ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

おっぱいの力

2008年08月08日 | 通信-社会・生活

 先週の金曜日、金曜日のみの職場へ出勤すると、駐車場でそこの社長とばったり顔を合わせた。「おはよ・・・」と言い終わらないうちに、
 「産まれたよ昨日、女の子だ。」と言う。彼の娘が無事出産したとのことだ。その娘は私の従姉の娘であり、私が目の中に入れても痛くないほど可愛がった娘だ。その娘が第一子を無事出産した。母子共に健康とのことである。私も嬉しくなる。
 少々難産だったらしい。その娘はお尻が小さいので、「さもありなん」と思う。彼女はまた、おっぱいも小さい。「ちゃんと母乳が出るのだろうか」と要らぬ心配をする。その翌日、友人のE子に会ってその話をすると、「おっぱいの大小と母乳の出は関係が無い」とのこと。また、「妊娠六ヶ月頃からおっぱいも大きくなる」とのこと。そういえばと、そうなった頃の女友達や友人の娘たちを思い出す。彼女らは、貧乳は普通となり、普通乳は巨乳となっていた。巨乳となったものを1度触らせたもらったが、見事だった。
          

 このところ、無差別殺傷事件のニュースを頻繁に耳にする。我が身の将来を不幸にしてまでも犯罪に走る者たちの心情が、「人生は楽しい」と、日々暢気に生きている私には理解し難い。体の不自由や病気などで苦労している人ならともかく、健康であれば、仕事を選ばなければ、贅沢をしなければ、食ってはいけるはず。
  日本は独裁国家では無い。恐怖政治では無い。仕事で時間を縛られるかもしれないが、少なくとも精神の自由は保障されている。「自由に考えることができて、生きている。」だけで十分「幸せ」のハードルは越していると思うが、犯罪を犯す者たちのハードルは高いのであろうか。「とても幸せじゃなきゃ嫌!」なのであろうか。
 あるいは、もしかしたら彼らは、愛情不足なのかもしれない。愛されている、または愛されていたという実感が足りないのかもしれない。なので、「どうせ俺なんか誰からも相手にされないし、生きていてもしょうがない。」などと思っているかもしれない。
 もしかしたら彼らは、愛情の源である母親から、愛を感じることが少なかったのかもしれない。母から強く抱きしめられたなどという経験が少なかったのかもしれない。「俺なんか必要の無い子供だったんだ。」などと思っているのかもしれない。

 二ヶ月ほど前、歯医者へ出かけた。半年に1回は歯石除去などの掃除が必要ですと言われて、虫歯治療をした去年10月以来の歯医者。
 若い、女性の、歯科衛生士が私の唇や口の中を弄ぶ。それだけでもオジサンは嬉しいのだが、彼女のおっぱいがまれに頭に当たる。ムニュっという弾力を頭が感じる。それはオジサンの小さな幸せとなる。何だかとても楽しくなる。明日も元気に生きてやるぞ!って気分になる。そんなオジサンが増えると、世の中は平和になるに違いない。
 というわけで、おっぱいは世の中を幸せにする力がある。そして、もしかしたら、個人の心の安定にもおっぱいは関与しているかもしれない。母親に抱かれて乳首を含んだことを私は覚えていないが、母親はそうしてくれたと思う。それがおそらく、愛されている実感として記憶の深いところに残り、私の「人生は楽しい」気分があるのだと思う。
 残念ながら乳の出ないお母さんもいるであろうが、それでも、赤ちゃんを胸に抱きしめて欲しい。それが平和の源かもしれないのだ。従姉の娘にもそう進言しよう。
          
          
          
          

 記:2008.8.8 島乃ガジ丸