折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

老母97歳の誕生日に思う

2013-05-09 | 家族・母・兄弟
今日はわが母の97回目の誕生日である。

老母は昨年立ちくらみで倒れた時に打ち所が悪く左大腿骨を骨折し、手術を受けた。以来、病院を転々とし、治療とリハビリにつとめたが、何と言っても高齢(96歳)のためリハビリの苦労も実らず、「車椅子」での生活を余儀なくされ、今はある施設で日々の生活を過ごす境遇である。

去年までは、誕生日と言えば老母が住む実家に子どもたちみんなが集い、賑々しくお祝いをしていたが、遂に今年はそれが叶わなくなってしまった。

そのことを老母に話すと、老母は

「みんなが集まってお祝いしてくれる誕生日を指折り数えて楽しみにしていたんだが、こんな体になっちまって・・・」と目に涙を浮かべた。

そんな老母を見ながら、骨折前と今との日々の過ごし方の余りの違いに愕然たる思いである。

去年の誕生日の頃は、新聞を読み、テレビを熱心に見て、その表情はとても96歳には思えないほど生き生きとしていたが、骨折、入院、手術、リハビリという苛酷な環境が、老母から気力、体力を根こそぎ奪い取ってしまったようで、今では新聞はもとより、好きなテレビも見ようともせず、日がな一日ベッドにいるか、車いすに座っているかで、その表情は生気がなくうつろである。

そう言う日々の中での唯一の望み、楽しみは、我々子どもたちの顔を見ることなのだ、ということを今回実感した。

というのは、4日前にも老母の所にケーキを持って顔を出していたのだ。

しかし、もし今日の誕生日に誰も訪れなくては寂しい思いをするだろう、と間をおかず顔を見せたのだが、老母とすれば想定外だったようで、「来てくれたんかい」と涙を流して喜んでくれた次第である。

イメージしている「母親像」が少しずつだが、確実に壊れて行くのを目の当たりにするのは、実に辛いものがあり、足も重くなるのだが、われわれが訪れるのを、ひたすら待っている老母の気持ちを思うと、もっと、もっと顔を見せて話し相手になってやらねば、との思いを新たにした次第である。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お元気だったのに・・・ (みーこ)
2013-05-11 12:23:58
だんだん気力がなくなって行く姿を見るのはつらい事ですね。出来る事は逢いに行ってあげる事でしょうか・・・
話を聞いてあげる事も大事かな・・・
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そうします。 (fit-723)
2013-05-11 18:44:55
みーこさん

おっしゃるとおり。
出来るだけ顔を出そうと思っています。
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わかっていても (ユキ)
2013-05-13 06:15:15
はじめまして

お母様のこと手に取るようにわかります。

私の母も同じ年ですが、今は施設にいます。

元気だった頃の姿を思い出すと子供としては辛さが増し

ますね。

優しい息子さんの顔を見ることを楽しみにしていることと

思います。
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ありがとうございます (fit-723)
2013-05-13 08:43:58
ユキさんへ

心のこもったコメントありがとうございます。

お互いに、これからも年老いた母親を大事にしたいですね。
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