アーヴィング・フィッシャーの経済論は、つい最近もケインズと対比して取り上げられていた。好景気が確実になってくると、いつの間にか、そうした議論も霧散してしまったが…。無差別曲線への貢献も彼の業績の一つらしいが、だとすれば、小生が一番苦手とするツールの開発者だ。ちょうど、以下の「風景に乏しい風景」の心象のように、無差別曲線の世界では無痛感と立ち尽くすしか能がない自分を発見する。
【フィッシャーの貨幣数量説とアインシュタインのE=mc2】 20世紀初頭になって、経済学(economics)は物理学(physics)にようやく近づいてきました。ペティの貨幣の内在的価値と貨幣量の公式(必要貨幣量=全支出額/交換度数)は、物理エネルギーの世界として統合されたのです。しかし、このことを理解している、意識している経済学者や経済系の骨董鑑識家は意外と少ないようです。
E=mc2の関係を見出したアインシュタイン(Albert Einstein)が特殊相対性理論から一般相対性理論へと進んでいたまさに同じ時期に、数学と物理学が主要な関心事であったイエール大学教授アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)によって考案されたのが(これは、まさにペティの公式で隠れていた物価水準を取り上げただけに他ならないが…)、以下の貨幣数量説の決定版です。
MV=PT
;Mは流通貨幣量、Vはその流通速度、Pは一般物価水準、Tは取引量
〔フィッシャーの貨幣数量説――フィッシャーは「貨幣の購買力(Purchasing Power of Money)」(1911年)の中で、「貨幣数量説は究極的には、あらゆる人間の財の中でお金だけが持っている根本的な特異性に依存している。――つまり、それがそれ自体では人間の欲望を満たすことはなく、欲望を満たすようなモノを買う力しかない、ということだ」。
アメリカ人のフィッシャーは、ローロデックスというカード索引の発明で莫大な富を得たが、1929年の株価大暴落で、すっからかんになった。暴落のほんの数日前、フィッシャーは「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」と語っていたのだ。不況に苦しむ人々は、フィッシャーを見限り、イギリスのジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard keynes)に注目した。ケインズの有効需要理論によれば、貨幣量の増減は、実質金利の低下と上昇につながる。その結果、設備投資意欲に影響が出、有効需要が増加(減少)する。〕
フィッシャーの交換等式(equation of exchange)MV=PTで、MVをmc2の側に、貨幣価値PTをEの側に置いて考えると、そして、光ファイバーの中を伝送される光子貨幣といったc2=V2の同時感を加算すれば、PT=E=MV2となり、物理と経済の交換方程式は瓜二つ(twin)、そっくりそのままになります。
〔フリードマンの『貨幣の悪戯』――ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)の『貨幣の悪戯』によれば、MV=PTの基本的なアイデアは、すでに19世紀後半に生きたアメリカの天文学者サイモン・ニューカム(Simon Newcomb)が「慎重かつ正確に述べている」という。フリードマンは、「要するに、フィッシャー方程式は金融理論の基礎であり、物理学におけるアインシュタイン方程式、E=mc2と同じ役割を果している」と説明している。
なお、サイモン・ニューカムは、ライト兄弟が空を飛ぶ1年半前(1902年)に、「空気より重い機械が飛ぶことは不可能だ("Flight by machines heavier than air is unpractical and insignificant, if not utterly impossible. ")」と述べたことでも知られる。〕
E=mc2のc(=秒速30万㌔)の光は、商品はともかく、もともと物質の基本尺度たる生い立ちをもっていました。ビッグバン宇宙論によると、われわれの宇宙が誕生した137億年前、その誕生からわずか10万分の1秒後、宇宙は、約5兆度という超高温の火の玉(ファイア・ボール)でした。
火の玉に点火した直後、ほんの1秒のマイナス20乗以下といった初期宇宙は、「どろどろの重い光のスープ」状態だったと形容されます。光は、電磁場が毎秒100兆回振動する、波長は100万分の1㍍前後の電磁波(electromagnetic wave)であすが、悠久の過去にさかのぼるとその波長がどんどん短くなり、反比例的にエネルギー量が途轍(とてつ)もなく大きかったのです。というのも、アインシュタインの相対性理論(the theory of relativity)によって、エネルギーと質量は同等(E=mc2)ですから、光は途轍もなく重かったことになります。今でこそ、光は澄み切って軽やかですが、宇宙の初期、光は物質を圧倒してはるかに重かった。この時期を「輻射(ふくしゃ)優勢の時代」といいます。ある無名の詩人が遺した詩に、ふと、次のようなものがあったのを思い起こします。
風景に乏しい風景
光のふるさとから風がわたってくると
私はゆるやかに目を上げ
光のカンバスの片隅にちっぽけな顔を
しきりと私を見ているちっぽけな顔を探してみる。
小さき人よ、
光の子よ、
私はちっとも馴染めない風景の中にいる。
針の先で構図を失った危うさに
空と地上の不整合に無痛感と
両足を踏ん張って路上に立ちつくした
あの幼き日からずっと
光のカンバスに
私という淡い黒を塗っているだけ。
【フィッシャーの貨幣数量説とアインシュタインのE=mc2】 20世紀初頭になって、経済学(economics)は物理学(physics)にようやく近づいてきました。ペティの貨幣の内在的価値と貨幣量の公式(必要貨幣量=全支出額/交換度数)は、物理エネルギーの世界として統合されたのです。しかし、このことを理解している、意識している経済学者や経済系の骨董鑑識家は意外と少ないようです。
E=mc2の関係を見出したアインシュタイン(Albert Einstein)が特殊相対性理論から一般相対性理論へと進んでいたまさに同じ時期に、数学と物理学が主要な関心事であったイエール大学教授アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)によって考案されたのが(これは、まさにペティの公式で隠れていた物価水準を取り上げただけに他ならないが…)、以下の貨幣数量説の決定版です。
MV=PT
;Mは流通貨幣量、Vはその流通速度、Pは一般物価水準、Tは取引量
〔フィッシャーの貨幣数量説――フィッシャーは「貨幣の購買力(Purchasing Power of Money)」(1911年)の中で、「貨幣数量説は究極的には、あらゆる人間の財の中でお金だけが持っている根本的な特異性に依存している。――つまり、それがそれ自体では人間の欲望を満たすことはなく、欲望を満たすようなモノを買う力しかない、ということだ」。
アメリカ人のフィッシャーは、ローロデックスというカード索引の発明で莫大な富を得たが、1929年の株価大暴落で、すっからかんになった。暴落のほんの数日前、フィッシャーは「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」と語っていたのだ。不況に苦しむ人々は、フィッシャーを見限り、イギリスのジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard keynes)に注目した。ケインズの有効需要理論によれば、貨幣量の増減は、実質金利の低下と上昇につながる。その結果、設備投資意欲に影響が出、有効需要が増加(減少)する。〕
フィッシャーの交換等式(equation of exchange)MV=PTで、MVをmc2の側に、貨幣価値PTをEの側に置いて考えると、そして、光ファイバーの中を伝送される光子貨幣といったc2=V2の同時感を加算すれば、PT=E=MV2となり、物理と経済の交換方程式は瓜二つ(twin)、そっくりそのままになります。
〔フリードマンの『貨幣の悪戯』――ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)の『貨幣の悪戯』によれば、MV=PTの基本的なアイデアは、すでに19世紀後半に生きたアメリカの天文学者サイモン・ニューカム(Simon Newcomb)が「慎重かつ正確に述べている」という。フリードマンは、「要するに、フィッシャー方程式は金融理論の基礎であり、物理学におけるアインシュタイン方程式、E=mc2と同じ役割を果している」と説明している。
なお、サイモン・ニューカムは、ライト兄弟が空を飛ぶ1年半前(1902年)に、「空気より重い機械が飛ぶことは不可能だ("Flight by machines heavier than air is unpractical and insignificant, if not utterly impossible. ")」と述べたことでも知られる。〕
E=mc2のc(=秒速30万㌔)の光は、商品はともかく、もともと物質の基本尺度たる生い立ちをもっていました。ビッグバン宇宙論によると、われわれの宇宙が誕生した137億年前、その誕生からわずか10万分の1秒後、宇宙は、約5兆度という超高温の火の玉(ファイア・ボール)でした。
火の玉に点火した直後、ほんの1秒のマイナス20乗以下といった初期宇宙は、「どろどろの重い光のスープ」状態だったと形容されます。光は、電磁場が毎秒100兆回振動する、波長は100万分の1㍍前後の電磁波(electromagnetic wave)であすが、悠久の過去にさかのぼるとその波長がどんどん短くなり、反比例的にエネルギー量が途轍(とてつ)もなく大きかったのです。というのも、アインシュタインの相対性理論(the theory of relativity)によって、エネルギーと質量は同等(E=mc2)ですから、光は途轍もなく重かったことになります。今でこそ、光は澄み切って軽やかですが、宇宙の初期、光は物質を圧倒してはるかに重かった。この時期を「輻射(ふくしゃ)優勢の時代」といいます。ある無名の詩人が遺した詩に、ふと、次のようなものがあったのを思い起こします。
風景に乏しい風景
光のふるさとから風がわたってくると
私はゆるやかに目を上げ
光のカンバスの片隅にちっぽけな顔を
しきりと私を見ているちっぽけな顔を探してみる。
小さき人よ、
光の子よ、
私はちっとも馴染めない風景の中にいる。
針の先で構図を失った危うさに
空と地上の不整合に無痛感と
両足を踏ん張って路上に立ちつくした
あの幼き日からずっと
光のカンバスに
私という淡い黒を塗っているだけ。