ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

城巡りの旅2014東海

2014年10月31日 | ガジ丸の旅日記

 1、序章
 母が死に、父が死んだ後、二人が苦労の末残した家屋敷を不詳の息子は失くした。父方の伯母1人と母方の叔父2人がまだ存命で、沖縄在の叔父の一人はそのいきさつを知っているが、伯母ともう一人の叔父にちゃんと説明しようと、先月、二人を訪ねた。
 叔父Tは東京、伯母Tは岐阜に住んでいる。東京在の友人Iが9月27日に国立で結婚披露パーティーを開くというので、それにもついでに参加するとして、府中に住んでいる伯母Tの息子(私の従兄)Hにも会うことにし、東京から岐阜の流れ旅。

 旅こそ人生と思うくらい旅好きな私が、今回は「2006年秋北海道の旅」以来約8年ぶりの県外脱出。久しぶりのことなので、用件だけの旅でなく、他にも何かテーマを設けてたっぷり旅を楽しもうと考え、計画した。東京から岐阜、何がある?
 中央線で行くか、東海道線で行くか考えていたら、ふと思いついた。「そうだ、つわものどもが夢の跡を偲ぶ旅にしよう」と。つわものどもが夢の跡、城巡りだ。
 中央線なら長野に国宝松本城、真田幸村の上田城などあるが、松本城は昔、25年ほど前だったかに行った覚えがある。東海道線を見ると、そこはさすがに戦国の世の中心地らしく、たくさんの名城があった。で、東海道にしようと計画を立てた。

 東京在中は従兄Hの住む府中に宿を取っていた。府中本町駅から関ヶ原までの乗車券を購入し、途中下車しながら、駿府城、掛川城、浜松城、岡崎城、岐阜城、犬山城、名古屋城などを訪ね、人は何故殺し合いを望んだのか?もついでに考えてみようと出発。

 2、駿府城
 9月28日、朝8時頃、府中本町駅を出て乗換乗換(鉄道に慣れないウチナーンチュには面倒な作業)しながら、静岡駅に着いたのはお昼前。駅にある観光案内所へ行き、駿府城の場所を訊く。「駿府城は県庁の傍です。県庁舎の隣に展望室のある建物があるので、そこへも上がってみるといいです」と助言を頂いた。
 駅から静岡県庁は徒歩圏内、旅の荷物を背負ったまま歩いて行く。周りの景色を眺めながらほどなく県庁へ着く。県庁の扉が面白い。戦国の城門のよう、写真を撮る。
 観光案内所のお勧めであった展望室へも 上る。そこから駿府城公園が見渡せた。城(本丸とか天守閣とか)は無かった。駿府城と言えば徳川家康の居城という知識は持っていたが、詳細は知らない。駿府城公園の説明文によると、豊臣秀吉によって関東に移封される前と将軍職を秀忠に譲って隠居した後、家康は駿府城を居城としたようである。
          

 駿府城公園、広くゆったりとした雰囲気の公園で、季節に咲く花を眺めたり、のんびり風を感じたりするには良い公園だと思ったが、私の興味を引くものは特に無かった。公園の中央辺りに徳川家康の銅像があった。家康、徳川300年太平の世を築いた偉い人。自らは節制して粗食だったらしいが、銅像は「ホントに粗食?」の体型をしていた。
          

 3、掛川城
 駿府城公園をぶらぶらして1時過ぎにはそこを出て、静岡駅から掛川駅へ、掛川城も駅から徒歩圏内、しかも1本道、旅の荷物を担いで歩いて行く。
 掛川城について私は何の知識もない。掛川城公園の説明文によると、元は今川氏の管轄で、それが徳川になり、豊臣となる。豊臣の頃、城主は山内一豊だったそうだ。
 山内一豊といえば『山内一豊の妻』がすぐに思い浮かぶ。山内一豊は信長、秀吉、家康に仕えているが、徳川家康の時代になってから土佐の領主になる。そういえば、2006年春の旅で高知を訪れた際、高知城 を私は見学している。その頃、NHKの大河ドラマも一豊夫婦の話だったように記憶している。掛川城の城内に入り、天守閣を眺めながら「そうか、秀吉の時代は、一豊夫婦はここにいたのか」と思った。感想はそれだけ。
          

 9月28日は運悪く(なんて、旅の計画を立てた当初から分かっていたこと)日曜日にあたっていた。駅から掛川城へ向かう道の途中から車道は歩行者天国になっており、何かの祭りがあるということに気付いていたが、掛川城公園がそのメイン会場となっているみたいで、公園には人がわんさかいた。人ゴミを私は苦手にしているので、公園散策は諦める。掛川城はその天守閣を見て、山内一豊を思い出しただけで終わった。
          

 4、浜松城
 掛川駅から電車に乗り磐田駅で降りた。磐田に何か観るもの、城とか古跡とかがあったわけじゃない。旅の計画を立てている時、磐田に住む才媛K子に「会える?」メールを送った。その中に「松本も考えたけど、静岡にも名城があるではないかと思い直し東海道の旅にした・・・静岡には名嬢もいるし」と書いた。私はそういうことを平気で言える(書ける)。美人には美人と言う、本当のことだからしょうがないという気分。ただし、そうでない女性に「そうでない」と言う ことは無い。話が浜松城から逸れているが、名嬢K子から「会えますよ」と返事があったので、そういうわけで磐田泊。
          

 9月29日、それまで溜まった洗濯物などを駅前のコンビニで貰った段ボール箱に詰めて、それをコンビニから宅配で自宅宛に送って、少しのんびりして、磐田駅から電車に乗って浜松駅で下りる。浜松城も駅から徒歩圏内、軽くなった旅の荷物を背負って歩く。
 浜松城公園へ着いたのは9時半頃。木の上からツクツクボウシの鳴き声が聞こえ、 ギャッといった獣の鳴き声も聞こえた。声の方向を見るとリスであった。リスはたくさんいて枝から枝を飛び、地面を走り回り、木の幹を登っていた。沖縄にはいない哺乳類、じっと立って、近付くのを待って写真を撮った。そんなんで私は時間を費やす。
 駿府城にあったものと似た徳川家康の銅像があった、これは若き日の家康で精悍な体つき。天守閣も見た。風情のある造りのトイレに感心する。公園内のベンチの傍に灰皿が備えられているのにも感心する。倭国の禁煙包囲網は強力になっており、ホテルの喫煙可の部屋以外でタバコを吸える場所がなかなか見つからなかっただけに、一安心。感想はこれだけ、浜松城公園はそう広く無くて、1時間で散策を終えた。
          

 5、岐阜城
 浜松駅から伯母の住む関ヶ原へ向かう。11時過ぎには浜松駅を出たと思うが、電車に慣れないウチナーンチュは乗換を間違えたりして、関ヶ原に着いたのは2時過ぎ。
 伯母の家で、伯母と、伯母の面倒を見ている従姉の歓待を受け、幸せ気分になってその夜は岐阜駅近くのホテル泊。従姉が持たせてくれた愛情弁当を肴に部屋飲みする。

 9月30日、ホテルを7時半にはチェックアウトし、岐阜城までのアクセスをホテルの人に聞いて、その助言通り駅前からバスに乗る。ところが、沖縄でもバスを利用することはほとんど無く、バスに慣れない私は乗るバスを間違えて、目的地の途中で降りなければならず、そこから歩いた。距離としては駅から目的地までの中間くらいであった。
  地図を見ながら、なるべく小さな道を歩く。小さな道には大通りには無いその土地に暮らす人々の、生活の匂いのする街並みがある。庭の植物にも私は興味がある。
 しばらく歩くと寺が見えた。神社も見えた。さらに寺、さらに神社、神社仏閣は山(金華山)の麓にいくつもあった。「何でこんないっぱい?」と考える。戦国時代、死者を多く出した場所だからだろうか?元々この辺りの人は信心深い人が多いのだろうか?後でホテルの人か観光案内所で尋ねよう、と思ったが、それは忘れてしまった。
          

  金華山という名の山は宮城県にもあるらしいが、私としては岐阜県の金華山が有名。別称の稲葉山は戦国時代を舞台にし、織田信長が出てくる時代小説やテレビドラマに出てきて有名。私がよく覚えているのは司馬遼太郎の『国盗り物語』、油売りから一国の主となった斎藤道三、その娘のお市、お市の亭主となる織田信長など、若い頃に読んだせいか、お市が美女であった、稲葉山の領主となった道三は家督を譲った息子に殺される。その後に稲葉山を奪い取ったのが信長、などといったことを記憶している。
          

  金華山の標高は329mとのこと。その途中までロープウェーで登り、そこから頂上へ向かう。歩いている間、多くの人に出会う。多くの人のほとんどはご年配の方々で、概ね皆ハイキングスタイル(ジャージなど)で、健康ウォーキングだと思われた。すれ違うたびに「おはようございます」と挨拶される。私も挨拶を返す。
 頂上に着くと、20~30名ばかりの人がベンチなどに座って歓談していた。岐阜城はというと、あるにはあった。でも、思いの外小さくて、そこから斎藤道三、織田信長の姿はイメージできなかった。頂上の傍に茶屋があり、そこの展望台で岐阜の景色を眺める。数日前に噴火した御岳山の方向は岐阜城に隠れて見えなかった。
 一人静かに山道散策もできそうに無いので早々に引き上げ、岐阜駅から犬山へ。
          

 6、犬山城
 名鉄犬山公園駅へ降り立ったのは12時過ぎ、荷物を背負って歩いて犬山城へ向かう。途中から長良川の川沿いの道となる。長良川は鵜飼いで有名、有名なカワウを見つけ写真を撮る。そのカワウはアユではなく、カメの尻尾を突っついていた。
  カワウだけでなく、他の動物の写真、植物の写真を撮りながらのんびり歩いて、犬山城公園へ着いたのは午後1時頃。公園入口から既に犬山城が見える。それまで4つの城を見てきたが、初めて「良い雰囲気を持っている、きれいな城だ」と感じた。
          

 犬山城、実は私は、今回の旅の計画を練る前まではその名前さえ知らなかった。名前も知らなかったので国宝であることも知らなかった。国宝に指定されている城は犬山城の他に松本城、彦根城、姫路城の4城があり、その中でも最も古い城ということである。
  城門をくぐるとすぐに天守が見える。その景色ですぐに「美しい、凛としている、威風堂々、風情がある、見事!さすが国宝。」などと感じる。「その中でも最も古い城」は中に入っても良い雰囲気を持っており、ボーっとしていることの好きな私であれば、ここで半日はボーっとしていられそうな良い気を感じた。周りに人が少なければそうしたかもしれないが、あいにく客は多くいて、そう長くはいられなかった。
 犬山城の説明文を読むと、特に有名な武将が城主になったということは無く、歴史的には、秀吉と家康が闘った小牧長久手合戦 で、秀吉がこの城に陣を置いたということがあるくらいで、そういうわけで歴史小説などでもあまり名前が出てこないのだろう。
          

 犬山城を見学し終わって、そこから犬山駅まで歩く。その城下町の雰囲気もまあまあ良かった。そのような街造りをしているのであろうが、いかにも江戸時代の城下町といった雰囲気、八重山の竹富島も景観に制限を設け、いかにも昔の沖縄の雰囲気を演出しているが、犬山の城下町もそのようにして景観造りをしているのかもしれない。
          

 7、名古屋城
 10月1日、沖縄へ帰る日、飛行機は12時40分発、11時半に名古屋国際空港へ着くように電車の時間など計算して、朝早くホテルで朝食を摂り、チェックアウトして、名鉄駅の近くのコインロッカーに荷物の大方を預け、小さなバッグにカメラなどを入れて名古屋城へ向かう。ホテルの人に教わった通り地下鉄に乗って。

  名古屋城へは8時半頃着く。城内への入場は9時からということだったので、先に隣接する名城公園を散策することにした。名古屋城と名城公園との間には川が流れており、その川沿いをのんびりと歩いた。川にはカルガモが数羽見えた、アオサギが数羽見えた。知らない大きな鳥(後日調べてコブハクチョウと判明)が1羽見えた。それぞれの写真を撮り、川の向こうにそびえ立つ名古屋城の写真も撮る。
 名古屋城といえば有名な金のシャチホコ、屋根の上に乗っかっているのが遠くからでも見えたが、金色かどうかについては判断できなかった。家康が天下を獲った後、その命によって造られた城だけに、遠景からでもその外観は立派できれいだと感じた。
          

  川沿いの、名古屋城が見えるベンチに腰掛けてしばし休憩。その時、カラスの大群が近くで騒いだ。何事かと見ると、爺さん(またはオッサン)がカラスに餌をあげていた。ただでさえ煩いカラスに「何で餌をあげるの?」と理解できず、しばらくその爺さん(またはオッサン)の行動を見ていたが、彼は餌を投げ終えると自転車に乗ってさっとその場を離れた。野良猫に餌をあげる人と同じような心境なんだろうか?
 そんなこんなもありながら、動植物の写真をあれこれ撮りながら名城公園を散策している内に11時になる。ここから空港への時間を考えると、もう空港へ向かわなければならない時間を過ぎている。目的だった名古屋城見学は諦めて地下鉄の駅へ向かった。
          

 8、付録
 駿府城、掛川城、浜松城、岡崎城、岐阜城、犬山城、名古屋城を訪ねる予定が、時間の都合で岡崎城は行けなかった。東京から岐阜の間にはその他、神奈川県の小田原城、愛知県の清州城、岐阜県の郡上八幡城、大垣城などがあり、もう少し西へ進むと滋賀県の長浜城、清州城、三重県には津城、伊賀上野城がある。「群雄割拠していたんだなぁ」とつくづく思う。時間的経済的余裕があれば、それらも訪ねたいと思ったのだが・・・。

 中東のテロ組織に参加する外国人がいるらしい。日本人にもそういう人がいるらしい。戦争がしたいと思っている人が世の中には少なからずいるようだ。「殺し合い」、平和大好きの私としては何が何でも避けたいこと。しかし、戦争はあったし、今もある。
 城巡りをして、ついでに{何故、人は殺し合いをしたがるのか?」も考察してみようと思ったが、考えはまとまらない。戦うことが人の本能に含まれている、生きるか死ぬかという状況が好き、人を殺すのが好きといった本能もあるかもしれない。
 それはともかく、日本の城は見た目に美しい。そこから戦争は、私はあまりイメージできなかった。城は軍事基地だったかもしれないが、役所でもあったし。

 今回訪ねた各城の、それぞれの公園案内板の写真を撮ったので以下に付録とする。ただし、岐阜城は金華山ハイキングコース、犬山城は犬山市の観光マップ。

          
          
          
          
          
          

  記:2014.10.29 ガジ丸 →ガジ丸の旅日記目次