友人Hの店にたびたびお邪魔している。行くと1時間から2時間はそこにいる。女房のE子は明るく、社交的で、世話好きである。何も言わなくてもコーヒーを入れてくれる。他人にだけでなく、亭主のHもまた、彼女にいろいろ世話をされている。でも、
「ちょっと寒いさあ、クーラー消して。」とE子がHに命令する。
「寒いかあ、そうかあ。」と言いながらHは従う。
「ちょっと煙たいさあ、窓開けて。」とE子がHに命令する。
「そうだなあ、煙いかもなあ。」と言いながらHは従う。
私がお邪魔している1時間から2時間の間に、Hに対するあーしてこーしてという命令がいくつか出る。Hはたいてい従う。日常生活でのE子のHに対する世話から比べれば、この程度の命令を聞くのは当然のこと、と二人は思っているのかもしれない。
お互いがお互いを頼って、世話を焼いたり、世話を受けたりする。やって欲しいことをやって貰う代わりに、時にはやりたくないことも我慢してやる。そうやって、お互いの関係や、家族の絆みたいなものを深めていくのであろう。女房や子供のために多くの我慢をしながら、Hは人間として成長しているのであろう。
「あんたさあ、おばちゃんばっかり気にかけてないで、おじちゃんのこともちゃんと見てよね。」と従姉が言う。おばちゃんとは私の母、おじちゃんは父のことである。
日頃から「おじちゃんに会いに行きなさいよ、私の大好きなおじちゃんだからね。」と言っている彼女に、
「大好きなおじちゃんだろ、そっちが行けば。」と応じると、なんだかんだと自分が行けない理由(たいした理由では無い)を述べる。
「あんた、Sが何時に着くか訊いたの?」と朝早く、姉から電話があって怒鳴られる。Sとは弟のことで、現在は千葉に住んでいる。その日沖縄に帰ってくる予定であった。迎えに来てもらいたければ向こうから電話があると私は思っているので、こちらから訊く気はサラサラ無い。姉はしかし、私に迎えに行かせたいみたいである。
自分がやりたくないことを他人にさせる、というのはいかがなものかと思うので、私は彼女らの申し出に素直には応じない。しかし、世の亭主共は、女房共のそういった申し出を断れないことが多いのであろう。そういった苦労がこの世の修行なのかもしれない。私は修行不足なのである。「煩せぇ!」としか思わないのだ。
2週間前のガジ丸通信に、「今年の夏、前半は非常に暑く後半はそうでもなかった」と書いた。ここ3年の平均気温を載せて、その証明とした。ところが、今年の9月は、ここ3年で最も暑い9月となっている。日頃、筋力トレーニングをしたり、散歩をしたりして体を鍛えている私だが、このところ、日中の外での労働が非常にきつく感じる。
人間関係の我慢では修行不足の私だが、暑さと労働に対する我慢においては、修行不足では無く、加齢による体力の衰えだと思われる。精神を鍛えないまま歳取って、体力まで衰えてしまっているのだ。踏んだり蹴ったりなのだ。
記:2007.10.5 島乃ガジ丸