ガジ丸が想う沖縄

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長芋に巻かれる社会

2013年03月29日 | 通信-社会・生活

 「長い物には巻かれよ」は「目上の人や勢力のある人には争うより従っている方が得である」(広辞苑)のことだが、私はついつい「長芋の巻き寿司」を想像し、ぬるぬる滑って箸でも手でも上手く掴めず、なかなか口に運べない映像を想像してしまう。

 TPPなるものがどういうものか深く勉強していないので、それに参加することが良いのかどうかについては確信を持ったことが私にはまだ言えない。ただ、アメリカ合衆国にとって都合の良いしくみであることは何となく解る。「子供も大人も老人も、男も女も、健常者も障害者も同じ土俵に上がって、同じルールの下で戦おう」と屈強な成人男性が言っている。「強いものが勝つ、これが自然の正しい法則」という考えのようだ。
 荒れ心臓総理が言うインフレ社会も、結果どうなるか不勉強の私には確信を持って言えないが、それは弱肉強食の社会であるような気がする。物価が上がれば貧乏人はさらに貧乏になり、金持ちと貧乏人の格差はどんどん広がって行くような気がする。
 貧乏人ももっと頑張ればいいじゃないかと言うかもしれないが、頑張るとは例えば、日雇労働者なら休日も働き、夜も働くということだろうか、命を削ってでも働けということだろうか、病や怪我で働けなくなったら「はい、それまでよ」となるのだろうか。
          

 「努力が報われる社会」とも総理は言っている。しかし、その「報い」とは「お金」であるとしか私には見えない。「幸せ」を指しているようには見えない。
 アメリカが目指し、日本国の総理や霞が関もそれに追随する社会では「お金をたくさん儲けること」が「幸せ」となっている。利益(お金)優先社会であり、利益を多く得た者が勝ち、貧乏人は敗者となる社会だ。弱肉強食の社会でもある。
  「勝つ」ことが「幸せ」に繋がるとは私も思っている。ただそれは、他人との競争に勝つということでは無く、自分に勝つとか病に勝つとかの「勝つ」。生きるのが辛いからと麻薬やアルコールに溺れたりする心の弱さに勝つ、生きて行くのが嫌だと自殺を考える心の弱さに勝つ。「勝つ」は人として生きることを諦めないということ。
 人として生きていればいいのだ。明石家さんまの言う通り、生きているだけで丸儲けなのだ。生きているだけで既に幸せなのだ。であれば、生きることを阻害するものに対しては勝たねばならない。「人(奴隷では無いということ)として生きる」ためにだ。

  この世は昔から弱肉強食社会であることに変わりないが、人智はそういう社会から脱しようと努力してきたのではないか。性差別や人種差別を無くし、子供の人権を守り、バリアフリーも普通になってきた。それは、人間の立つ土俵には様々な種類があることを認識したからではないか。様々な種類の土俵を互いに尊重すればいいのだと私は思う。
 強い者に従っていれば生きていけるかもしれない。私のような貧乏人は、いよいよ食えない程貧乏になったら、金持ちに頼って「何でも従うから助けてくだせぇ」と頭を下げるかもしれない。札束で頬を叩かれて飼い犬のように従順になるかもしれない。しかし、そんな社会になったらもはや、「人が人として生きるとはどういうことか」なんて考えないであろう。生きている意味に確信を持てない、自分の命をしっかりと掴めない、長芋に巻かれたような自己。「おーい、俺よ、どこにいるんだ」と、ある日ふと、呟く。
          

 記:2013.3.22 島乃ガジ丸