ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

明日のココロ

2012年12月28日 | 通信-社会・生活

 いよいよ2012年も終わる。私にとっては人生の転換期の年だった。転換期のカーブはまだ曲がり切っていないので2013年も転換の試行錯誤が続く予定。

 無農薬、無施肥でやっている畑仕事、作物が売れるほどに育つのか不安があり、病虫害に冒されはしないかと不安があり、収入があるのかどうか不安がある。
 一人手作業でやっている畑仕事、肉体的にきつく、毎日腰が痛いし、膝にも肘にも少し痛みがある。鍬を握り、鎌を握って酷使している右手には堅い豆ができ、毎朝目覚めた時には5本の指がこわばっている。この先体が持つかどうかも不安がある。
 それでも、来年早々にはホウレンソウ、1月後半から2月にはウズラマメ、その後、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、ダイコン、アズキ、シマラッキョウなどの収穫を予定している。いや、収穫できるものと期待している。種を播いたのだから収穫は当然のこととは思っていない。収穫できるよう祈るばかりだ。それが私の明日のココロ。

 「明日のココロ」は、知っている人はよーくご存じのこと、小沢昭一さんのセリフ。ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の中で、最後に言うセリフ。「・・・については明日のココロだーっ」と明日の番組の予告を言って終わる。
 その「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を私は若い頃から聴いていた。どれくらい若い頃かは正確には覚えていないが、おそらく私がラジオをよく聴いていた浪人時代だと思う。その頃、深夜放送の「オールナイトニッポン」、「パックインミュージック」などの他、午前中に放送していた「永六輔の誰かとどこかで」も好んで聴いていた。
 そして、夕方5時から始まる「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は、ラジオの聴ける環境にいたならば欠かさずと言ってもいいくらいに聴いていた。大好きだった。

 「小沢昭一の小沢昭一的こころ」から「粋(いき)」というものを学んだ気がする。スケベなんだけど粋。いや、「粋なスケベ」と言った方が正確かもしれない。小沢昭一さんのようにスケベを語れたら粋な女たちが寄って来るに違いないと思った。「こんなオッサンになれたらいいなぁ」と思い、ついに粋を習得できぬままオッサンという歳になってからは、「こんなジイサンになれたらいいなぁ」と思っていた。
  三ヶ月ほども前だったか、いつものようにラジオを聴いていて、夕方5時前になって、いつものようにラジオのチャンネルをROKからRBCに替え、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」が始まるのを待っていると、「体調不良のため・・・時間を移動して過去の放送を・・・」とかいうアナウンスがあった。そして12月10日、スケベに関しては私の最も尊敬する人物、小沢昭一氏が亡くなった。あの世ではさらに「粋なスケベ」に磨きをかけるに違いない。そして、人間の明日のココロを見守ってくれるに違いない。
 今までありがとう、と私は素直に思う。合掌。

 小沢昭一さんに深く感謝して、「スケベを粋に語れるジイサン」になろうと、まだ年も明けぬうちに私のこれからの目標が決まった。自給自足し、質素な小屋に住み、毎日野良仕事に精を出し、そして、スケベを粋に語る。そんなオジィに私はなりたい。
          

 記:2012.12.28 島乃ガジ丸