ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

本の本分

2011年10月28日 | 通信-社会・生活

 父の残した書籍は約300冊ほどある。このうち表紙がぼろぼろ、中の紙もよれよれとなっているもの、及び、父の仕事に関係する資料などを除いて、読む人がいるであろう、または、本としての価値があるであろうと私が判断したものが約200冊あった。
 沖縄学関連、戦争関連、政治関連が多くを占めるそれらの書籍、身内で欲しいと思う人がいればあげてもいいのだが、いない。沖縄学の書籍の中には価値のあるものが十数冊ほどあるが、それらに多少なりとも関心があるのは私くらいで、私としても「いつかは読むかもしれないが今は要らないもの」なので、さて、これらをどうするか考えた。
 古本屋に売れば、もしもその古本屋に本を良く知るオヤジがいれば、「ふん、ふん、これは価値があるもんだね」などと高く引き取ってくれるかもしれないが、若造しかいない古本屋だと二束三文の値段になるであろう。それでは本が可哀そうである。

 二ヶ月ほど前、父と私の母校であり、現在、従姉の娘Sが通っている首里高校へ電話した。図書館へ父の蔵書を贈呈したいと申し出たら、「それはぜひ」となった。図書館が要るもの要らないものを判断できるようにと数日後、実家へ行き、父の蔵書を一列に並べ、タイトルが見えるようにその写真を撮り、つまり、父の蔵書のリストを写真で済ませたというわけだが、その写真数枚に、贈呈する旨を書き添えて封書に入れた。それは8月の終わり頃のことであった。引っ越しのための荷運びで大忙しの頃であった。
 大忙しでも、実家へ行くと父の蔵書が一列に並べられている。「あー、図書館へ手紙渡さなきゃ」とそれを見るたび思い出す。ところが、封書は引っ越しのどさくさでどこへ行ったか見当たらない。そのうち封書のことを忘れる・・・を繰り返して、

 10月になって、パソコンのセッティング(プリンターと繋いだりなど)を終えて、贈呈書を新たに印刷して、新たな封書に入れ、従姉の娘Sに託し、首里高校図書館へ届けさせる。その返事が10月20日にあり、電話で打ち合わせをしたいとあった。
 24日に電話する。「取り合えず全てを持ってきてもらって」と言う。(取りに来るんじゃないんだ、俺が持っていかなきゃあならないんだ)と思いつつ、
 「いいですよ、持っていきますよ。でも、中には高校生の興味対象外のものもあると思いますが、要らないものはそちらで処分してくださいね。」と応じた。

  その日の午後、約200冊の本を6個の段ボール箱に詰めて、首里高校へ行った。校内に入るのは30年ぶりくらいである。正門は昔のままだが、中に入ると、私がいた頃とはまるっきり変わっている。あんまり変わっているので懐かしさは微塵もない。
 さっそく担当者と会い、あれこれ話をする。「政治家(野中広務とか小泉純一郎とか管直人とかその他諸々)の著作など、高校生は興味無いでしょう。」と言うと、
 「いえ、生徒では無く、教職員の中にそういったものに興味があって、欲しいという者が何人かいるんですよ。」との答え。(なーんだ、先生が欲しがっているのかよー)と、政治を志す高校生がいるかもしれないという淡い期待が外れて、私はがっかり。
 でもいいのだ。自分の蔵書が誰かの役に立つとなればグソー(後生)の父も喜ぶであろうし、家で眠っているより誰かに読んで貰う方が本の本分というものだ。
          

 記:2011.10.27 島乃ガジ丸