折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

運転免許にまつわる、さまざまな「忸怩」たる思い

2009-03-10 | 日常生活
運転免許証の更新に行ってきた。

早いもので、前回更新してからもう3年が経ってしまった。

この間、車庫が狭くて、それでなくても車庫入れが苦手の小生の負担を少しでも軽くしようと車を「アコード」から「フィット」へと入れ替えたのだが、その甲斐もなく、とうとう「フィット」のハンドルには、この3年間1度も触わることなく、ひたすら「ペーパードライバー」への道を辿ることになってしまい、今や運転免許証は、唯一「身分を証明する」書類としての役割を担うことだけになっていることに、「こんなはずではなかった」と内心「忸怩」たる思いがある。

              
              悪者にされてしまった感のある我が家の車庫


多くの人に、車の運転なんて「慣れ」なんだから、車庫が狭いからって、こすったり、ぶつけたりすることなど一々気にせずに、先ずは運転すること、それしか秘訣はないんだから。「数」さえこなせば、すぐにうまくなれるよ、と親身にあふれたアドバイスをもらったにもかかわらず、それを実行できず、運転に慣れる前に、そして運転の楽しさを知る前にギブアップしてしまった自分の「不甲斐なさ」に「忸怩」たる思いを禁じえない。


そして、30分の講習とビデオを見た後に新たに交付された運転免許証には、太字で優良運転者を示す「優良」の文字が・・・。
この3年間1度も運転してないから見かけ上は確かに「優良」には違いないが、それだけに、「優良」の2字には「忸怩」たる思いがある。


定年退職した時に、一念発起して「運転免許」を取ろうと思い立ったのは、この年になるまで運転免許を持っていなかったことに長い間、内心「忸怩」たる思いを持ち続けてきたからであった。

また、この間、運転はひたすらかみさん任せという事実にも「忸怩」たる思いがあった。


そして、運転免許の取得によって、それら諸々の「忸怩」たる思いは全て解消するはずだったのだが・・・・・。


しかし、状況は解消どころか、出るのは「グチ=後悔」ばかり。

相変わらず「忸怩」たる思いの「再生産」が続いている、昨日、今日である。


「ペーパードライバー」のキャリアは娘の方が大先輩である。
もう十数年、運転していないはずである。

その娘が、最近、かみさんに「どこか、運転できそうな所に行って、運転教えてよ」とせがんでいる所を見聞きした。

どうも、子供が成長するに従い、車の運転の必要性を痛感したみたいである。

かみさんの「にわか講習会」が実現するかどうかは定かではないが、「もし、彼女が習うのなら一緒に・・・。ラストチャンス」などと埒もないことを懲りもせず思ってしまう小生である。