ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ガンチョーユガマー

2014年01月10日 | 通信-沖縄関連

 2004年から2008年にかけて50曲ばかりの唄を私は作った。その間はほとんど毎日ギターを触り、時にはサンシン(三味線)も弾いた。それからしばらく経った2010年の年末に、稀代の美女(と私は思う)Sさんに振られた際、ギターをつま弾いて悲しい唄を数日歌い続けた。その後はまた暫らく遠ざかり、去年(2012年)3月、久々の新曲『今のちんぼーらー』を作曲する際にギターを使った。それからまた遠ざかって、それ以後、私は私の部屋にあるギターもサンシンも触っていない。
 唄を作るのは集中力を要する。1度ギターを手にしその作業を始めると2~3時間は集中している。一昨年は会社を辞め畑仕事を開始した忙しさで、去年は実家の売却に関わるあれこれの面倒事で、「唄を作ろう」という気持ちになれなかったのだ。
 昨日の夜、しばらく触っていなかったギターを手にした。またも女に振られ、悲しい唄を歌い、自らを慰めた・・・のでは無く、新曲を作ろうと思って。新曲はまだ完成はしていないが、内容はだいたい決まっている。ちゅら沖縄でも、素朴で優しいウチナーンチュでも無く、醜いウチナーや、困ったウチナーンチュを表現した唄。
          

 ウチナーンチュの多くは、青い空がどうの、碧い海がどうの、赤い花がどうの、あるいは、優しいとか素朴とか情が深い沖縄などという唄が好きである。それに反し、私の作った唄にはパチスロで借金する困ったウチナーンチュのことや、基地負担に困っている沖縄のことを歌った唄などであり、今回の新曲はさらに「困った」を突き詰めようと思っている。おそらく、ウチナーンチュの多くに支持されない唄となるであろう。
  そんな唄であるが、友人の天才ミュージシャンKは気に入ってくれて、バンドを作って私の唄を発表するつもりでいる。あいにく、そんな唄を気に入ってくれる若くて可愛くて歌唱力のある女子はなかなかいなくて、ボーカルのなり手がいないのが現状。
 Kも私も私の歌がヒットするとはほとんど予想していない。どころか、世に出ない可能性も十分にあると思っている。でも、しかしだ。「沖縄戦で日本軍のやった残虐行為を教科書に載せろ」といったふうに、「歴史は正しく教えねば」と言っているウチナーンチュが多くいる。であるならば、自分達の悪い所も歴史に残せ、と私は思うのだ。

  アメリカ軍は沖縄人の負傷者を保護し、老人子供に優しく接する者もいたらしい。日本軍の兵士にもそういった優しい人がいたであろう。それとはまた逆に、アメリカ兵には沖縄の婦女子をレイプするものも多かったらしい。日本の兵にもそういう者がいたであろうし、沖縄人にだって悪い奴は当然いる。ガマの中で泣く赤子を「敵に見つかる、赤子を殺せ!」と怒鳴ったのは日本軍兵士だけで無く、沖縄人もいたと聞いている。
 新曲の題は『ガンチョーユガマータンメー』。ガンチョーは眼鏡、ユガマーは歪んでいる、タンメーは爺さんという意。世の中を斜めに眺めている爺様の愚痴のようなもの。和語だと「何が平和だ、何が情深いだ、何が青い空だ、お前たちは昔自分がやったことを忘れたか、お前たちは被害者でしかないと思っているのか・・・」といった内容。
 念のため断わっておくが、そんな唄作っていても、私は沖縄が好きである。そんな唄を気に入ってくれている宮崎人Kもまた、沖縄が好きである。臭い所も苦い所も、惨めな所も全部ひっくるめて好きということである。同じように日本も好きである。
          

 記:2014.1.10 島乃ガジ丸


仕立てる果樹

2014年01月10日 | 沖縄01自然風景季節

 私が借りている300坪の畑なっぴばる、作物生産に間接的に必要な畑小屋、物置、駐車場、通路などが全体面積の約三分の一を占めている。残りの約200坪が直接的作物生産面積であるが、実際にはまだ、半分の100坪も使っていない。
 去年(2013年)の11月5日に物置を建てた。物置には今、大工道具や農機具、農業資材などを収めてあるが、物置設置計画の最初の構想ではそこに耕運機を保管する予定であった。耕運機は盗難にあいやすいと近所の先輩農夫たちに聞かされていたので、鍵のかかる物置があれば耕運機も置けると思っていたのだ。
 ところが、一度耕した土壌、さらに、刈草でマルチング(土を覆うこと)して、その後その草ごと耕した土壌は柔らかくなっていて、手作業で耕しても楽になっており、時間もそうかからなくなっていた。なので、「耕運機は要らないかも」となっている。

 この先も機械を使わずに手作業でやってやるか、と半ば決めてはいるが、今まで耕したことのない土壌は固いし、柔らかくなった土壌であっても、手作業で除草し、耕し、畝立てし、種を播き、収穫するのは一人だとやはり時間がかかる。一人手作業を続けるという条件だと、野菜畑は100坪程度が限度かなぁと感じている。
  というわけで、直接的作物生産面積200坪の内、半分の100坪は果樹園にしようと決めた。そこには現在、カキ、ミカン、コーヒー、グヮバ、ビワ、バナナ、パパイアなどの苗木を計40本ほど植えてある。これからさらに増やしていく予定。
 果樹園を設けるのは、果樹を植えてしまえば実が生り、熟したら収穫する作業と、時々その下の除草をやれば済む。つまり、100坪の管理が野菜畑より楽だと思っているからであり、それなら一人手作業で300坪の管理もできるだろうと思っているからだが、ところが、果樹園も放ったらかしではいけないということが先日判明した。
     

 なっぴばるの近所で主にシークヮーサー栽培をしている爺様がいる。88歳のNさん。そのNさんが先日、私の畑の、ちょうど小屋前で一服していた私の所まで来て、「ちょっと私の畑まで来てくれんか?」と言う。で、付いて行った。
  爺様の畑に着くと、「これを見てごらん」と地面を指差す。見ると、地面の上に黄色く熟したシークヮーサーの果実が無数に落ちていた。「勿体無いだろ?これを見ると悔しくてイライラするんだよ」と言う。「落ちたものの多くは熟しすぎて商品にならない。高い所に生っているものは手が届かなくて、みすみす無駄にしている」と続ける。
 爺様のシークヮーサーの木は、その多くが高さ5~6mあり、低い所の実は収穫が済んだようだが、高い所にはまだ多くの実が残っていた。畑小屋の周りにも数本のシークヮーサーの木があって、爺様は小屋の屋根の上から木に脚立を掛け、脚立に上って、左手で枝を引き寄せ右手で果実をもいでいるとのこと。つまり、両手はその作業のため体を支える役には立っていない。爺様の体は不安定な脚立に乗っている両脚だけで支えられている。88歳の脚だ、脚立が揺れたらバランスを保つのも難しかろうと思う。

  「高い所の実を収穫するのを手伝ってくれんか?」と爺様に頼まれた。不安定なトタン屋根の上に、不安定に掛けられた脚立に上っての作業、年寄りにはとても危険な作業である。年寄りと呼ばれるにはまだ早いオジサンの私にとっても危険な作業だ。そこで、ふと思い出した。若い頃沖縄島北部の本部町にあるミカン(タンカン)畑でミカン狩りをしたことがある。そこのタンカンの木は皆、3mほどの高さだった。
 「Nさん、実の着いている枝を落としましょう、シークヮーサーの剪定時期が今で良いかどうか明日確認しますから、作業も明日にしましょう」と言ってその日は帰る。
  翌日、近所の先輩農家のNMさんにシークヮーサーの件を相談した。
 「N爺さんは木と木をくっつけ過ぎなんだ、くっつけ過ぎると木は太陽を求めて横では無く上に伸びて行く。だから、N爺さんの木は背が高くなる。もっと離して植えて、枝を横に引っ張って横広がりの形に仕立てないといけないんだ」とのことであった。
 剪定は今、12月から1月が適宜とも聞いたので翌日、N爺様の畑へ行って、高く伸びた枝の先にたくさんの実を着けている1本のシークヮーサーを剪定した。実をたくさん着けた枝は地面に下ろし、爺様が座って収穫できるようにした。
     
     
     

 私も、私の畑の果樹園にミカン類(カーブチー、シークヮーサー、タンカンなど)を植えようと思っている。既に7、8本は植栽済みで、これからさらに十数本、合わせて20本は植えたいと思っている。「そうか、植え放しではいけないのか、剪定し、枝を誘引する作業が必要なんだ、放ったらかしでいいというのは甘い考えだったな」と反省。
 果樹はミカン類だけでは無い。カキ、アボカド、コーヒー、グヮバ、ビワ、バナナ、パパイアなども含めたら既に40本はあり、今後も増やしていき、ミカン類も合わせて合計120本程度の果樹園にする予定だ。この内カキ、アボカド、コーヒー、ビワなどはおそらく、ミカンと同じく剪定と枝の誘引作業が必要であろう。
 120本の剪定と誘引作業といっても、それはそう時間のかかる手間ではあるまい。時間がかかるのは収穫時だ。例えば、全てミカンとして計算してみる。1本から100個の果実が採れるとして12000個、移動時間も含めて1個収穫するのに10秒かかるとしたら、全て収穫するのに12万秒、時間にすると約33時間だ。あれっ???

 「33時間、あれ?なんかできそうな感じ」と呑気な新米農夫は思ってしまった。よって、果樹園は予定通り進めることにした。問題は別の「時間」にある。モモクリ三年カキ八年、ミカン類は九年という、果実が生るまで時間がかかるということ。
 私の畑のミカンが収穫できるようになるまで9年、生きているかどうかも分からない未来。「あー、収穫に人手が欲しいなぁ」と悩むような日が来るのかどうか、いやいや、来るかもしれない未来を楽しみにして、明日、カキの種を播くとしよう。

 記:2014.1.3 ガジ丸 →沖縄の生活目次