ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

風上に置けぬもの

2014年03月07日 | 通信-社会・生活

 テレビを観ていた頃、時代劇で「武士の風上にも置けぬ奴」なんてセリフを何度か聞いている。武士にあるまじき行動をした、早く言えば卑怯者などを指していたと思う。
 「風上に置けぬ」を広辞苑で引くと、「(臭気の甚だしいものが風上にあっては風下では耐えがたい意から)性質や行動の卑劣なのをののしっていう」とあった。「臭気の甚だしいものが風上にあっては風下では耐えがたい意から」という語源は初めて知った。なるほどと思った。ネコの糞が風上にあった時などは確かに「耐えがたい」のだ。

 めぇみちおむすびライブのあった25日の朝、畑に出ると、隣の畑のTさんがキャベツの収穫をしていた。無口であまり会話することの無いTさんが珍しく私に声をかけ、彼のキャベツ2玉を投げて寄こした。その時の表情がいつになくにこやかだったので、しばらくユンタク(おしゃべり)した。にこやかには訳があった。
  「キャベツがたくさん盗まれていて、それが何日も続いている。ワジワジー(怒る)して、ヌスルー(盗人)を捕まえてやろうと思い、今朝4時頃から近くで見張っていた。そしたら、車がやってきて、キャベツ畑の前で停まって、人が一人中へ入った。車を近付けていったら逃げてしまったが、ヌスルーの車のナンバーは覚えた。また、慌てたヌスルーが忘れていった包丁もある。これから警察に届けるつもりだ」とのこと。
 翌日、キャベツの収穫をしているTさんに声をかけ、ヌスルーの件について訊いた。
 「犯人は昨日すぐに捕まった。あそこの人だ」と彼が近くの畑小屋を指差した。私の畑の隣はSさんのウージ畑、その隣はSさんの友人(名前不明)のウージ畑、その隣に「O農園」と看板も掲げてある畑小屋がある。Tさんが指差したのはそこ。
 「農作業の苦労を知っている同じハルサー(農夫)が犯人だったのか・・・」と私はとても残念に思った。同じ苦労をしている人間の、その苦労の成果を横取りするなんて、なんて奴なんだ、ハルサーの風上に置けぬもの、じゃないかと思った。
          

 めぇみちおむすびライブのあった25日の夕方、良い天気で、風も心地よかったので宜野湾市我如古にある我が家から、宜野湾市大山にある「めぇみち」まで歩いて行った。1時間近くかかった。その途中、面白そうな飲み屋さんを発見し、「我如古公民館はここにあるのか」と気付き、お菓子屋さんの店前にある看板に「バレンタインデーに素敵な贈り物をもらった貴方・・・」と書かれているのを見て、思い出したくない事を思い出したりした。そんな中で、「おやおや」と思う面白い横断幕にも出会った。
  その幕には大きな文字で「宜野湾市民とジュゴンどっちが大事」と書かれてある。「そりゃあ当然・・・」なのだが、「どこの誰が掲げた幕だろう?」と見ると、その大きな文字の右下隅に「移設推進協」と小さな文字があった。基地移設推進協議会だ。
 移設推進派の感性では「ジュゴンより宜野湾市民が大事だから早く辺野古に基地を造って、普天間基地を移設しよう」ってことなんだろう。ということはつまり、彼らは「辺野古に住んでいる人々はどうでもいい」と思っているみたいだ。「辺野古区民と宜野湾市民とどっちが大事?」という横断幕を隣に掲げたいと、私は思った。
 ジュゴンはまだしも、辺野古区民と宜野湾市民は同じウチナーンチュ、それを差別するなんて酷い奴らだ、ウチナーンチュの風上に置けぬもの、じゃないかと思った。
          

 記:2014.3.7 島乃ガジ丸


観せる唄

2014年03月07日 | 通信-音楽・映画

 先週火曜日(2月25日)、『めぇみちおむすびLive』と銘打って、宜野湾市大山にある飲食店「めぇみち」で20名様限定のライブがあった。ライブの演者は純名里紗ボーカル、笹子重治ギター。純名里紗を私は知らなかったが、笹子重治は一流のミュージシャン、純名里紗も後で調べたら、宝塚歌劇団の元トップスターであった。
 一流どころの2人が「めぇみち」という小さな店で、たった20名しかいない客の前で演奏する。「めぇみち」の女将Iさんは私の古くからの友人で、10年程も前になるか、彼女に誘われてショーロクラブのライブを聴きに行った。笹子重治はショーロクラブのメンバーだ。その時にIさんから「笹子さんのファン」であることを聞いている。ファンから親しい付き合いになって、その縁から小さな店ライブの実現、かと思った。
  ライブ当日、演奏が始まる前に「そうなの?」とIさんに訊くと、そうではなかった。その日店の手伝いにも来ていたが、「めぇみち」で使っている食器の多くを制作している陶芸家のHさんという女性とIさんが友人で、Hさんと純名里紗が幼馴染で親しい間柄という関係から、「めぇみち」という小さな店でのライブが実現したとのこと。
          

 演奏が始まってから、純名里紗からも「めぇみち」との縁が語られた。陶芸家のHさんとは同じ兵庫県で幼馴染、長じて以降も親しくしている。純名里紗は2011年3月11日の大震災に大きな衝撃を受け、その時に心を癒されたのがショーロクラブの音楽で、それ以来、いつかは笹子さんと一緒に音楽をやりたいと願っていた。
 陶芸家のHさんは18年ほど前に沖縄に移住し、ほどなく「めぇみち」のIさんと親しくなった。Iさんは笹子重治の古くからのファン、IさんとHさんはとても親しく、Hさんと純名里紗もとても親しく、これは私の想像だが、「笹子さんはとても気さくな人、優しい人」という情報がIさん→Hさん→純名里紗に伝わり、純名里紗は思い切って笹子重治に告白し、OKを貰い、一緒にやるようになった。そして、気さくで優しい笹子と純名は出演料も少ない小さな店でのライブを、「喜んで」となったのであろう。

  めぇみちでのライブ、3曲目をマイクを外し生で歌った純名里紗が、「マイクの方がいいですか?」と訊いた。彼女の目の前にいた私がそれに「マイクは無い方がいいです」と応え、その後、数曲を生で歌い、再びマイクを通して1曲歌った後、彼女は「どっちがいいですか?」と再び訊いた。それにも再び私だけが「私は、無い方がいいです」と応えたが、「私は」と強調したことを彼女はすぐに理解し、「マイク無い方が良いと思う人」と客達に挙手を求めた。圧倒的多数だった。前半7曲ばかり歌って、15分ほどの休憩の間にマイクスタンドはステージから消えた。よって、後半は全て生唄、生ギター。
 純名里紗は美人で、胸は出て、腰はくびれているスタイルも良いイイ女なのだが、生ギターの音がとても良くて、演奏中、私は美人では無くギターばかりを主に見ていた。「ギターばかり見ていたカウンターの人、何者?」と純名里紗が言っていたと、翌日Iさんから聞いた。「だよな、男なら美人を見るべきだ、ホモと思われたかなぁ」と反省。
 しかし、私は彼女を時々「観て」はいた。彼女の歌う唄は私にとってあまり魅力は無かったが、彼女の動作と表情には魅せられた。唄を、その歌詞と曲だけでは無く、動作と表情でも表現していた。「唄にはこういう表現方法もあるんだ」と認識させられた。
          

 記:2014.3.7 島乃ガジ丸


幸せな分身、真迦哉

2014年03月07日 | ガジ丸のお話

 沖縄の夏場、梅雨明けの5月上旬から9月いっぱいまでは、概ね熱帯夜となる。部屋にクーラーはあっても使わない私はその熱帯の中、汗をたっぷりかき、寝苦しさで夜中何度も目を覚ましながら熱帯に耐え、朝5時前には起きて、畑へ行っている。寝苦しさはあっても、睡眠は十分取れているようで、目覚めは良く、昼間眠くなるようなことは無い。それでも、冬場に比べれば「寝たぞー!」という満足感はずっと少ない。
 その冬場である今、毎日「寝たぞー!」という満足感を得ている。十分な満足感は概ね掛け布団を使うような気候となる11月頃から始まり、この先4月いっぱいまでは続く。この間の私は寝坊することが多い。寝ていることが幸せでしょうがないのだ。
     

  夢も見ないほどぐっすり寝る、寝て起きたら朝だったというほどぐっすり寝る、などというのが良い睡眠と言う人もいるだろうが、私は違う。レム睡眠、ノンレム睡眠をリズム良く何度か繰り返しながら、一晩にいくつもの夢を見て、何度かの夢の後に目覚める。これが私にとっては良い眠りとなっている。夢を見ている間幸福感に浸り、睡眠時間は十分なので、体のリセットもできており、目覚めもスッキリしている。
     

 毎晩、いくつもの夢を見ているが、そのほとんど全てが楽しい夢となっている。若い頃は空を飛ぶ夢、高い所から落ちる夢、正義のために戦う夢、超能力を駆使して敵に立ち向かう夢、追われる夢、傷つけられる夢、殺されそうな夢など、楽しいことも怖いこともいろいろあったが、オジサンという年齢になってからの夢は概ね現実的なものが多く、それも自分に都合の良い楽しい夢ばかりで、怖い夢はほとんど見なくなった。
 夢の中の私をもう一人の自分として、彼の名前を仮に真迦哉としておく。真迦哉はとてもモテる男で、美女たちから毎日のように言い寄られる。それらをひらりひらりとやんわりかわしながら、時には美女と一夜を共にする。幸せな人生を送っている。

 夢の環境設定はほぼ現実的なので、登場人物たちも身近な人が多い。年に数回は会う親しい親戚友人知人がレギュラーのように出演し、現実には滅多に会わないが、若い頃親しくしていた高校の同級生や部活の先輩後輩なども時々ゲスト出演する。
 たまには、会ったことのない大物ゲストも出てくれる。先日はタモリが出てきた。「笑っていいとも」がこの3月で終了することを噂に聞いていたので、その話となり、「沖縄に別荘を造って、年の数ヶ月はそこで暮らそうと思う。敷地は広いので、別荘の近くに小屋を建てるから、あんたそこに住んで別荘の管理をしてくれないか?」と依頼された。その後どうなったか記憶はおぼろげだが、「そりゃあもう喜んで」となったと思う。

 大物ゲストはタモリの他、何人も(私がテレビで観て知っている人のみ)出てくるが、それはやはり女性が多い。女性の美人どころが多い。美人も若い人が多い。
 若いかどうか意見が別れると思うが、真迦哉から見ればずっと若い中森明菜、歌手の中森明菜だ。彼女がある日、真迦哉の住む小屋にやってきた。
 「私、中森明菜です。」
 「そりゃあ、見りゃ判る。」
 「私、畑仕事が好きなんです。一緒にやらせてください。」
 「仕事は?歌手はどうするの?私と一緒の農業では稼げないよ。」
 「歌手は辞めました。でも、印税が入ってくるのでお金は大丈夫です。」
 などといった会話があって、真迦哉は「何でこんなイイ女が俺の所へ?夢でも見ているのかなぁ」と思う。そこで「こりゃあ夢だな」とレム睡眠の私は何となく気付ている。気付いたけれど夢はなおも続いた。中森明菜の今にも壊れそうな表情と、今にも壊れそうな声に魅入られて、真迦哉は中森明菜と暮らすことになった。一緒に畑仕事をし、家に帰ってあんなことをし、こんなことをし、桃色の日々が続く・・・ところで夢は終わり。
     
     

  高校の同級生で、当時は可愛かった数人の美女とも真迦哉はあんなこともこんなこともしている。念のために言っておくが、私はさほどスケベではないのだが、真迦哉の前で彼女達は服を脱ぐので、「よせよ」と言いつつ、真迦哉も付き合ってしまうのだ。
 楽しい夢は美女とのあんなことこんなことだけではない。いつか見た、もうおぼろげにしか記憶していないが、友人知人親戚たちの中でいくらか政治社会に興味を持っている人々が集まって「沖縄の基地問題解決」を祝う酒宴があった。あれこれ運動して、解決に至るまでのプロセスもあったと思うが、そういったことは全く覚えていない。ただ、酒宴の席に菅原文太と高倉健が顔を見せていたような記憶はある。

 女性には大モテで、社会のため、平和のためにも力を発揮し、多くの人から認められている。真迦哉はそんな男だ。何という羨ましい人生。
 そんな幸せな人生を送っている真迦哉は私の分身である。夜になると私は真迦哉に変身して、彼の住む世界で幸せを味わっている。真迦哉はもう一人の自分である。彼が溢れんばかりの幸せを味わっているので、現実の私が多少不遇だとしても二人合わせれば幸せの方が余る。と考えると、私は今、幸せであると言える。
 と考えると、夢は大事だ。その人の幸不幸に関わってくる。昼間たっぷり働いて、夜はぐっすり寝て、楽しい夢を見るのが幸せの道というわけだ。
 いや、ちょっと待て、私は楽しい夢がずっと多いが、人によっては楽しい夢ばかりとは限らない。悲しい夢、苦しい夢を多く見る人もいるだろう。その人たちはじゃあ、幸せになれないのか?どうしたら楽しい夢を見られるようになるのか?
 と考えると、私が楽しい夢ばかりなのは、元々私が呑気で楽観的性格だからだと思う。楽観的性格の人はたぶん、夢も楽しいものを多く見るのであろう。
 と考えると、私が寝ている間の私の分身、真迦哉が幸せなのは私のお陰ということになる。私が呑気で楽観的性格だから真迦哉は楽しい出来事ばかりに出会うわけだ。

 寝ている時間も人は生きている、生きて、夢の中でいろいろ経験している。泣いて笑って、歌って踊って、愛して愛されている立派な一つの人生だ。
 と考えれば、寝ている間の真迦哉の人生と、起きている間の私の人生とを足したものが私の全人生となる。真迦哉が楽しく幸せに生きているとすれば、起きている間の私に何か特別な幸せ事が無くても、私は既に十分な幸せを得ているわけだ。
 いや、ちょっと待て、夢の人生が十分幸せなので起きている間の私は何か特別な幸せ事を求めない。よって、、起きている間の私は楽観的になっている、のかもしれない。
 と考えると、私が楽観的性格なのは真迦哉のお陰ということになる。うーん、鶏と卵みたいになってしまった。「私が楽観的だから真迦哉が幸せ」、「真迦哉が幸せだから私が楽観的」、どっちが先だって話だ。まあ、お互いが幸せであるようお互いに協力すれば良いということにしよう。「楽しく生きろ!」と、私は真迦哉を応援しておこう。
     

 記:2014.2.28 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次