goo blog サービス終了のお知らせ 

折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「二兎は追えず」・「抜刀」退会、苦渋の決断

2009-04-20 | 武道
先週の金曜日。

抜刀の稽古が終ったところで、指導者のSさんに抜刀を辞めさせてもらいたい旨申し出て、了承された。


<そびえる高いハードル>


リタイア後の趣味の一つとして始めた居合、抜刀も居合が6年、抜刀が5年になった。(抜刀は居合の初段を取得してから始めることが入会の暗黙の条件だったので、1年遅れた。)

現在、居合も抜刀とも三段である。
そして、今年の秋、居合、抜刀とも四段の昇段審査が控えている。

居合、抜刀とも三段までは、誰でもと言っては言い過ぎかもしれないが、ほとんどの人が審査に合格する。

しかし、四段になると状況は一変する。
居合の場合、合格率はおそらく2割以下ではなかろうか。
それは四段から上の段位は、真に「選ばれし者」だけがその称号を与えられる、ということを意味している。

四段の受験資格を得るには、三段昇段後3年間が必要である。
なぜ3年もの期間が必要なのか。
それは、日頃の修行の質と量即ち、『修行の深さ』と言うべきものが問われているのが4段審査会であり、そのためには最低でも3年間は修業を積みなさいということに他ならない、それほどに四段と言う段位は『価値』と『重み』があるものなのだ。

一方、抜刀の四段審査も、居合に負けず劣らず厳しい。
審査は、「型」と「実技」である。

特に、実技においては、日本抜刀道連盟の制定刀法10本を全て定められた部位を定められた刀法で完全に斬らなければならない。
斬りそこなったら、そこで「不合格」である。

これも、居合同様に日頃の「修行の深さ」が問われている。

その昇段審査が居合、抜刀とも半年後に迫っているのである。
待ったなしの状況である。


<二兎を追うべきか?>


それほどに難しい居合、抜刀の審査が同時にあるのなら、例えば、今年居合を、来年抜刀の審査を受けるという方法もある、何もここであえて抜刀を辞める必要はないのでは、という考え方もある。

それも有力な考え方であり、悩んだところである。

と言うのは、これまでの抜刀のような同好の士がより集い、のんびりと厳しさという点では少々欠けるところもあった活動状況が続いていくのであれば、その選択は大いにあり得たのであるが、抜刀の指導者として2年目を迎えたSさんがこの4月から、これまでの「同好会的・ぬるま湯的」体質から脱皮し、各種の大会に積極的に参加し、「試合に勝てる」抜刀を目指して、稽古内容、稽古方法を抜本的に変えていきたいと言う方針を打ち出したばかりである。

そのSさんの新しい方針に異存はないが、小生としては居合も抜刀も全力投球というほどの余裕はない。

ましてや、新生抜刀の足を引っ張るようなことは、小生の性格上到底できない。

「二兎を追うもの、一兎も得ず」の格言ではないが、居合と抜刀を両立させることは小生にとっては至難のこととの判断の元、苦渋の決断であったが、この際、居合を選択することにした次第である。

この上は、秋の居合四段の審査に合格することが、5年間一緒に励んできた抜刀の仲間たちへの小生のせめてもの恩返しだと思って、日々懸命に稽古に精進していきたい。

一刻も早い修復を~居合の創始者「林崎甚助重信」公記念碑

2009-03-07 | 武道
           
          この場所だったのだ~目立たぬ佇まい 
古刹の境内の片隅にひっそりと建つ林崎甚助重信公の記念碑。残念ながら、まさに朽ちなんとしているのを見ると、心が痛む。一刻も早い修復が待たれる。


埼玉県川越市にある古刹「蓮馨寺」の境内。

そこに、居合道・抜刀道の始祖・林崎夢想流祖「林崎甚助重信」公の記念碑がひっそりと建っている。

高さ2メートル余の四角の木柱とその横に公の略歴を示した立札があるのみという極めて殺風景なものである。

注意深く探さないと、見落としてしまうくらい目立たないたたずまいなのである。
(実は、3月1日の小・中学校のクラス会の時にこの場所を一度訪れているのだが、その節は、とうとうわからず後日寺に聞いて場所を確認した次第。)

蓮馨寺にうかがったところ、その碑が建てられたのは、今から15年ほど前とのことで、今でも、当時、林崎甚助重信公が修行をされたと言い伝えられている大宮の居合道の関係者が訪れて、お参りをしているようですよ、と教えてくれた。



                
                法号 
                柱には「良仙院一誉昌道寂心大信士」の法名と元和3年7月20日没
                (行年73歳)と書かれている。



           
           判読不能
           判読不能になってしまった文字。一刻も早い修復が待たれる


掲出されている立札には、公の略歴が記されており、その中に川越と言う文字がかすかに読み取れ、大宮や当地で残された足跡が書かれているようなのだが、幾多の星霜を経る中でその文字は判読不能となってしまっていたのは、何とも残念であった。(記念碑の木柱には、「林崎甚助重信公記念碑建立実行委員会」の名が記されている。この委員会が今も健在であるなら、一刻も早い修復を期待したい、と思った次第である。)


定年退職後に「居合・抜刀」を始めて6年になる。

林崎甚助重信公を知ったのは、今から数十年も前、当時な絶大な人気を博していた白土三平の劇画「忍者武芸帳」の中に登場していたからである。

その格好良さに「あこがれ」、自分も機会があれば是非「居合」をやってみたいとその頃から思いを暖めていた。

そして、定年を迎えた時に、「何としても居合をやりたい」と情報を集めていた所、何と近所の知り合いの人が「居合」をやっていると言うではないか、それを聞いた時は、躍り上がって喜び、その引き合わせに心から感謝したものである。

かくして意気揚々と始めた「居合道」であるが、自分が思ったほどには上達しない現状に「こんなはずではなかった」と臍を噛んでいる次第だが、公の記念碑を前にして、「これからも一生懸命に精進します」と、気持ちを新たにした次第である。


            
           林崎甚助重信公の記念碑がある川越市の古刹「蓮馨寺」   

切磋琢磨~居合の同期の仲間たち

2008-07-11 | 武道
どこの世界にも、『同期の仲間』はいるものである。

居合をはじめて5年になるが、居合の世界にも『同期の仲間』と言える人たちがいる。

5年前に一緒に初段の審査を受験したAさん、Kさん、Nさん、Tさんである。

昇段審査には、県下あちこちから老若男女さまざまな人たちが集まってくるが、そんな中で、たまたま、年恰好が同じで、置かれている環境も似ていると言うこともあって言葉を交わしたのが、親しくなったきっかけであった。

そして、一緒に初段に合格して以来これまで全員が二段、三段と順調に昇段を重ねてきている。


小生が所属している埼剣連居合道部では、年4回『居合道講習会』、年3回『居合道大会』を開催している。

この講習会や大会で何回か顔を合わせ、一緒に稽古をし、試合をし、そして、その合間にそれぞれの稽古の様子などを話したりするうちにお互いに気心が知れて、すっかり打ち解け以後、彼らと顔を合わせるのを楽しみにするようになった。

この年齢になって『同期の仲間』なんて、何とも楽しいことであり、うれしいことである。

しかし、これら同期の仲間も一たび試合に臨めば『敵』であり、ライバルである。
その意味では、お互い良い刺激を受け、また、励みともなっているのであるが、皮肉なことに最近、試合で同期の仲間たちと対戦することが多くなった。



居合道大会の試合風景


先日も県下居合道大会があり、1回戦でAさんと対戦してしまった。
Aさんとは、前回の大会で2回戦で対戦し、負けている。
今回はそのリベンジのチャンスであったが、結果はまたしても完敗であった。

そこで、負けてしまった後は『見取り稽古』ということで、小生に勝って2回戦に進んだAさんの試合振りをじっくりと見ることにした。

そのAさんだが、2回戦、3回戦、4回戦と勝ち上がっていく。
見ていても、『また、今度も勝つだろう』と思わせる試合内容で、そこには精進の跡がはっきりと見て取れて、これでは今の自分の力ではとても及ばないと悟らされた。

また、隣の試合会場ではやはり同期の仲間の一人Nさんが勝ち進んでいた。
その試合振りを見て、Nさんもまた腕を上げているのが、よくわかった。


Aさんは準々決勝で、Nさんは3回戦で惜しくも敗れたが、二人とも持てる力を存分に出し切っていたように見えた。

そんな同期の仲間の活躍を会場の観覧席から見つめながら、ここにきて同期の仲間に『先を越された』、『水をあけられた』と強く感じた。

そして、日々の精進の積み重ねが、つもり積もるとこれだけの差となって表れてくるのだと思わざるを得なかった次第である。


来年は、いよいよ居合道を目指すものにとって最初にして、最大の関門である四段へのチャレンジが控えている。

同期の仲間たちも相当の意気込みを持ってこの高い壁に挑戦することだろう。
小生、目下同期の仲間たちの後塵を拝しているが、これからの1年間懸命に精進しなければ、本当に『落ちこぼれ』てしまう、と気持ちを新たにさせられた大会であった。

災いを転じる

2008-03-17 | 武道
現在小生が練習に通っている居合道・抜刀道の支部は、発足以来A先生(居合道7段、抜刀道範士8段)とB先生(居合道錬士6段、抜刀道教士7段)お二人の指導による体制で今日までやってきた。
 
そのお二人の先生方のうちB先生が脳梗塞で倒れ、半身不随、長期の療養が必要との知らせがもたらされたのは、1月半ば過ぎのことであった。

B先生は、支部の運営、各メンバーの指導等をほとんど一手に取り仕切ってきた当会のいわば『大黒柱』的存在の人で、われわれはこれまでそれこそ先生に『おんぶに抱っこ』、先生に頼りきってきた。

そんな状況下での『先生倒れる』の知らせにメンバー一同びっくり仰天、周章狼狽すると同時に、先生の後継者となるべき指導者はまだ全然育っていないだけに、先生の代わりを務まる人がいるのだろうか、これからどうなってしまうのだろうかと不安と動揺が走った。


急遽、A先生を中心に善後策が話し合われた結果、A先生はこれまでどおり居合、抜刀の両部門を総括的に見ることとし、日常の稽古の指導は居合はCさん(4段)、抜刀はDさん(5段)の二人が責任者としてA先生を補佐することが決まった。

      
      4月に行われる昇段審査を前に稽古に精進する受験者の皆さんと演武を
      見守るA先生(正面)


そして、新たな体制がスタートして2ヶ月。

当初の不安、動揺もどうにか収まってこれまでどおりの稽古が行われているが、これまでと違った新しい動きがいくつか見られるようになってきた。

抜刀部門の方は、新しく指導を託されたD5段が『水を得た魚』のように積極的にリーダーシップを発揮し、これまでの稽古方法を踏襲しつつ、Dさんがあちこちの支部に出かけて学び、吸収してきた技や練習方法を自分なりに工夫して新たにわれわれの練習に取り入れ始めたのである。

これまでDさんは日頃稽古には一切差し出がましい口を挟んだことがなかっただけに改めてDさんの抜刀道に対する姿勢、精進振りにわれわれも大いに共感し、新しい指導者の下稽古にも活気が出つつある。

一方、居合部門の方もやはりこれまで、余り差し出がましい口をはさまなかった段位の上位の中堅メンバーが、段位の下位の人たちへ技術的なアドバイスをする姿が見られるようになってきた。これまでのように、一方的に教えられるのではなく、意見交換をしながらお互いに切磋琢磨していこうという雰囲気が少し芽生えてきているのは1歩前進と言えるのではないだろうか。

まだ、まだ新体制になってから2ヶ月そこそこであり、これらの動きが定着していくのかどうかは、しばらく様子を見なければ何ともいえないが、少なくとも現時点では『B先生倒れる』という当支部発足以来最大のピンチをメンバーの結束で乗り越え、あわせて指導者の若返り、世代交代がはからずも行われることにもなった。
これこそ『災い転じて福となす』と言えるのではなかろうか。

『実力差』の世界

2007-08-07 | 武道
以下は、8月5日(日)行われた県下居合道大会に参加した時の感想である。


『試合の開始線に向かって歩み始めた時からすでに勝負が始まっているのです。『仮想の敵』をしっかりと意識に描いて油断なくあたりに気を配りつつ進みなさい。試合において審判員は真っ先にそこを見ます。』

先日開催された『居合道特別講習会』での講師の先生のお話(7月24日付ブログ『言葉の重み』)を反芻しながら、開始線へと1歩1歩、歩む。これまでは、そんなことを意識する余裕はなかったが、今日は自分ながら不思議なくらい落ち着いている。

『始め』の合図でおもむろに着座、試合が始まる。

試合中は、特に緊張することもなく、古流1本、制定居合の指定技4本を、ほぼ思い通りに抜くことが出来た。

そして、いよいよ判定。
旗は3本とも相手方に上がった。完敗であったが、今の自分の実力を出し切ることが出来たことに満足した。


試合を終えて戻ってくると、仲間の一人で上位者のTさんが、

『Kさん、前回(7月7日)の時もそうだったけど、今回もクジ運が悪かったね。Kさんが下手というより、相手が上手すぎたと言うことですよ。』と声をかけてくれた。

『同じ3段と言っても、Kさんのように昇段してまだ1年にならない3段の人もいれば、4段が目前と言う3段の人もいるんですよ。前回も今回もKさんの相手は、3段の中でもかなりレベルの高い人ですから、負けてがっかりすることはないですよ』

『前回も今回も見ていてKさんだいぶ落ち着きが出てきて、体も十分に動いていたし、技のメリハリもしっかり出ていて良い居合でしたよ。』と評してくれたので、

『ありがとうございます。今日は自分の実力を余すところなく出せたので、満足しています』と返した。

着替えを終えて、小生が完敗した相手の試合を見た。

一目見て、先刻Tさんが『クジ運』が悪かったんですよ、と言う意味がすぐにのみこめた。それほど、その人の居合は美しく、正確で、今の自分の実力を100%発揮しても、到底届かぬ『実力差』の世界をまざまざと見せ付けられる思いであった。

そして、『試合は、否応なく自分の実力を白日の下にさらす鏡である』と言うことを改めて実感した。

それにつけても、同じ段位でありながら、この優劣の『差』はどこから生まれるのだろうか、練習量の差、練習の質の差、練習方法の違い、それとも個人の資質の違い等々次々に色々な思いが脳裏をよぎる。

そして、追いかけても、追いかけても追いつけそうにないように見える、この人たちとの『差』、『距離』を自分は縮めることが出来るのだろうかと思いを巡らせた時、『実力差の世界』に立ちはだかる『壁』を前に、わが道ははるかに遠く、かつ険しいと言う現実を再確認した1日となったのである。