ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ヤビョウと戦う

2015年02月13日 | 通信-その他・雑感

 先週の通信『戦いたい遺伝子』で「私は「勝つ」ことより「達成する」ことの方により大きな幸せを感じるように」なっていると、いかにも自分が平和主義者であるかのように書いた。その通り、私は争い事が嫌いで、平和主義者だと自分では思っている。が、「いやいや、お前はそうでもないぞ」と思い知らされる夢を、その翌日に見た。
 夢の場面設定は戦国時代、それらしき侍、足軽たちが戦っている。そんな中、私も戦士なのだが、階級が上位なのか戦いを遠くから見ている。そこまではいい。味方が優勢で、その内敵方が降伏し、敵の兵隊たちが砂浜(初めは草原の戦いだったのだが・・・)に跪きになって顔を伏せている。そこへ私は行って、あろうことか、その一人を馬乗りになって殴り殺した。「なんて恐ろしいことを!」と私は夢の中の私に叫んだ。
 夢の中の自己が潜在の自己であるとすれば、私は戦いを遠くから眺め、勝ちを確認してから現場へ出るような卑怯者であり、無抵抗の人間を殴り殺す極悪非道者である。

 現実にはどうかと考えてみた。おそらく私は、自ら戦いを挑んだりはしない。ではあるが、戦いを挑まれる可能性はある。その時どうするか。
 私は日中概ね畑に一人でいる。私の畑の南方100mほどに教会、東方200mほどに保育園、その隣に自動車整備工場があるが、西方は森で、北方は畑が続いている。私の畑は寂しい所である。大声を出しても、その声が誰かに届くことは無い。
 そんな所に一人だ。ある日突然、不良少年たちに襲われ殴り殺されるかもしれない。野犬に襲われ噛み殺されるかもしれない。その時、私はきっと抵抗する。殺される恐怖に私の潜在の残忍さが目覚め、鉄パイプを手にし、逆に相手を殴り殺すかもしれない。
          

 さらに想像してみた。想像というよりここからは妄想だ。
 米軍基地内の核実験施設、その周辺を縄張りにしていた数匹のネコ達がある日、施設から漏れ出た放射線によって精子や卵子に傷が付いた。彼らから生まれた子供は突然変異で体が親の数倍の大きさになった。ドーベルマン程の大きさのネコ、その1匹が森に住み着いた。ヤビョウ、夜の病気という意では無い、野猫のこと。野良猫という意味では無く、野生化した猫という意。彼は森の向かいの畑にいる農夫を虎視眈々と狙っていた。
 ある日、ついに野猫は農夫を襲った。農夫はとっさに身をかわしたが、手の平を野猫の鋭い牙が掠った。牙は手の平の肉を少し削り取り、そこから血が吹き出た。
 農夫は傍にあったゴーヤー用の網を野猫に投げつけた。網は上手い具合に野猫を覆い、野猫は網に絡まり動きが鈍った。農夫は鉄パイプを手にし、野猫の頭目がけて振り下ろした。パイプは野猫の右目に当り、野猫はグォーと叫び声をあげ倒れた。「勝った」と思った農夫だが、彼はさらにパイプを振り下ろした。パイプは野猫の前脚の骨を折った。野猫はさらに大きな叫び声をあげ静かになった。その顔からは戦意が失われていた。
 農夫は野猫に絡まった網を外し、野猫を自由にした。野猫は足を引き摺りながら森へ帰っていった。農夫は、片目を潰し片足を折られた戦意喪失の野猫、その命までは奪わず逃がしてやった。そうなのである。農夫はさほど残忍ではなかったのである。
 その後、農夫は傷の手当てをしようとベンチに腰掛け、そのまま気を失った。野猫の唾液には毒が含まれていた。手の平の傷からその毒が体に回り、・・・妄想お終い。
          

 記:2015.2.13 島乃ガジ丸