ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ラジオの世界

2016年07月22日 | 通信-社会・生活

 2011年7月の地デジ化以降私はほとんどテレビを観ていない。他所の家に行って、そこのテレビが点いていて目の片隅に映ったことが数度あるが、数度全部足してもおそらく、2時間に満たないと思う。地デジ化以前も、オジサンと呼ばれる年齢になってからはテレビを観る時間は少なかった。なので、地デジになって、「よし、今日からテレビとはおさらばだ」という決心は、「よし、きょうから禁煙だ」という決心よりもはるかに緩い決心であり、左うちわの朝飯前の楽勝であった。ちなみに、「よし、きょうから禁煙だ」という決心をしたことが無いので、どの程度緩い決心だったかは正確には不明。

 テレビを観なくなって、世間の情勢を伝えるニュースはもっぱらラジオからとなる。地デジ以前もラジオはほぼ毎日聴いていた。ニュースは主にテレビからだったが、夜7時半から9時過ぎまではラジオを聴く(NHKFMの番組)ことが多かった。勤め人になって日中の時間を束縛される以前は、他のラジオ番組もよく聴いていた。
 高校時代浪人時代は深夜放送の「セイヤング」、「オールナイトニッポン」、「パックインミュージック」など、ただ、その中で覚えているのは愛川欽也のパックインミュージックだけ。女のあそこを何と言ったかは記憶にないが、男のあそこは「ポールタマタマ」と呼んでいたのを覚えている。Hな話に興奮したのも覚えている。
 沖縄のローカル放送で沖縄民謡を紹介する「民謡で今日うがなびら」も若いから聞いていた。平日の3時から4時までの放送で、大学を卒業して沖縄に帰ってからプー太郎だった頃、配送の仕事をしていた時などにはよく聴いていた。民謡が好きだからというよりも上原直彦、八木正夫、北島角子らのユンタク(おしゃべり)が好きだった。沖縄の文化を誇らしく思い、我が生まれ島沖縄を好きになるようなユンタクだった。
     

 大学を卒業して沖縄に帰ってからプー太郎だった頃、配送の仕事をしていた時など、ラジオを聴く時間の多かった頃には他にも好みのラジオ番組があった。
 記憶は正確ではないが、たぶん夕方にやっていた『小沢昭一の小沢昭一的こころ』、同じくたぶん夕方にやっていた『タモリの美女対談』、そして、これはたぶん午前中にやっていた『永六輔の誰かとどこかで』。タモリは元々タモリのファンだったので、小沢昭一はスケベな粋が好きで、永六輔はスケベで無い粋が好きでそれぞれ楽しんでいた。
 タモリはテレビの人という印象が強いが、小沢昭一と永六輔は、私にとってはテレビの人では無くラジオの人であった。小沢昭一は「明日の心だー」という締めの言葉が耳に残っている。永六輔は「知らない町を歩いてみたい・・・」の歌を思い出す。

 「ラジオの人」、先日、永六輔氏が他界したと聞いて、その言葉が思い浮んだ。ご本人がどう思っていたかは知らないが、私にとっては、氏は「ラジオの人」であった。
 5年前からテレビを観なくなった私には今「ラジオの人」がたくさんいる。ラジオにも有名人が多く出てくるが、5年以上前から有名人でテレビにも出ていた人は、「あー、あの人か」と顔を思い浮かべることができるが、そうでない人はどんな顔だか分からない。ラジオ局のアナウンサーなども顔が出てこない。出てこないけど、声としゃべり方を聴いてその顔を想像する。ラジオの世界は私の想像が多く占める世界となっている。
     

 記:2016.7.22 島乃ガジ丸