ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

自由に必要なもの、映画『カタブイ』

2017年02月24日 | 通信-音楽・映画

 毎年の2月14日に、私に贈り物をくれる従姉の息子の嫁、才色兼備の良妻賢母Mへバレンタインのお返しに畑のジャガイモ、ニンジン、タマネギを持って行く。
 大腸癌から始まり、徐々に身体のあちらこちらに転移し、6年間も癌と闘い続けている友人のRを元気付けるため、膝痛で病院通いとなったKを元気付けるため、双子の息子2人の高校入学が決まった友人Fを祝福するため、それぞれに野菜を持って行く。
 才色兼備のMも、友人のRもKもFも那覇に住んでいる。貧乏な私はなるべくガソリンを消費したくない、那覇へは1つの用事だけでは行きたくない。ということで、いくつかの要件を1日で済ませようと計画した。もっとも重要な用事はMにバレンタインのお返しをすることであるが、そのついでに友人達を訪ね、そのついでに映画観賞を計画した。2月16日、空は晴れて気候も良く、畑日和ではあったが、その日那覇行きを決行。
     

 その日観た映画は『カタブイ』という題。カタブイはウチナーグチ(沖縄語)、漢字表記すると「片降り」で、「狐の嫁入り」の意に近い。狐の嫁入りは「日が照っているのに雨の降る天気」(広辞苑)だが、カタブイは日が照る照らないに関係なく、「こっちは降っているのにあっちは降っていない、片方だけ降っている」といった意。
 カタブイがどういう意味かどうかは実は、映画の内容と関係無い。関係無いのにカタブイという題にした意図は私には不明。「沖縄気分」ということかもしれない。
 「沖縄気分」は今、私が思い付いた言葉だが、沖縄に根付いている文化、信仰、民俗風土、芸能などのことを私はイメージしている。映画『カタブイ』はその沖縄気分が濃く描かれているように私は感じた。監督は、沖縄に住んで(10年くらい?正確には不明)いるがスイス人、そのスイス人が見た沖縄、感じた沖縄が全編に描かれている。
 スイス人が見て感じた沖縄、ウチナーンチュの私でも「そうであるか」と納得する箇所がいくつかあって、沖縄の気分を知るにはとても良い映画だと思った。

 映画の最後の方で「自由に必要なのは翼ではなく根っこである」という監督のナレーションがある。「じゃっどー(何故か宮崎弁)」と私は大いに納得。
 根っこは、人が生きる寄辺(よるべ)となるもの、例えば、生まれ暮らしている土地に根付く民俗文化のことを映画では言っているのかもしれないが、倭国であれば神社とか寺とかの教え、あるいはまた、それを破ったからといって罰せられることはないのに今なお守られている儒教の教え、具体的に言えば譲り合いとか、親切とか、優しさとか、自律とか、それら日本人の心の奥に巣くっている精神、それが根っこだと私は理解した。
 その根っこが自由に必要とはどういうことか?空を飛ぶには翼が必要かもしれないが、空を飛んだからといって自由とは限らない。ここでいう自由とはおそらく、心の自由だと思われる。心はいつも自由であると思いがちだが、人がその心を思い通り自由に動かすのは少々難しい。社会には個人の心の自由を許さない縛りがいろいろとある。しかし、
 例えば、儒教の教えを根っことしたならば、根っこがしっかりしていれば縛りも緩くなる。根っこがしっかりしていれば心を自由にしても周りと摩擦が起きることはない。ウチナーンチュに儒教精神は足りないけど、その代わり「テーゲー(良い加減)」があり、他人と仲良くするイチャリバチョーデー気分がある。それも沖縄の根っこだと思う。
     

 記:2017.1.24 島乃ガジ丸