ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

立ち往生を目指して

2012年12月14日 | 通信-その他・雑感

 300坪の畑なっぴばるは、畑と墓地と原野に囲まれた場所にあり、現在、南隣はキャベツ畑で、その向こうはウージ(サトウキビ)畑、さらにその向こうは野菜と果物畑となっている。逆の北隣はウージ畑、その向こうは野菜と果物畑である。
 東側はちょっと行くと民家が立ち並ぶ住宅地となっていて、南側は前述の野菜と果物畑の向こうは工場、さらにいくと住宅地、商業地となっている。北側はしばらく行くと建物半分、畑半分だが、西側は原野や墓地などを挟んで概ねは畑が広がっている。

 北側の建物半分、畑半分の辺りで農業をやっている爺様がなっぴばるの前を朝は北の畑へ向かい、夕方は南の自宅へひょこひょこ歩いて通って行く。なっぴばるで作業をしている私と顔が合うと、離れている時は手を挙げて、近い時は声も出して挨拶する。
  先日、その爺様が小屋で一服している私の所までやってきて、「私の畑で採れたバナナとシークヮーサーだ、シークヮーサーはもう熟しすぎて甘くなってしまったがあげるよ」と言って、40個ばかりのシークヮーサーと数本のバナナをくれた。
 爺様は名前をNさんと言い、御歳87とのこと。畑の場所は坂道を上り切った辺りで、なっぴばるから少なくとも徒歩30分はかかる所。自宅はと言うとなっぴばるから東南方向へこれも徒歩30分はかかる所。毎日往復2時間も歩いているようだ。
 87歳のNさん、そのお陰かどうか足腰はしっかりしており、背中も真っ直ぐ。耳も遠くは無いし、言語明瞭。いつもニコニコしていて心も健康そうだ。
          

 南西側にも畑が多くあり、なっぴばるから徒歩30分ばかりの場所で農業をしている爺様Kさんとも、私がなっぴばるを始めてすぐに声を交わした。
 Kさんは御歳84。現役ドライバーで、一度彼の畑に案内された時助手席に座ったが、全然歳を感じさせない運転技術だった。それだけでは無い。ビニールハウスの骨組みである鉄のパイプを数本束ねて、それをヒョイと担いで車に積む。束ねた鉄のパイプは20キログラムはあるだろう、それを簡単に運ぶ。恐るべし84歳である。
 それだけでは無い。目の高さの塀ならヒョイとよじ登ることもできるらしい。もちろん背中は真っ直ぐ、耳も遠く無いし、言語明瞭。言語明瞭どころか力のある大きな声でしゃべり、カッ、カッ、カッと明るくよく笑う。
 恐るべし84歳はまた、煙草をよく吸う。「煙草が健康に悪いなんて人によるんだよ。俺なんか若い頃からずっと吸い続けて、今でも一日1箱以上は吸うている。」と言い、カッ、カッ、カッと夏の太陽のように笑った。

  元気な爺様Nさん、Kさんを見て「俺もあのような元気なオジーになりたい」と思っていた私だが、死ぬまで酒も煙草もやれる健康体であるようにと続けていた芋食、週2日の休肝日、そして運動を、なっぴばるを始めた7月以来さぼっていた。
 しかし、今月からは休肝日(まだ週1日だが)が復活。芋食も少しずつ復活。運動は11月末に1日だけやったが、長くやってこなかったせいできつかった。しかし、今週からは復活。そうやって、健康な体で死ぬまで動いてやるつもりだ。鍬を振り下ろし、鍬の歯が地面に突き刺さった状態で往生する。見事な立ち往生で死んでやるつもり。
          

 記:2012.12.14 島乃ガジ丸