ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

頭垂れないわけ

2019年09月06日 | 通信-その他・雑感

 薬草研究家のHさん、一緒に野山を歩き回って薬草探しもやっているが、ここ2ヶ月ほどは出かけていない。予定していた日に雨というのが何度かあって延期が続いている。延期の理由は天気だけではなく、参議院選挙もあったから。Hさんは基地反対派の候補を応援していて、その運動でも忙しかったから。そして、私の体調不良もあったから。
 薬草探しに出かけることも無く、雨が多かったので散歩に出かけることも少なかった私だが、ヒマだったということは無い。私はボーっとしている時間が、特に今年になってから長い、パソコンを30分見ていると目が痛くなり、頭痛がしてきつい。30分パソコンやった後は30分はボーっとしている。腰痛の腰休めの意味もあって時々はベッドに横になる。ベッドに横になると、時には眠っている。そんな日々を暮らしている。

 そんな日常のある日、6月23日の慰霊の日、その翌日だったか翌々日だったか、Hさんが私を訪ねて来て、しばし慰霊の日の話、戦争の話など聞かせていただいた。
 「終戦時、6歳だった子が今年80歳になりますねぇ、あと10年もしたら90歳ですよ。戦争を語れる人がほとんどいなくなってしまいますねぇ。」と話すのを聞いて、「戦争体験を残さなきゃ」と私はふと思い付いた。戦争体験記はおそらくいくつもある、映像になっているものも、本になっているものも多くあるに違いない。私もテレビか映画でそれらを観た覚えがある。それでも「もっと残そう」と思った。
 まだ語っていない人がいるだろう、そんな人の中には軍国少年だった人もいるだろう、逆に「戦争反対」と思っている人もいただろう、ただ、時の流れるままに生きた人も多かろう。そういった人たちが沖縄戦の間、何を思って過ごしていたのかに興味がある。
     

 あるお年寄りに話を伺ったら
 「タケ部隊という日本軍が近くにいて、そこの押切曹長と仲良くしていた」と聞き、
 「あっ、俺は軍そのものついてほとんど何も知らんぞ」と気付く。沖縄に軍が配備されたのは1944年3月の事。配備されたのは第32軍。武部隊とは第9師団の通称で、第32軍には3つの師団が含まれている。「軍って何だ?師団って何だ?」となる。
 さらに、沖縄戦はいつから始まって、どのような経緯を経て、どのように終了したか。
沖縄戦にはどれだけの戦力がつぎ込まれたのか。サイパン、グァム、フィリピンなど外国の戦況と沖縄はどう関わったのか。などなど分からないことが多い、「いかん、これではお年寄りたちに話を伺う資格が無ぇぞ」。ということで、その日から沖縄戦の勉強。
 疎開とは何だったのか、十・十空襲とは何だったのか、艦砲射撃とは何だったのか、集団自決とは何だったのか、それらには何の意味や意義があったのか、私ははほとんど知らない。図書館行って資料を読み、資料を借りて家でも読み、自分が理解できるように内容をまとめていく、時間かかっている。脳味噌フル活動している。こんなに勉強するのは大学受験以来ではないか、しかし、やっている割には頭に入らない。齢のせいであろう。
 そして、そんな中、私はショックなことに気付いた。「あー、俺は地位も名誉も金も無い。それでも傲慢なのは、うわべの知識だけで物事を良く知っているぞと勘違いしていたからだ、知識があるから俺は偉いんだぞという思い違いをしていたからだ」と気付いた。中身が無いから実らない、だから、頭を垂れることが無いんだな、と気付いた。
     

 記:2019.8.30 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行