もう長いこと顔を見ていないので、その存在も忘れてしまうところだった。久々にモク魔王がユクレー屋にやってきた。
「やー、久しぶりじゃないか。」(ケダマン)
「おう、去年の年末以来だ。」
「何してたの?島にはいなかったの?」(私)
「あー、たまには帰っていたがな。ほとんど留守にしていたな。」
「どこに行ってたんだ?」(ケダマン)
「ヨーロッパ、フランス、パリ。ハルにつき合わされていた。」
ハルとはモク魔王の女房のことである。モク魔王と同じくネコ型のマジムンだ。どうやら、女房というものはマジムンであっても煩いようで、「あーしてこーして」とあれこれ命令されるらしい。「お願い」と口では言うが、断ると、怒ったり拗ねたりし、時には陰湿な仕返しをされたりする。で、なかなか断れない。実質的には命令なのである。
そういったモク魔王の愚痴がしばらく続いて、ジョッキ一杯を飲み乾した頃、
「誰?」と、カウンターの向こうでマナが訊く。マナとモク魔王は初対面だった。二人を互いに紹介してあげる。モク魔王は悪魔とは違うので、恐怖を感じさせることは無い。グーダとは恐る恐る付き合っていたマナだが、モク魔王とはすぐに打ち解けた。
「モク魔王と悪魔のグーダとどんな関係なの?」と訊く。
「グーダと私は特に関係は無い。私は実在した生き物が変化したマジムンだ。グーダは人間の、悪の想念が実体化したものだ。」とモク魔王が答える。すると、ケダマンが、
「おー、そういった話をしていると現れるぞ。」と口を出す。で、その通り、そのすぐ後に、生暖かい風が吹き込んできて、彼が現れた。グーダだ。
「はいはい、どーも、お呼びのようで。」
「別に呼んだわけじゃないんだがな。」(ケダマン)
「マナさん、ビールください。」とグーダは注文し、腰掛けて、我々の方を向く。
「やっ、今日はいつもより賑やかだな。・・・あっ、モク魔王じゃないか。」
「おう、久しぶりだな。相変わらず怠けているのか?」
「あー、まあ、のんびりが一番だよ、なあ、マナ。と、そういえばマナ、お前、このあいだ見たぞ。道をトボトボ歩いていただろ?元気なさそうに、うつむいて。」
「えっ、見てたの?どこで?どこから?」
「この近辺は私の縄張りだからな、あちこち定期的に見てるよ。人の見えない少しずれた次元からな。ところで、今はお前元気そうに見えるが、何かから立ち直ったか?」
「うん、まあね、ちょっと悩み事があったのさ。これから先、私はどの道を歩いて行けばいいんだろうなんてことをさ。」
「ほう、道か。道はたくさんあるからな。」とグーダは言って、突然、歌い出した。
「千のかーぜーにー、千のかーぜになーあーってー、って歌知ってるか?」
「うん、聞いたことあるよ。クラッシックの歌手の人が歌ってる。」
「そう、それ。この歌の通り空にはたくさん風がある。そして、地上にはたくさんの道がある。千のみーちーがー、千のみーちがあーあーってー、ってわけだ。」
「何の話よ?」
「うん、そうだな、ちょっと真面目なことを言うと、お前の目の前には万の道がある。しかし、その道のどれもが生きるのに適した道というわけでは無い。だけれども、お前の目の前には少なくとも、生きるのに適した千の道がある。その道のどれを選んでも、お前は十分に生きていける。生きていることが幸せであるならば、お前の目の前には、少なくとも千の、幸せの道があるということになる。って話だ。」
「あー、そういうこと。うん、何となく解るよ。」と言ってマナはニッコリ笑う。その笑いが余裕のある笑いであることに私も気付いたが、グーダが先に口を開いた。
「って、お前、隠してるな。何か幸せを持っているな?」
「えっ、ううん、何も無いよ。」とマナはすっとぼけた顔をする。だが、何かあると私は感じた。で、少し追求してみたが、マナは口を割らなかった。
マナの秘密は気になったが、それはウヤムヤなまま、話題はモク魔王の苦労話に戻り、その話で盛り上がり、その夜の宴会は夜更けまで続いた。
記:ゑんちゅ小僧 2007.11.2