ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

沖縄三越

2014年09月25日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 沖縄三越が店仕舞するというニュースは数ヶ月前にラジオから聞いていた。沖縄県民の中でデパート好きの人には愛されていただけに、残念に思う人も多かろう。さほどデパート好きで無い私でも三越にはあれこれと想い出はある。
 沖縄三越は、確か私が小学校の頃までは大越という名であった。大越の1階には主に東宝映画を上映する映画館があり、最上階にはレストランやパーラーがあり、屋上には遊園地もあった。小さな動物園もあったように記憶している。
 両親はたまに、ほんのたまに子供達を大越に連れていった。レストランで何か食べたような記憶があり、遊園地で、回転するコーヒーカップに乗り、気分が悪くなった記憶も残っている。映画館で加山雄三の「若大将シリーズ」を観たのもその頃だ。

  中学の頃、その時大越だったか、三越と改称した後だったかは覚えていないが、そこのトイレで嫌な想い出がある。国際通りを一人で歩いていたら、後ろからやってきた男に突然肩を組まれた。男は少年だ、少し年上、高校生だったかもしれない。低い声でデパートに入るよう命令し、店内に入るとトイレに連れて行かれた。カツアゲだった。
 「ジン、持っちょーらやー、だー、借りら、へーくいじゃせー」などと言われた。「金持っているだろ、どれ、借りよう、早く出せよ」といった意味。私がちょっと生意気な口答えをすると、軽くだが顔をグーで殴られた。結局、持ち金の半分を取られた。

 高校の頃の想い出は、三越のすぐ近くに「田舎」という飲み屋があって、そこの女将さんが沖縄の伝統料理をきちんと作れる人で、沖縄の食文化でいろいろ教わったことを想い出す。同じくすぐ近くにパチンコ屋とかマシン(スロットマシン)屋があって、そこでよく遊んだことも想い出す。三越そのものについての想い出はほとんど無い。
 大人になってからも、三越だけでなく他のデパートにも私はあまり用が無かったので、想い出はほとんど無い。彼女と二人でデパートへ、ということも無かった。
 30代半ばになった頃、木工が趣味となり、知人の木工所へ通ってあれこれ制作していた。その頃、木工家と漆芸家の集まりである「木と漆の会」という団体が年に1回、三越で展示会をやっていたので、それを見に三越へ行ったことを覚えている。
  その後は、桜坂劇場で映画を観たついでなどに寄ることはあった。地下の食品売場に私好みのトウフヨウがあり、それを2、3度買っている。同じく食品売場に美味しそうな刺身(島蛸など)があった際に買ったこともある。であるが、何しろ「さほどデパート好きで無い私」なので、三越が目的で三越へ行くことは無かった。

 先月(8月)、桜坂劇場で会員の更新をした帰り、「そういえば三越、9月には店仕舞するんだったなぁ」と思い出して、三越へ寄った。斜め向かいにあるテンブス館の広場から沖縄三越外観の写真を撮り、道を渡って中へ入る。島蛸の刺身があれば買おうか、私好みのトウフヨウがあれば買おうかと思って地下へ降りる。どちらも無かったが、せっかく来たのでと、180円もするインスタントラーメンを買う。
 子供の頃から親しんだデパート沖縄三越、私の最後の想い出は180円のインスタントラーメンとなった。インスタントにしては美味しかった。さすが三越と思った。
     
     

 デパート沖縄三越
 1957年(昭和32年)、大越という称号で営業開始。沖縄県では山形屋、リウボウにつぐ3番目の百貨店。1970年、三越と資本提携し、沖縄三越と改称。商品の大半も三越ブランドとなる。那覇市国際通りの中心に立地し、売り上げは業界トップとなる。

 ちなみに、リウボウは1954年開業、その前身は琉球貿易株式会社。
 山形屋は1930年に開業、その前身は山形屋呉服店沖縄支店。
 なお、山形屋はだいぶ前に廃業し、その跡地、今は確か、ホテルになっている。リウボウは健在。三越の跡はリウボウが引き継ぐらしい。

 記:2014.9.21 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行