ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

休養と栄養の必要

2012年09月07日 | 通信-その他・雑感

 一ヶ月余前のある日、宜野湾の畑から西原の、仮に借りているナッピバルへ向かっている運転中、20年ほど前に一度経験して以来の運転中の眩暈(めまい)がした。「こうやって気を失って、事故を起こす人も多いんだろうなぁ、危ねぇなぁ」と思い、横道へ入った。「高血圧に因る脳梗塞かなぁ、最近煙草の量が増えてるしなぁ、休肝日も守ってないしなぁ。筋力トレーニングもさぼっているしなぁ」などと思い当たることを思い出しながら駐車できる場所を探している内、1分にも満たない内に気分は正常に戻った。
 でも、確かにその頃血圧は高めで推移していた。それから数日後の8月17日付けガジ丸コラムで「7月下旬から急に血圧が高くなり、脈拍数も増えた」と書いている。

 高くなった血圧は上が150前後、下が90台で、脈拍は70~80(私の平常値は60前後)であった。その後数日で、血圧は正常値近くまで戻り、脈拍も65まで下がったのだが、それは、私への理不尽な非難中傷が書かれてあった姉のメールに対する反論メールを出し、それで精神的ストレスが消えたお陰だと思った。
 ところが、血圧はまあまあ安定しているのだが、脈拍が65~66になったのは2日だけで、その後はまた70前後に戻った。「何なんだいったい、原因は?」と考えた。8月24日付けのガジ丸コラムに書いたように、元々飲み屋向き体質の私が、朝4時半起きを休み無しで一ヶ月半も続けたことがストレスだったのかもしれない、と思った。

 仮に借りている300坪の畑、「仮」が仮でなくなるのは、一人手作業による300坪の除草と耕起、畑小屋作成などが「できる」と判断できてからとなる。
  「できる」かどうかの判断をできるだけ早くしようと毎日4時半に起きて、毎日数時間の有酸素運動(畑仕事、大工仕事など)をしていたわけだが、天地創造の神が「7日目は休日」とモーゼに語ったように人間にはやはり休養が必要なのであろう。
 台風15号のお陰で、25日から2日連続のんびり過ごし、27日に脈拍は下がる。ところが、翌日から風邪、とても軽い鼻風邪であったが、それでも体内の免疫細胞軍団は忙しく働いたみたいで脈拍は70台になる。それは2日後の30日まで続いた。
 30日は旧盆のウンケー(御迎え)の日、朝、畑仕事を4時間半ほどし、その後仏前の飾り付けや供え物の準備などで忙しくしたが、翌31日からウークイ(御送り)までの2日間は実家でのんびり過ごした。ウークイには盆の御馳走も食べた。で、翌2日、「風邪?引いてたかな?」と思うくらいすっきり気分で、脈拍も65まで下がる。
          

  実は8月中旬、有酸素運動のお陰だと思うが、体重は記録更新の55.0キロになり、体脂肪率も9%にまで落ちていた。そこでふと思った。一ヶ月余前の運転中の眩暈(めまい)はひょっとしたら高血圧のせいでは無く、栄養失調のせいではなかったかと。
 畑で毎日有酸素運動をしている間も私の食事量はそれまでと同じく、1日2食の、1食当たりも少食のままであった。体を動かしている割には栄養が足りなかったのかもしれない。私の眩暈は女子高生の貧血みたいなものだったかもしれない。
 貧血の女子高生は抱きしめたくなるが、貧血のオッサンはみっともない。休養と栄養は必要だ。旧盆でのんびりし、御馳走も食べたお陰で体重は55.8キロまで戻った。
          

 記:2012.9.7 島乃ガジ丸 


ムイ(森)

2012年09月07日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 森と林の違いがはっきりと解らないが、木が3つと2つの違いで、森の方が林より規模が大きいのではないかと何となく解釈していた。この機会にはっきりさせようと思って広辞苑を引いた。森は「樹木が茂り立つ所」、林は「樹木の群がり生えた所」とあった。茂り立つと群がり生えたがどう違うのか、結局、はっきりしない。
 なっぴばると名付けた仮に借りている畑は西原町にあり、周りは畑、墓地、原野に囲まれている。原野の辺りを森と呼んでいいのか、林と言った方がいいのかと迷って、「森と林の違いとは何だ?」となったわけ。違いははっきりしなかったが、私の感覚で森ということにする。ただし、規模は小さい。2時間もあれば一周できそうな程度。

 今年春に旅をした伊是名島、粟国島のいずれでも見つけたホウロクイチゴ、それまで見たことが無かったので、てっきりヤンバル(山原:沖縄島北部の通称)のような田舎にしか生えないものと思っていた。ところが、なっぴばるの傍、道向かいの原野の縁にホウロクイチゴを見つけた。「ほう、こんなところにも生えているのか、田舎者では無かったんだな」と思いつつ、「いや、ここが田舎に近い環境なのかも」とも思う。
 実は、もう一つ驚いたことがある。これも田舎の者とばかり思っていたアカショウビンがいるのだ。姿はまだ見てないが、その鳴き声は毎日何度も聞こえてくる。
 マングースが畑を横切り、ウグイス、シジュウカラ、セッカなどが多くその姿を見せ、その鳴き声を聞かせてくれる。そしてアカショウビンもいる。よって、なっぴばるの道向かいの原野は「森」と呼んで差支えなかろうと思う。

 森のことを沖縄ではムイと発音する。ムイが『沖縄大百科事典』に載っている。地形としては「土石であれ、樹勢であれ、高く盛り上がった地形をいう」とのこと。
 倭国でも同じだと思うが、そういった場所は概ね聖域になる。聖域のことを沖縄では御嶽(うたき)と言い、それは今でもよく耳にする言葉だ。有名な斎場御嶽(せーふぁーうたき)の他、弁が岳、末吉公園に御嶽があり、おそらく、あちらこちらにもあると思う。ただし、御嶽は「近世以後の王府の公用語」で、元々はムイと呼んでいたとのこと。

  なっぴばるの道向かいの森にも名前はあるに違いない、それを訊こうと思っていたら近所の農家の一人、いつも挨拶だけはしている爺様に会えた。「さー、この辺りは何て言うのか分からんねぇ、クサティムイになっているとは思うけどねぇ」とのこと。
 クサティムイは数年前に教わった言葉だ、固有名詞では無い。「頼る森という意味」だと私は聞いて、後盾(うしろだて)森という漢字を勝手に想像していた。で、改めて調べてみると、その漢字は間違っていた。『沖縄大百科事典』に「腰当森」とあり、「西北風を防ぐ集落の鎮守として祖霊が祀られ」る場所とのことであった。
 「そうか、集落の鎮守か、・・・あれ?鎮守の杜ってよく聞くが、鎮守って何だったっけ?」と広辞苑、「その地を鎮め守る神」のこと。つまり、おそらく、だいたい、鎮守の杜とクサティムイはその意味もそれに対する人々の想いも同じようなものであろう。
 なっぴばるの道向かいの森、聖霊の宿る森、集落の鎮守の杜、クサティムイ。きっとそこは私もなっぴばるも守ってくれるに違いない。ありがたや。
     

 記:2012.8.30 ガジ丸 →沖縄の生活目次