由人の生活において、上述した通り、電気やガスは無くても大丈夫みたいだ。しかし問題は残る。大きな墓地公園だとトイレがあり、そこに水道もあるのだが、我が家の墓がある墓地にはトイレも水道も無い。自由人は水をどうしているのだろう。トイレ、小はともかく、雲子はどうしているのだろうと疑問。いつか訊いてみよう。
          

 念願の畑小屋ができて、ほんの一畳ほどの大きさだが、一応、建物も自作できるということを確認できた。三年後くらいには四畳半か六畳ほどの小屋を建てるつもりだ。
 その小屋の屋根にはソーラーパネルを設置し、バッテリーも備え、自家消費電力は自家生産する。灯りとオーディオとパソコン程度はそれでまかなえると思う。電気はそれで十分、沖縄電力の世話にはならない。電気代を支払うことは無い。
 煮炊きは、墓の自由人を真似て、枯れ木や廃材などを利用した直火釜を作り、普段はそれを主に使い、たまには電気コンロも使用する。ただ、電気コンロは電気消費量が大きいので、太陽がガンガン照っている時にしか使えないかもしれないが、まあ、それで十分だと思う。ガス会社の世話にはならない。ガス代を支払うことは無い。
 畑の一角に井戸のような間口の狭い、深い穴を掘り、地下水では無く、雨水を溜める池を設ける。蓄えられる水の容量は500リットルほどでいいだろうか、風呂、洗濯など日常生活に必要な水はそれでまかなう。ポンプで汲み上げて、濾過器(これも自作する、先日、叔父に作り方を教わった)を通して、飲み水としても使えるようにする。水もそれで十分間に合うと思う。水道局の世話にはならない。水道代を支払うことは無い。

  ところがだ、水道代には上水道と下水道とがある。上水とは来るもののこと、下水とは出すもののこと。出すもの、雲子の始末をどうするかが問題となる。下水道だけは水道局の世話にならなければならないのか?それとも、向こう10年分位の雲子を溜めることのできる深い、深い、深い穴を掘るか?深い、深い、深い穴が自力で掘れるか?
 雲子の始末だけを考えても、自給自足の道は厳しい。水だって、雨が適当な時期に適当な量が降ってくれないと、500リットルの池なんてすぐに干上がる。海の傍に住んで、海水淡水化機械を設置して、水と塩とを得る、なんてことも考えたが、海水淡水化機械導入は大きな設備投資だ。貧乏な私にはとても無理な話。
 さらに細かいことを言えば、味噌、醤油、泡盛など、自家生産できないもの、または自家生産するには面倒なものがたくさんある。それらは買わなきゃならない。「兄さんは正しい、応援するよ。」と弟は言ってくれたが、弟よ、自給自足の道は険しいぜ。
          

 記:2011.6.17 島乃ガジ丸