ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

欲望の行きつく所

2012年03月09日 | 通信-社会・生活

  1月中旬、友人のE子が私の畑に来た。何か食えるものはないかと彼女の目がギラギラ輝く。パセリをちぎって口の中に入れた。それは別に構わない。食べられることでパセリは役に立っている。さらにE子はすくすくと育っているジャガイモを見つけ、「ジャガイモ掘ってみようよ、できているかもしれない」と言う。「掘るのはまだまだ先だよ」と答えるが、「1株でも試しにさぁ」とさらに要請する。もしかしたら食えるかもしれないと思っていやがる。ジャガイモの掘り時、私の感覚では早くとも一ヶ月以上先だ。今掘ってもジャガイモは人の役にほとんど立たない。ということで、これは強く断る。

  別の友人K子は「得することが死ぬほど好き」といって憚らない。そんなにガツガツしなくても生きて行けるだろうと私は思うが、得することへの強い欲求は人間のあたり前の性質だと思っているようだ。「あんたのその欲が原発が無いと成り立たない社会を作ってるんだぜ」と私はまた思う。欲の強さは生きるエネルギーであり、社会の発展の源であるかもしれないが、自然を壊してまで・・・つまり、未来の人間の命と今の自分の命が繋がっていると思えば、自分で自分の首を絞めるようなことをしてまで欲望を満足させなくてもいいじゃないかと思う。E子もK子も好きな人たちだけに少し悲しくなる。

 しかし、彼女らはまだ可愛い(見た目でも)方である。私の姉のように親の金を欲に任せて使い込むような女もいる。それも当たり前と思って反省しない、戦争を反省しない日本帝国の生き残りみたいなものである。彼女を見ていると「悲しくなる」を通り越して、気持ち悪くなる。「犯罪の影に女あり」というが、戦争が「欲望の行きつく所」であるとするならば、「戦争の影に女あり」とも言えるかもしれない。

 「ねぇーあなた、イノシシの肉が食べたいわ、盗ってきて。」
 「イノシシなんてそう簡単には獲れないよ。」
 「獲ってって言ってるんじゃないよ、盗ってって言ってるの!」
 「盗って?ってどういうことだ?」
 「隣町にイノシシを何頭か捕まえた人がいるのよ、それを盗んでってことよ。」
 「えーっ!泥棒するのか?見つかったらどーすんだ?」
 「相手を殺してでも盗って来るんだよ!愛する女のためにさっ!」
 男は女の言う通りにした。そしてイノシシの所有者を、見つかってしまったので仕方なく殴って怪我を負わせてしまった。後日、男はイノシシの所有者仲間から報復を受けた。それに怒った男の親族たちが隣町に殴り込みをかけた。そして、戦となった。
 なんてことが昔、昔、その昔、ある所であったかもしれない。

 E子の言動をみると、本音と建前を使い分け上手く世渡りができ、上手く得するような知恵を身に着けることが大人であると思っている節がある。しかし私は、「自らの欲望をコントロールできることが大人」という考えだ。脳科学の詳しいことは知らないが、脳幹に心を支配されるのでは無く、前頭葉が脳幹をコントロールするということ。平和であり続けることこそ人間の知恵の働かせ所で、知恵は前頭葉から生まれる、はず。
          
          

 記:2012.3.9 島乃ガジ丸