天然記念物の卵
前住んでいたアパートの近く(徒歩15分ほど)に八百屋があって、そこには野菜だけでなく、委託販売の惣菜、パンなども置いてある。パンは3、4軒のパン屋さんの商品があり、その内1軒のパン屋さんは、午後2時頃までに行けば全品半額になっている。それを目当てに私は時々通っていた。いや、過去形ではなく、今でもたまに通っている。
その八百屋には半額パンの他にも私のお目当てがある。それは鶏卵。鶏卵の納入業者も4、5軒あり、私のお目当てはその内の1軒、その中の1種、10個パックではなく5個パック。パッケージの説明には放し飼いとあり、期待通りのモッコリ卵である。
モッコリ玉子については前にも・・・さっき調べたら2008年3月のこと・・・語っているが、卵を割った時、白身も黄身も球形を保っているものを私はそう呼んでいる。たぶんだが、モッコリ玉子は平たい玉子より新鮮である、と私は思っている。
話は少し逸れるが、玉子と書きながら、「卵と書いた方が正確なのかな?そもそも、玉子と卵ってどう違う?」と疑問を持ったので広辞苑。
「(卵は)特に、食用にする鶏のたまご。玉子は、鶏卵を使った料理、あるいは料理用鶏卵の場合に限って用いるのがふつう」とのこと。私が上に書いている「たまご」は料理するための「たまご」なので、玉子と表記して正解だということになる。
さて、そのモッコリ玉子、5個入りパックで150円、その八百屋には別の業者の玉子も置いてあるが、10個入り180円という安いものもある。貧乏でも私は、5個入り150円を買う。1日1個食って10日で180円より、美味いものを2日に1個食って10日で150円だ、こっちの方が安上がりとなる。美味いという満足感は2日持つ。
ところで、そのモッコリ玉子、5個入りが時には6個になったりする。1個はたまたまのオマケだと思われるが、オマケの1個が烏骨鶏の玉子だったりもする。あるいは、5個は5個そのままで、4個が普通種、1個が烏骨鶏だったこともある。そんな場合でも150円という値段は一緒。烏骨鶏は値段が高いと知っているのでラッキーと思う。
その店にはウコッケイだけの5個入りパックも置いてある。それは300円する。普通種の倍の値段だ。見た目には普通種よりずっと小さいので損した感じだが、おそらく、ウコッケイの玉子は普通種より栄養価が高いのであろう。あるいは、旨いのであろう。
4月26日に買ったいつものモッコリ玉子5個入りパックは、ラッキーなことに4個が普通種、1個がウコッケイのパックであった。そのウコッケイの玉子は、5月4日にモッコリ玉子と一緒に目玉焼きにした。割ってみるとウコッケイもモッコリであった。醤油をかけて食う。ウコッケイも普通種も同じく旨かった。しかし残念ながら、ウコッケイは特に旨かった・・・とは、私は感じなかった。違いの判らぬオジサンなのである。
ウコッケイ(烏骨鶏):キジ目の鳥類
キジ目キジ科の飼い鳥 アジア東部の原産 方言名:フクガードゥイ
小型の鶏。繁殖力旺盛で食用として飼われる。天然記念物に指定されている。
記:2017.5.25 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
美味しい鉈
2015年11月に、声を掛けられ知合いになったTさん、元公務員で今は悠々自適の生活。悠々自適でもボンヤリはしていない、各種ボランティアに参加するなど社会活動を続けながら、自宅の傍に広い畑があり、その畑にはたくさんのコーヒーの木が植えられていて、収獲したコーヒー豆を業者に販売しているという農夫でもある。
同年12月、Tさんの畑を訪ねる。畑はコーヒーの木が中心だが、他にも様々な作物が植えられてあった。私が気になったのはタバコ、毒性の少ないキャッサバ、そして、Tさんに教えられるまでそうとは知らなかったナタマメ、ナタマメは莢を着けていた、でっかい莢だった。その日、キャッサバの茎とナタマメの莢を数個頂いて帰る。
ナタマメがどういうものか知る前に、それが福神漬けの材として使われているということは、近所の先輩農夫Nさんからも、友人のE子からも聞いていた。「あー、福神漬けに入っているあの蝶々みたいな形をしたものか」と、何年も、あるいは十何年も前に食べた福神漬けを思い出しながら、2人の話から想像できた。「蝶々みたいな」という私の喩えが妥当かどうか判らないが、豆だけではなく、莢ごとスライスして使われている。
莢ごと食せるのはおそらく未熟のものだと想像できる。何せ、Tさんから頂いた完熟の莢は余りにも堅くて、食い物になりそうな気配は微塵も無かった。ということで、Tさんから頂いたナタマメの莢は、種を取り出してポットに播いて苗を作ることにした。
年が明けて2016年の3月、近所の先輩農夫Nさんからもナタマメを頂いた。Tさんからナタマメを頂いた数日後、Nさんと会った時、その旨話すると、
「私もナタマメは持っているよ、完熟したら持ってくるよ」と言っていたのを、忘れずに持ってきてくれたのである。Tさんから頂いたナタマメの一部は既に苗になり、畑の裏側、原野との境界に植えられているが、豆はまだ少し残っていた。
Nさんのナタマメの莢もTさんのと同じく、余りにも堅くて、食い物になりそうな気配は微塵も無い。であるが、よく閃く私は、今回もまた閃いた。「煮豆だ」と。
Nさんのナタマメ、莢から豆を取り出し、少し残っていたTさんのナタマメと一緒に煮豆にした。1晩水に漬け、塩煮と甘煮の2種類の味付けで煮豆にした。
ちなみに、鉈を広辞苑で引くと「短く厚く、幅の広い刃物。薪などを割るのに用いる」とのこと。鉈と言うと「鉈を振るう」という言い回しもすぐに思い浮ぶ。「鉈を振るう」は「思い切った処理をする。多数の者を罷免したり、予算などを大幅に削ったりする場合にいう」(広辞苑)とのこと。バッサバサと切り捨てるイメージが浮かぶ。
さて、鉈などと恐ろしげな名前の豆であるが、煮豆にしたナタマメは、その大きさは豆の中では大きい方のウズラマメよりもさらに大きく、恐ろしげな名前にふさわしいものではあったが、大きいので食べ応えもあり、塩煮も甘煮も普通に美味しかった。
ナタマメ(鉈豆):果菜
マメ科の蔓性一年草 原産は熱帯アメリカ 方言名:不詳
名前の由来、資料がなく正確には不明だが、その莢を見れば一目瞭然、容易に想像はつく。長さ30センチ程にもなる大きな莢が鉈のような形をしている。
記:2017.5.6 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
登場数NO1
床を傷付けてはいけない、壁を傷付けてはいけないなどと厳しい入居条件によって、壁を引っ掻いてはいけない、床に物を落としてはいけないなどと生活するに多少窮屈な面はあるが、新居は静かな環境にあり住み心地良く、部屋はきれいだし、庭もある(自分好みに整備済み)し、駐車場は2台停められるし、私は大満足している。
2週間ほど前、正確に言うと1月17日、新居の良い点をもう1つ発見した。じつは、その良い点はそれより1ヶ月前からその予感はあった。新居に住み始めて引っ越しが取り敢えず落ち着いてからの数日後、「トーフー」というラッパの音が聞こえ、豆腐屋さんの車が通った。私が子供の頃は日常の光景だった豆腐行商、今ではごく珍しいもの。
その日、ラッパの音が聞こえる少し前から私は隣に住む大家さんと大家さんの玄関前でユンタク(おしゃべり)していた。車が家の前に来ると大家さんが声を掛け、豆腐屋の車を止め豆腐を買った。たまたまその日、私はスーパーで豆腐を買っていたので豆腐は要らなかったのだが、豆腐屋の若い(三十代?)お兄さんと少し声を交わした。
「池田屋豆腐って、スーパーにも置いてますよね?」
「以前は置いていましたが、今はどこにも置いていなくてこうやって売っています」
「そうですか、毎日この辺は回っているのですか?」
「いえ、あちらこちら回っていて、この辺りは毎週火曜日の夕方回っています」
「そうですか、生憎今日はもう既に豆腐を買っているので、次週に買いましょう」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
丁寧な若い男だった。人相も良かった、今時の言葉だとイケメンというかもしれない。私の印象では「信用できる人」であった。その人が作る豆腐、興味を持った。
で、次の週、正確に言うと12月20日、がんもどきとゆし豆腐(沖縄では有名な豆腐料理、おぼろ豆腐のようなもの)を買った。どちらも値段はスーパーで売られているそれより高めであった。どちらも私の好物なので美味しく頂けた。ただ、がんもどきはスーパーのより多少美味いと思ったが、ゆし豆腐についてはあまり差を感じなかった。
次の週も豆腐屋の車を止め、その日はがんもと味付けおからを買った。おからも美味かった。その次の週(1月3日)は、正月で豆腐屋は休み。そして、次の週(1月10日)は私が豆腐屋のことを忘れて、スーパーで豆腐を買ってしまってパス。
そして1月17日、遠くから聞こえてくる「トーフー」というラッパの音に気付き、音が近くに来たところで表に出て、運転手の若い男に手で合図し車を止め、「今日は本命を食ってみよう」と決めていた通り、島豆腐を半丁購入する。
島豆腐は暖かかった。作り立てを車に載せて販売しているようだ。沖縄ではよくアチコーコードーフと言ったりする。アチコーコーは熱いという意であるが、「作り立て」という意も言外に含まれていると思う。子供の頃に行商の豆腐をそう呼んでいた。
子供の頃の記憶では、アチコーコーは美味しい。その記憶が蘇った私は家の中に入ってすぐ、豆腐の角を手で少しちぎり取って食べた。「旨ぇ~」と思った。で、半丁の三分の一を包丁で切り取って皿に載せ、その上に友人Kから頂いた酒盗を乗せ、まだ6時前、外は明るいのにぐい呑みに日本酒を注ぎ、島豆腐を肴に1杯飲んだ。幸せを感じた。
これまでたくさんの飲食物を紹介してきたが、『沖縄の飲食目次』を改めて見ると島豆腐がまだ紹介されていない。「何てこと!」と思った。島豆腐は、私の食卓に上る登場回数ではおそらくNO1だ。晩酌の肴となる回数でもきっとNO1、晩酌のエネルギー量としては間違いなくNO1だ。そんな島豆腐なのに未紹介だったとは何て迂闊。
友人E子が大好きな豆腐があって、それは糸満に会社があり、E子のいる浦添まで週に1回(金曜日)出張販売してくれるもの。その豆腐を、たまたま金曜日にE子の店まで行った時などに頂くことがある。E子が言うように美味しい豆腐であると私も感じている。私が時々買い物に行っているCスーパーに那覇市繁多川にある豆腐屋の「国産大豆の島豆腐」なるものがあって、それをたいてい私は購入している。これも美味い。
E子の勧める糸満豆腐を食べた時にでも、あるいは、繁多川の国産大豆豆腐を食べた時にでも「島豆腐の紹介がまだ」に気付いてもよかったのだが、思いは及ばなかった。何故かと理由をあげれば、どちらも私が頂く時はアチコーコーではないので、池田屋豆腐ほどの感動はなかったからかもしれない。念のため記しておくが、アチコーコーでなくても池田屋豆腐は糸満豆腐や繁多川豆腐に負けることはない、と私の舌は感じている。
池田屋豆腐の美味さに感動した翌週、正確に言うと1月24日、池田屋豆腐の車が来るのを玄関前で待って、運転手に合図して車を止め、そして、車の写真を撮った。運転手の若い、人相の良いお兄さんが出てくると、先ずは、
「美味しい豆腐でした。真面目な豆腐ですね。」と褒め、
「私のような貧乏人には少し値段が高いと思うけど、値段の価値は十分あります」と、さらに褒めた。お兄さんも「他の豆腐より高め」は認識しているようで、それについても肯きながら「値段の価値は十分ある」に喜んでくれ、「ありがとう」を連発した。
「先週、1口食って、あんまり美味いもんだから早い時間から酒になったですよ。ブログで紹介したいから写真撮ってもいいですか?」と訊くと、
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」と言って、車の横のドアを全開にして、電気を点けて、移動販売の全商品が見渡せるようにしてくれた。
その時、私は前週と同様の島豆腐半丁と、今回初めての厚揚げを購入した。島豆腐半丁は今回もアチコーコーだった。「やー、これで今日も明るい内から酒だな」と言いながら若いお兄さんに手を振って家の中。そして、その通り、日本酒を飲んだ。
池田屋豆腐の商品は、島豆腐やがんもの他にも白和え、生ゆば(とても興味があるが540円と高い)、じーまーみ豆腐などいろいろある。チーズがんもなんてのもある。毎週火曜日が楽しみとなった。「火曜日が休肝日になることはないな」と思った。
記:2017.1.31 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
日本酒が欲しくなる芋
沖縄の土は概ね粘土質である。私の畑ナッピバルの土も粘土質である。甘藷は、倭の国では甘藷の茎を引っ張れば芋が芋蔓式にボコボコ出てくるらしいが、沖縄ではそうはいかない。沖縄の甘藷には土がべったりくっ付いているので蔓を引くと蔓が切れる。なので、ショベルで掘る。その際、土が濡れているとショベルに土がベッタリ付き、掘り出した芋にも土がベッタリと付く。掘るのに難渋し、芋に付いた土を落とすのにも難渋する。
今年は雨が多かった。畑の土がいつも濡れていた。特に、梅雨入り以降は毎日濡れていた。で、芋掘りができなかった。で、私は長いこと畑の甘藷を食っていない。
10月後半から雨が少なくなって、畑の土も乾いてきて、芋掘りもやろうと思えばできたのだが、雨が多かったせいで畑仕事も遅れていて、その頃から忙しくなり芋掘りどころではなくなっていた。ということで、私は長いこと甘藷を食っていない。
同じ芋でも、芋が地中の浅い位置にあって掘り取り易いサトイモは、すでに2株を収穫し、私の食卓に数回お目見えした。サトイモは私の好物である。私の好物はたくさんあるので、それが好物ベスト10に入るかどうかは怪しいが、少なくとも、日本酒の肴としてはベスト10に入ると思う。それが証拠に、10月から日本酒を飲む機会が増えた。
いや、嘘をついた。「10月から日本酒を飲む機会が増えた」のは気分が秋になったからだ。暦の立秋は、沖縄ではまだ全然夏、秋分でも早い。秋分の次の寒露辺りからだと、暦でその文字を見ると気分は「秋かも」となる。実際は、秋風を感じた時が私の秋なのだが、今年はなかなか涼しくならなかった。今年の10月は記録的な暑さだった。
それでも日本酒は飲みたい。「白玉の、歯に沁みとおる秋の夜の・・・」だ。実は、日本酒が飲みたいがために、畑のサトイモを掘ったと言った方が正解。
サトイモ料理のことはよく知らないが、私はおそらくこれまで煮たものしか食していない。揚げても美味しいかしれない、焼いても美味しいかしれない。でも、私は、ほんのりと甘辛く煮たサトイモが大好きである。少々ねっとり感のある食感も好きである。
今回の私のサトイモ料理は、煮て、火が通ったと思われるところで、自作のウージ(サトウキビ)液糖と醤油を加え、弱火でコトコトとさらに煮たもの。そのまま食べて美味くて、「酒だ、日本酒だ!」となり、ワサビを少し付けて食って、「旨いぜ、酒だ、日本酒だ!」となり、秋の夜、白玉を十分楽しんだ。念のため言っておくが、十分とは量の事を言っているのではない。旨さのことを言っている。貧乏人は1日1合しか飲まない。
植物としてのサトイモについては既に、2005年5月に紹介しているが、その記事の中で私は「サトイモは皮を剥いたりしたときに手が痒くなる・・・で、生のサトイモを買って料理することは少ない。過去に2、3回しかない」と書いている。後期オジサンとなった今もサトイモの皮を剥いたりした時に手が痒くなるが、その痒さは緩い。後期オジサンの手が鈍感になっているようだ。ちなみに、その記事の中でも「日本酒の好きな私は、さっぱりとした味のサトイモが好きである」と書いてある。昔から飲兵衛なのだ。
サトイモ(里芋):根菜
サトイモ科の一年草。原産分布は東南アジア。方言名:チンヌク
生育気温は25から30度。高温多日照を好む。植えてから収穫するまでに250日要するとある。10月から5月の間に植え付け、5月から12月の間に順次収穫する。
サトイモはその茎も食用となる。ズイキ(芋茎)という。
記:2016.11.23 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
新たなる主食
私の畑ナッピバルの東隣の畑は、私がナッピバルを始めた頃には既に主がおらず(歳老いて引退という噂を聞いた)、放ったらかしの原野みたいになっているが、元はバナナ畑であったようで、今もそのバナナが多く生えている。
近所の大先輩農夫N爺様に「これはリョウリバナナだよ」と最初の頃に教えられていたが、私には「リョウリバナナ?って何?」であった。後日、インターネットで調べて、それがプランテンと呼ばれるものであることを知った。生食では無く、主に熱を加えて食されるバナナのことで、東南アジア、中南米ではポピュラーな食べ物のようである。
リョウリバナナは既に、2013年10月に隣の畑の倒れたものを頂いて料理して食べている。その時は焼きバナナと蒸しバナナにした。「した」と書いたが、じつは、「そういえば、前にリョウリバナナは紹介していたなぁ」というあやふやな記憶があって、パソコンの中を探したらその記事があって、読み返して「リョウリバナナは既に・・・」を思い出した次第。記事は思い出したが、その味は思い出せない。ということで、
今年10月にやってきた最強台風18号は、沖縄島をかすめる進路をとったため沖縄島及び私の畑に大きな被害はなかったが、隣の大きな房を着けたリョウリバナナの大きな幹がナッピバルのトイレに覆いかぶさるようにして倒れた。大きな房はナッピバルの敷地内にあるので、法律的にそうなのか、慣例としてそうなのか覚えていないが、取り敢えずその房は私のものであるということにして、収穫して、小屋前に吊るしておいた。
料理方法はインターネットにあった。皮ごと焼いたり蒸したり茹でたりして食すとのこと。「焼いて食ってみよう」と私はその機会を待った。「すぐ焼いてみればいいじゃないか、何の機会なんだ?」と思われるかもしれないが、その機会とは、季節が体感として秋になる時期を待っていた。炉に火をくべるのは涼しくなってからだ、暑い時に薪を燃やすと暑さがさらに増す。「バッカじゃないの!」ということになる。「バッカ」なことをやるのは、私は嫌いなのだ。そして、今年は涼しくなるのが大いに遅れている。
待てども待てども沖縄に秋がやってこない。いくら南国沖縄と言えど、10月中旬にもなれば例年だと涼しくなっているはずなのである。でも、今年は涼しくならない。
リョウリバナナを収穫してから待つこと約3週間、10月最終日になっても沖縄は涼しくならない。その頃はまた、雨で大いに遅れていた畑仕事が忙しくて、のんびり焚火をするなんて余裕も無くなっていた。で、我慢強い私もついに諦めて、というか、吊るしたバナナが痛んで食えなくなることを恐れて、「焼くのは止めて蒸してみよう」と、痛み始めているのではないかと思われるものから6本を収穫し、家に持ち帰った。
近所の先輩農夫Nさんは時々、自分の畑へ行く前に私のところへ寄ってユンタク(おしゃべり)していく。私が「焼くのは止めて蒸してみよう」と思ったその日の10月31日にもNさんはやって来た。ユンタクの途中、Nさんは「ちょっと小便」と席を立った。ちょっとはしかし、5分経っても戻ってこなかった。「雲子かなぁ?だけど、紙もスコップも持って行かなかったから野糞は無理だよなぁ」と思っていたら、Nさんが両手一杯に黄色く熟したバナナを抱えて戻ってきた。「隣のバナナが熟していたよ」とのこと。
リョウリバナナも熟すれば甘くなって果物バナナとなる。Nさんが収穫してきた熟したリョウリバナナは2人で山分けし、その日、熟していないリョウリバナナ数本と共に家に持ち帰った。その時の熟したリョウリバナナは完熟バナナであった。熟したリョウリバナナのことを2013年10月の記事では「甘みは少なく酸味が少々強かった」と書いているが、完熟リョウリバナナに酸味は少なく、普通に美味しいバナナであった。
その日持ち帰った熟していないリョウリバナナは蒸して食った。蒸したリョウリバナナのことを同じく2013年10月の記事では「イモのような味・・・味は淡白、甘みも少ない」と書いたが、それは「ジャガイモのような食感、味はほとんど無し」に訂正。
「ジャガイモのような食感、味はほとんど無し」はそれだけそのまま食べただけでは美味しいという感覚は無い。しかし、それを主食、ご飯の代わりと思っておかずを添えればまあまあいける。パンの代わりとしてジャムを塗って食べてもいけた。
「よっしゃ、俺の生きる糧が一つ増えたということだ。」と私はニンマリ。
ちなみに、「そういえば、前にリョウリバナナは紹介していたなぁ」と思い出し、その記事をパソコンの中から探して読み返してみると、その時の記事はリョウリバナナを食材として紹介していた。「んっ?」と思って確認すると、植物としてのリョウリバナナは紹介していなかった。ということで、2013年10月のその記事は「植物としてのリョウリバナナ」に変更し、今回のリョウリバナナを食材として紹介することにした。
記:2016.11.9 ガジ丸 →沖縄の飲食目次