貧乏農夫は時々バイトをしなければならないが、やっていない。新米農夫は害虫に作物を食われて思うような収穫が全然できていない。生命保険を解約したお金が残っていて、質素倹約生活をしていればあと1年半分くらいの生活費はある。しかし、作物の収穫が望み通りにできないとその後の生活が危うい。よって、今はバイトより害虫対策をどうするかを優先し、そのために時間を割いている。図書館に通って虫を調べている。
畑で虫の写真を撮り、家に帰って、写真と図書館から借りた図鑑と見比べて何者であるかの判明作業をし、それでも判明しない場 合(それが多くある)、図書館へ行って、大きな図鑑で同じ作業をする。図書館ではまた、農業関係の本、特に害虫関係の本も参考にしている。小さな虫たちが畑の作物を食い荒らして質素倹約農夫を虐めている。新米農夫は農薬を使わずに何とか虫の被害を抑えたいとあれこれ勉強中なのである。
5月の初め、賞味期限の切れたインスタント麺やレトルト食品が多くあるのに気付き、それらの消費を始めた。先週土曜日、畑での昼飯にカップ焼きそばを食って、それらの消費が全て終わった。昼飯後の一服をしな がら、既に堀り取ってある芋を見ながら、「明日から芋弁当復活だな」と思いながら、閃いた。「芋を蒸すついでに枝豆も」と。
市販の種を買うと、その種袋の裏に播き方や収穫時期などが記されている。それによると、畑のエダマメはもう収穫時期を迎えている。だけど、私のエダマメは全てが全体に小さい。高さ20センチ程しかない。莢は着いているが、その数は少ない。中には4、5個しか着けていないのもある。私の畑は肥料をあげていないので生育が遅いと思われる。袋に記されている期間よりも長い時間を要するのだと思う。それでも、中には20個 余の莢を着けて、その実も十分太っているのもあり、「これは食える」と収穫した。
収穫しているとコフキゾウムシ(ハイイロクチブトゾウムシかもしれない)がエダマメの葉に多くいた。エダマメの葉にはまた、タイワンキドクガの幼虫もついている。彼らはたぶん、エダマメの新芽も齧っているであろう。で、気付いた。エダマメが大きくならないのは、無施肥のせいもあろうが、こ奴らのせいでもあるに違いないと。
畑の北側境界にグヮバの木を列植している。20本余あって、それにはハイイロクチブ トゾウムシ(コフキゾウムシかもしれない)が多くいて、グヮバの葉を食っている。グヮバの木は大きく、ハイイロクチブトゾウムシ(コフキゾウムシかもしれない)はとても小さいので、彼らが食っていてもグヮバの成長に大きな問題は無い。
グヮバにはミノムシも多く付いている。20本余の内の1本に、特に集中して付いていて、その1本は葉が食い荒らされて、見るも無残な姿になっている。
タイワンキドクガはグヮバにもいて、ピーマンや他の作物にも付いている。セスジスズメはサトイモの葉を食い荒らし、ウリハムシはヘチマやキュウリを枯らす。ヒメナガメは好物のアブラナ科だけでなく、フェンネルの実にもどっさり付いている。
農夫を虐める奴らと言えば、カタツムリの類を忘れてはいけない。キュウリは茎を齧られ3日と持たずに枯れる。モーウイの葉はウリハムシが齧っているが、その果実はカタツムリに食われる。カタツムリの類はオキナワウスカワマイマイが無数にいて、大型のアフリカマイマイも多くいる。どちらも好き嫌いがないようでウリ類だけでなく、葉野菜を齧り、パパイアの幹を這い上って、その果実を 齧って、傷を付ける。
枯れ草を積んでおくと、その中にカタツムリの類がたくさんいる。先日、ある一ヶ所の枯れ草を他所へ移し、そこにいたアフリカマイマイ(小さなカタツムリは多過ぎて駆除を諦めている)を集め、向かいの森へ捨てたが、奴らがいた箇所の土を掘り返した時、奴らの卵をどっさり見つけた。ひと固まり100個もあろうか、その塊が数個あった。
「みんな同じ地球の仲間」なんて歌があったが、地球の仲間たちは農夫を虐める。虫に負けずに作物が無事育つよう試行錯誤の 実験をいろいろやっているが、奴らは強敵 で 新米農夫は今のところ負けっ放しだ。でも、農薬に頼らずいつかは勝ちたいと思っている。私が笑う日が来るのか、あるいは、私が農業に挫折してしまう日が来るのか・・・。
もしも、私が奴らに勝つ日が来たとしたら、それが今の梅雨時であれば、ゲットウやテッポウユリの花を眺め、メジロやウグイスの囀りを聴き、喜びを静かに味わうであろう。今の、虫に勝てない私は、それでも、「まぁ、そのうち何とかなるさ」と呑気に、今日もまた静かに酒を飲んでいる。梅雨時の楽しみであるエダマメが肴の一つ、旨い!
記:2014.6.5 島乃ガジ丸 →沖縄の生活目次