基本ソフトがウィンドウズ8の新パソコンを購入したのは10月16日。そのパソコンのセットアップをしたのは4日後の20日。私は家にインターネットを引いていない。セットアップはネットに繋いでからの方が良いらしい。というわけで、20日に従姉の事務所に行ってネットを使わせてもらいセットアップを行った。
ネットに繋ぐとウィンドウズの認証やらオフィスの認証やらができる。それらも含めセットアップを完了するのに1時間近くかかった。作業しながら思った。「科学は発達しているのに何で以前より時間がかかるんだ?」と。たぶん、ネットでデータのやり取りをしなければならないことが多くなったのだろう。パソコンを使う人は当然インターネットも利用しているという前提であろう。でも以前は、ネットは普通ではなかった。
ラジオのコマーシャルで「詳しくはウェブで○○と検索」というコメントをよく聞く。企業のコマーシャルだ。商品名とその特徴(効能とか価格とか)を述べ、「買ってね」といった内容のことを言えばコマーシャルの効果は必要十分。以前はそうであった。昨今はしかし、それだけでは十分でないようで、「詳しくはウェブで」と販売促進する。家庭にインターネットは普通だと想定しているのか?と思ったが、そうではないらしい。
家にインターネットを引いていない私はまた、携帯電話は電話機能とちょっとしたメールができれば良いという考えからガラ系を使い続けている。画面の小さな携帯電話でネットなどする気はまったく無い。スマホはガラ系に比べネットがしやすいらしい。今はスマホを持っている人が多数で、スマホでネットを利用しているのが普通のようだ。
NHKの受信料集金人との会話、
「ワンセグの観られる携帯電話を所持していれば受信料を払う必要があります」
「そんなことドコモでは何の説明もなかったぞ」
「普通、家にはテレビがあるのでドコモは敢えて説明しなかったのでしょう」
「普通の家にはテレビがある」ということのようだが、彼の言う「普通」は「国民の多く」ということで「多数派」を指している。しかし、この世には様々な「少数派」が存在する。目の不自由な人も足の不自由な人も少数派だ。「少数派は普通の人間では無いのかよー!」と、口には出さなかったが、心の中で私は怒っていた。
「家にテレビのあることが生活の普通だ」とNHKの集金人が言うのと同じように、昨今はスマホも含めインターネットのできる環境にいることが生活の普通であるようだ。ところが、テレビ観るのも金がかかるが、ネット環境にいるためにも費用を要する。
畑からの収入がほとんど無い私は、生活費をできるだけ削減しなければならない。「人生は楽しくなければ」と思っている私なので、楽しむために必要なことについては費用の削減を最小限にし、楽しむために不要だと思うことについては費用を大幅削減している。テレビもスマホも、私にとっては人生を楽しむために必要なものではない。
生活の普通は、金をたっぷり使うことではないと私は思う。成長戦略に突き進む国は大量消費を国民に望んでいるようだが、それが本当に人間の幸せか?と私は問いたい。
記:2015.11.20 島乃ガジ丸