水子貝塚公園:埼玉県富士見市は、武蔵野台地と荒川低地に広がり、縄文時代には低地は海でした。水子貝塚は、そうした海の幸を求めて集まった人々が遺した貝塚の一つです。(水子貝塚公園パンフレット)
水子貝塚は昭和12年の発見以来、数回の調査で解明され縄文時代前期(約5,500年前)の竪穴住居跡にできた貝塚で、集落跡であることが明らかになりました。昭和44年に国史跡に指定され、平成3年から3年間かけ、縄文時代の復原など「縄文ふれあい広場」として整備されました。
写真は、緑の広場と点在する竪穴式住居。
園内に散らばる白いエリアはその下に貝塚があることを示しているとのこと。(発掘された住居跡は、すべて埋め戻し、国指定史跡地内は遺跡保存のため全体に土盛りをした上で、住居跡には竪穴住居を復元してあるとのこと。)
予て、居合仲間のTさんから『水子貝塚公園にまだ行ってなかったら、一度行って見て』と言われていたので、梅雨の晴れ間を見計らってコンビニでおにぎりとお茶を買って散歩がてら出かけて見た。
我が家の最寄り駅から3駅目で下車、歩いて15分ほどで目的地の水子貝塚公園に着く。
中に入るとまぶしいばかりの新緑の広場とその中に点在する5つの復元された竪穴式住居が真っ先に目に入って来た。
入り口の案内板には、園内一周582メートルとの表示が。
遊歩道の外側には、ムクノキ、コナラ、アカシデ、クリ、ムクノキといった木々が『縄文の森』をなしている。
点在する竪穴式住居を見て回った後、展示館、続いて資料館に入る。
この日は平日とあって館内は小生一人。
写真もOKとのことで、写真をとりながらゆっくりとそれぞれの館を見て回った。
そして、資料と説明文を読んで、しばし『縄文時代』へと思いをはせた次第である。
復元された竪穴住居(左)、園内には縄文時代の森が復元されている(右)
【展示館の内部】
水子貝塚から発見された人骨や犬の骨、当時の人が使っていた土器や石器、出土した貝・獣骨・木の実など展示や、発掘調査時の住居跡を複製して再現して、貝塚や当時の人々の暮らしぶりがわかるように展示されている。
写真左奥のほうが16号住居跡、手前が15号住居跡。写真右15号住居跡からは、縄文時代に屈葬と呼ばれる手足を折り曲げた姿で貝塚の中に葬られていた30歳から40歳ぐらいの女性の人骨が出土したとの説明文がある。
【資料館の内部】
市内の各遺跡から出土した考古資料が展示されている。この中には、約3万年前の旧石器時代の石器群から、県指定文化財の羽沢遺跡出土縄文土器(愛称 ムササビ形土器)、古墳時代初頭の鉄剣やガラス玉をはじめとして、数多くの資料を通して、富士見市の原始・古代について解説がなされていて興味深い。