ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

自然寿命までの努力

2018年07月30日 | 通信-その他・雑感

 腰痛を患って(2017年夏頃)以降、体のあちこちに不具合が生じている。歯がグラグラしている(歯医者の診断では歯槽膿漏)、老眼が酷くなった、頻尿が酷くなったなどなど。老化といえば老化なのだが、「一遍にそんなに来なくても」と少々不満。
 腰痛のことを考えると気が塞ぐのであまり考えないようにしているが、「体が少々不自由になる」と考えると父のことを思い出す。父は50代で脳出血で倒れ右半身が不自由になった。頑張り屋の父はリハビリに努め、日常生活にも仕事にもさほど不自由を感じないほどに回復はしたが、右手で細かい作業をするのは面倒そうであった。そういうことに私は深い想いを寄せず、父の補助をすることもあまりなく・・・ということを思い出し、もっと優しくしてあげれば良かったと今更ながらに後悔している。自分の健康に不安を感じてからそう思うようになった。我が身を抓られてやっと人の痛さを知ったわけ。

 右手が不自由になったらと想像してみた。「生きていけないだろうなぁ」と思う。女房も子供もいない天涯孤独の身、朽ち果てるだけだろうなぁと思い不安を覚え、一昨日、長く(たぶん1年以上)弾いていなかったギターに弦を張り、ちょっと弾いてみた。左手も右手も若い頃と同じようにとはもちろんいかないが、取り敢えず動く。右手も弦1本1本を爪弾ける。「これならもうしばらくは大丈夫かもしれない」と、少し安堵する。
 じつは、腰痛が酷くなりつつあった今年3月頃から、自身の体の動きに不安を持つようになっていた。躓くことが増えた、家具などに足をぶつけたりすることが増えた、手も何かにぶつけることが増えた。などということがあったのだが、一昨日、午前4時前、月食の写真を十数枚撮った。どれもがボケていた、手振れだ、手が震えているようだ。
 「何じゃい、こりゃあ!これも老化か?それとも何かの病気か?」と不安を持つ。「何とかしなきゃあなるまい、体が不自由になることはなるべく避けなければならんぜ、まだまだ1人で生きていけるようにしなければいかんぜ」と思い、食事に気を付け、毎日少しでも運動をしなければと、さらに強く思うようになる。
     
     
     
 節制というのも少しはやっている。会社勤めをしていた頃は同僚達との飲み会も多く、友人達ともしばしば飲みに行っていて、1回で飲む量も多かった。それを反省して中期オジサンとなってからは週に2日は完全休肝日にして肝臓を休めるようにしていた。
 週2日の休肝日は300坪の畑を始めた2012年以降は守られなくなる。暑い夏の間は「ビール飲まなきゃあやってられねぇぜ」となって休肝日が月に1~2回となり、それに慣れて冬場も月に2~3回となっていった。それを反省し2017年から週一休肝日を概ね守り、その年の秋からは週に1~2回と増やし、今年5月からは3日に1回とさらに増やした。1回で飲む量も減らし、というか、歳のせいかあまり飲めなくなっている。
 タバコも辞めればいいのだが、今もまだ吸っている。世間が言うほど悪くはないのではないかというのが私の意見。ただし、量は減った。1日4~5本となっている。
 運動はなるべくやるようにしているが、腰痛があるので激しいことはできない。散歩、軽いストレッチ、軽い筋トレで済ませている。一人黙々と続けている。それらは「自然寿命が尽きるまでは元気で生きていたい」と願い、その為のちょっとした努力のつもり。この先酷い自然災害があるかもしれない。そんな時でも体が動くようにしておきたい。

 記:2018.7.30 島乃ガジ丸