折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『ゆでがえる』現象

2007-07-12 | 教育
久しぶりに埃をかぶったままになっている本の整理をしようと思い立ち、ハタキをかけたり、本棚を雑巾で拭いていると、片隅から古ぼけて変色している封筒が出てきた。

「何だろう」と中身を取り出してみると、数十年前、会社で管理職になった時に受講した研修会のテキストだった。

「ええっ!こんなものが良く残ってたもんだ」と懐かしく、思わずページを繰って行くと、あるページに朱色でアンダーラインが引いてあった。

そこには、『ゆでがえる現象』と言う言葉が、大きな活字で書かれていて、次のような解説がつけられていた。


<ゆでがえる現象とは?>

カエルを熱いお湯に入れると、ビックリして飛び跳ねて命が救われる。しかし、水の状態から入れてその水がだんだん熱くなっていくと、カエルはその変化に気付けず、やがて命を落としてしまう。

おかしいなあ?と思っていることも日常化してしまうと、その問題に気付けず、やがて悲惨な結末を迎える・・・・・という意味。

大企業や大きな組織に発生しやすい現象。

そして、小生の直筆で

なれ合い、もたれ合い体質 → 事なかれ主義体質 → 無責任体質 → 組織の緩慢な『死』 → 管理者は組織の『ゆでがえる現象』と『活性化』に留意のこと。

というメモ書きがある。


そして、改めて思った。

最近、『消えた年金問題』、『官製談合問題』、『天下り問題』、『政治とカネをめぐる問題』等、様々な不祥事が相次いで起こっているが、これらもつきつめてみれば、この『ゆでがえる現象』が背景にあるのではないかと。

『ゆでがえる現象』は、数十年前の問題であると同時に、まさに現在進行形の問題なのであると。

しかも、より心配なのは、数十年前に比べて『ゆでがえる現象』の症状は明らかに進んで、既に『危険水域』に限りなく近づいていると思われる点である。

『社会保険庁』、『緑資源機構』と言う二つの組織が、解体=『組織の死』を余儀なくされたのは、まさにその証左である。

そして、手をこまねいていたら、第二、第三の『社会保険庁』、『緑資源機構』が次々に出てくるだろう。

今、喫緊の課題は、この『危険水域』から脱出するための、具体的な処方箋である。



折りしも、今日は参議院選挙の『公示日』である。

今度の選挙は、この『ゆでがえる現象』に有効な処方箋を示せる人物・政党に投票しようと思っている。

早起きのご褒美

2007-07-08 | 日常生活
このところ梅雨の中休みで、真夏のような厳しい暑さが続いている。

そんなことで、愛犬パールとの朝の散歩時間も、サマー・タイムを例年より少し早めて今年は6月から始めた。当初は朝5時半を出発時間と決めていたのだが、余りにも暑さが厳しいので7月に入ってからは、さらに30分繰り上げ、5時スタートに変更した。

朝30分早く起きるのは辛く、しんどいのであるが、しかし、『6,519歩』、『53分』の散歩を終えて、戻って来ると二つのご褒美が待っているので、それを楽しみ、はげみに頑張っている。



最初のご褒美は、『ゆとり』と『くつろぎ』



ぐっしょりと汗をかいた衣服を大急ぎで脱ぎ捨てて、浴室に駆け込み「熱い」シャワーを浴びた後、浴槽の中で心地よい疲労感に浸りながら、手足を思い切り伸ばしてリラックスし、湯上り後は<良く冷えた牛乳>を片手に毎朝楽しみにしている朝刊の連載小説・夢枕 獏の『宿神』に真っ先に目を通す。
このような『くつろいだ気分』にさせてくれる『ゆとり』の時間こそ、小生にとって何よりの『ご褒美』』であり、30分早起きした甲斐があったと言うものである。



二番目のご褒美は、『まどろみ』の時間



昼食時間に、いつものように『撮り置き』しておいたビデオ(今見ているのは『明日の記憶』)を見ているうちにいつの間にかまぶたが重くなり、知らず知らずのうちに『まどろみ』の世界へ引き込まれて行く。

得も言われぬ『愉悦』の一時であり、早起きの苦痛を補って余りある贅沢なご褒美である。


梅雨が明けるといよいよ夏本番であるが、この『二つのご褒美』を楽しみに、これからも早起きを続けて行こうと思っている。

山あり、谷あり

2007-07-04 | 日常生活
7月5日でブログを始めて満1年になる。

NHKの趣味悠々講座『ブログに挑戦しよう』を見て、これなら、俺にもできそうだと気軽な気持ちで始めたのが1年前の7月5日である。

何の展望もなく、言わば単なる思いつき、好奇心で始めたブログであったが、多分、ブログを始めなければ文章を書く機会もなかったろうし、文章を書くために身近な物事に目を向けたりすることもなかったと思う。

その意味で、退職後の人生の過ごし方に新たな刺激と方向性を与えてくれたブログとの出会いを本当に『ありがたかった』と心から感謝している。

それにしても、まさか1年間も続けられるとは全く思っても見なかったので、正直、本人が一番びっくりしている。

だから、とりあえず、ここまでのところは「良く頑張った」と自分を褒めてやりたいと思う。


小生の文章スタイルは、典型的な『ヒラメキ』型である。

何にもひらめかない時は、何分パソコンの前に座っていても、一行の文章すら書けない時がある。(何時だったか、このことを息子に話したら、『俺も同じだよ』という答えが返ってきて、『へえ、こんなところまで似るもんなのだ、とえらく感動したのを覚えている。)

では、『ひらめかない』時はどうするのか。

それは、ただひたすら、ひらめく瞬間を待つのみである。
それがいつなのか、散歩している時なのか、寝床に入っている時なのか、はたまたトイレに入っている時なのかは当人にもわからない。

それはある瞬間、予期せずに現れて、あっという間に消えてしまう。

ブログを書き始めてからしばらくの間は、このひらめきが頻繁にあって、調子の良い時は、常時4~5回分の原稿を書き溜めて置くことができたが、ここに来て、このひらめきの回数がめっきり少なくなった。

今は、『中3日』の間隔で投稿しているが、最近は手持ちの原稿の余裕がなくなって、この3日の間に何とか原稿を間に合わせると言う『綱渡り』の状況である。

当初は、『ひらめき』のおもむくままに「書く喜び」を味わったが、逆に、今は「書く苦しみ」を体験している。

これもいつかは突き当たる『壁』であり、乗り越えなければならない試練の一つに違いない。
1年のうちには、『楽あれば、苦あり』、『山あり、谷あり』である。


2年目の今年は、親しい友や関係者の皆さんに

『おっ、あいつも元気でやってるようだ』、『そうか、あいつそんなこともあったのか』、『なるほどね、あいつそんなことを考えてるのか』

といった生活ぶりの一端をブログを通して発信していけたら、と念願している次第である。