私の両親は二人とも若い頃に運転免許を取り、父はもう20年ほど前から運転しなくなったが、母は今でもバリバリ乗り回している。運転歴50年近くにはなるであろう。
私が小学生の頃、我が家では一家総出、時には数人の従姉弟たちも加え、毎年夏休みにヤンバル(沖縄島中北部の通称)ドライブを恒例としていた。家には自家用車もあったが、その日には10人くらいは乗れるバンタイプの車を借りた。運転手はたいてい母であった。昔の運転免許は年月が経つと自動的に自動二輪や大型や二種免許が付加されるようになっていて、私の両親ともに大型二種まで運転可能の免許となっている。
ヤンバルの観光名所といえば、今は海洋博公園、県民の森、多幸山の沖縄村、パイナップル園などなど、たくさんあるが、当時はそのようなものはほとんど無くて、「ヤンバルへ遊びに行く」というと、「インブビーチで海水浴」くらいなもので、他にはあまり記憶が無い。名護市許田に親戚がいて、その家の近くで川遊びしたことくらいである。なものなので、子供の頃毎年ヤンバルドライブをしたのだが、その時、どこで何をして遊んだかは、「インブビーチで海水浴」と「許田で川遊び」以外は思い出せない。
今年の春、仕事で今帰仁村を訪れた。その時、車の中からだが、見覚えのある懐かしい風景を目にした。すぐには思い出せなかったが、後で、「あー、あそこは、あそこだ」と思い出した。仲原馬場であった。馬場だから昔はその通り馬場であった場所。昔とはおそらく戦前までのことで、現在はもう馬を走らせることは無いようである。
我が家の恒例のヤンバルドライブ、その昼食は決まってこの馬場で取った。リュウキュウマツの木陰にゴザを敷き、母手作りの弁当を皆で食べた。子供たちは食事の後、この広い場所でボール遊びや鬼ごっこをして遊んだ、・・・たぶん・・・記憶は無いが。
記:ガジ丸 2006.10.18 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行