ガジ丸が想う沖縄

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世界が百戸の農家なら2

2013年01月04日 | 通信-社会・生活

 年が明けて2013年、今年の農夫、じゃない、抱負を考えた。今年一年は農業をもっと勉強して正しい知識を蓄えつつ、300坪の畑で私が消費する食料のほとんどを賄えるようにする。つまり、「自給自足芋生活を成功させよう」とした。
  共同作業というものをやった経験のある人ならご存知だと思うが、例えば、四畳半ほどの畑小屋を一人で建てるのに100日かかるとしたら、二人でやれば50日か、というとそうでは無く、もっと短くて済む。一人でやると困難なことが二人だと楽に出来たり、作業分担で時間を節約できたりするので一人よりずっと効率的なのだ。
 何が言いたいのかというと、例えば、300坪の畑を管理するのに一人必要だとし、そこから得られる食料が一人生きて行く分だけの生産量だと仮定したら、二人で働けば効率的にできるので600坪以上の畑を管理でき、二人分以上の食糧生産ができるであろうということ。人数が増えれば増えるほど余剰の食料が増えるということだ。

 余剰の食料が10人分あれば、10人の人は農作業をせず、その食料を貰って他の仕事に専念できるというわけだが、そこで、数年前に流行った『世界が百人の村なら』に倣って、「世界が百戸の農家なら」と、ちょっと考えてみた。

 その島には百戸の農家が暮らしていて、それぞれが耕作し、魚釣をし、塩や砂糖を生産し、ほぼ自給自足していた。また、それぞれが綿花を栽培し、農閑期にそれぞれの服を仕立てた。家を建てるときは、今年は誰と誰の家をと計画し、皆が協力した。
 島は平和であったが、そういう暮らしは年中休む暇が無く、皆が忙しかった。ということである年、百戸が集まって話し合いをした。作業は分担した方が効率的であり、専門となることで、生産も向上し、時間に余裕が生まれるであろうとなった。
 そこで、百戸のうちの半分は米作りから離れた。残りの五十戸はそれまでの倍の面積を耕作することになったが、米作りと自給の野菜を作るだけなら楽であった。米作りから開放された五十戸は、それぞれ魚釣専門、服作り専門、建築専門などとなった。
 魚釣専門は皆が必要とする分の魚を提供することで、自分が必要とする米を得た。服作り専門も建築専門も同様であった。百戸はそれぞれがそれぞれの仕事に専念することで生きていけた。専念は効率が良かった。皆に時間の余裕ができた。

  天変地異が無いという条件なら、私もその島で平和に生きていけそうな気がする。その代わり、テレビもラジオもパソコンも無いという生活だが。・・・娯楽はしかし、それなりのものが楽しめるかもしれない。時間に余裕があれば、祭りが生まれるだろう。春夏秋冬の祭りや、山祭り、里祭り、海祭りなどで島の生活は楽しいかもしれない。
 なにしろ、食っていけるという安心感があるのだ。時間だけで無く、心にも余裕ができる。心に余裕があると、優しい気分になれる。優しい気分の多い島は「困った時はお互い様」という助け合い精神に満ちているので皆が幸せである。他人を踏み台にして自分だけが得しようとガツガツした人が少ない島は、きっと平和である。
 世界が百戸の農家なら、百戸が相談し、半分は農家まま、残りの半分は他の仕事に専念することになるはず。そして、そこが平和であれば、私もその中の一人でありたい。
          
          

 記:2013.1.4 島乃ガジ丸