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折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『付け焼刃』は通用せず~居合、この1年の総括

2009-12-22 | 武道

『稽古納め』の風景


昨日は、小生が所属する居合道支部の『稽古納め』であった。

思えば、この1年は居合道を始めた者なら誰しもが目標とする『4段』への審査会に備えて精進の日々であった。


居合道3段の審査に合格したのは、今から3年前である。

その時、審査にあたられた先生方から言われたことは、


皆さん方には、4段の審査会まで3年の期間があります。 3段から4段を受験するまでに、なぜ3年もの期間が必要なのかと言うと、 それは、日頃の修行の『質』と『量』、即ち、『修行の深さ』と言うべきものが問われているからであり、4段の場合には、最低でも3年間はみっちり修業を積みなさい。それほどに4段と言う段位は『価値』と『重み』があるんですよ、ということなのです。
これからの3年間をどう過ごすかは、皆さん方の心掛け次第ですが、その結果は、審査の時に明らかになるはずです。



その時は、厳粛な気持ちでお話をお聞きし、これからも精進を重ねなくては、と心に期したのであるが、生来の意志の弱さゆえか、時間が経つにつれて易きに流れて、あっという間に2年が過ぎてしまった。

そして、結果的にこの2年間は『腕を上げる』どころか『腕を錆びつかせる』ことになっていたのである。

今年になって、週2回の稽古はもとより、講習会等にも積極的に参加するなど、一生懸命努力をした積りであったが、所詮『付け焼刃』は通用せず、初挑戦は不合格という結果に終わった。


つい先日のこと、一緒に稽古をしている先輩で1回で4段の関門を突破したKさんから話を聞く機会があった。

以下は、Kさんが4段を目指して、自分なりに計画を立て、実行した内容である。


・居合の講習会、試合には必ず参加。
・道場での稽古の他に、個人的に体育館を借りて一人稽古を続けた。
・道場での稽古の他に、居合の先生の個人レッスンを受けた。



そして、その先生から4段を受験しても良い、との『お墨付き』を貰った上で審査会に臨んだ、とのこと。

このような、並々ならぬ、決意と準備で審査会に臨んだことを聞いて、Kさんだけでなく、多分、他の人たちも同じような努力をして審査会に臨んだのだろうから、小生のような言わば、一過性の『付け焼刃』のような稽古では通用しない筈だ、とつくずく思い知らされた次第である。


今年10月の昇段審査会で5段に合格した先輩のTさんが、

『ボクなんか、5回目の挑戦でようやく合格したんだぜ、1回ぐらい失敗したからと言って、めげずに頑張ろう』

とエールを送ってくれた。

今回、4段の審査会を経験して見て、色々と感じる所、思う所もあった。
この経験を生かして、来年もチャレンジを続けて行きたいと思っている。



段位受審資格

初段 一級受有者で、中学校2年以上の者
二段 初段受有後1年以上経過した者
三段 二段受有後2年以上経過した者
四段 三段受有後3年以上経過した者
五段 四段受有後4年以上経過した者

「捲土重来」を期す~居合道昇段審査会

2009-10-04 | 武道
             
             昇段審査会は午前中初段から3段まで、午後から4,5段が行われる。
             写真は午前中に行われた審査会の開会式


今日は、今年の目標の一つにもなっている「居合道昇段審査会」の日であった。

この数カ月は、この審査会のことが頭から離れない日々であったと言える。

遂にその日がやって来た。

4,5段の審査会は午後1時30分から始まった。

4段の受験者は総勢21名。

4人1組で指定された5本の技を抜く。


             
             1本目の技、古流の技を演武する第4組(右から2番目が小生)


小生は4組目。

何時もは、呼吸が早くなったり、口の中が乾いたりするのだが、今日に限ってはそんなこともなく、いたって平静。

演武もいつもは肩に力が入って、ぎこちない動きが出るのだが、今回は体の動きも実になめらかで、自分の持てる力を十分に発揮でき、満足のいくものであったが、結果としては、不合格。(合格者は8名)

ベストの演武をしても、なお届かなかったということは、4段になるための決定的な「何か」が欠けているのだと思い知らされると共に、これからはこの「何か」を自分なりに見つけて、身につけるべく精進を重ね、「捲土重来」を期したいと決意を新たにしている次第である。

結果は伴わなかったが、昇段審査に関しては一区切りついた。

久しぶりに「重圧」から解放され、気兼ねなく他の趣味を存分に楽しみたいと思っているところである。


生きた教訓~苦言を呈した居合の師

2009-09-09 | 武道
先日、仲間に連れられてS大学の武道場で行われている居合の月例稽古に行った時の話である。

この日は、「段位審査会」が間近に迫っているということもあって、30名を超える人が集まった。

そして、3時間たっぷりと汗をかき、稽古が終了。

               


全員が正座して、教えていただいたそれぞれの先生方から講評を拝聴する段になった時、或る先生から厳しい叱責の声が。


皆さんが、道場に入る時に履いてきた履物だが、脱ぎっぱなしで実に見苦しい。私が修業している頃だったら、みんな外に放り投げられていた。

あなた方は、居合の礼法は恭しく、それらしくやっているが、実際の生活では履き物の脱ぎ方一つまともにできなくて、何が礼儀作法か。そんなことで、本当に居合の心がわかっていると言えるのか、居合の精神が身についていると言えるのか。稽古の中でできていても、それが実生活の中で活かされなければ、本当に居合をやっているということにはならない。


それは、当日稽古に集まった全員に猛省を促す一喝であった。

道場内は静まり返り、皆、頭を垂れてうなだれている。

八段の先生が、「居合の精神を実生活に生かすための良い教訓となった、この教訓を忘れないように」と引き取って、その場を収めた。

小生も、その「履き物の脱ぎ方さえまともにできない」一人であり、顔から火が出るほど恥ずかしい思いでいっぱいであった。

そして、この教訓の中に今回の段位審査会の「学科問題」の一つである

武道を修練する心構えとそれを如何に日常生活に活かせるか、考えを述べてください。

という出題の解答を見つけたように思った次第である。

初めてのS大学での「月例稽古」、ほろ苦くも心に残る稽古となった。

「手取り」「足とり」の指導に感謝~居合の仲間たち

2009-08-20 | 武道
         
         居合の試合風景

「そこ、少し違います。もう一度やって見て」

「そうです、ここはこうです」

「技の緩急、メリハリをしっかりつけて」


一人黙々と稽古する小生に居合の仲間のTさん、Aさん二人が代わる代わる声をかけてくれるようになったのは、4月頃からである。

そして、最近は頻繁にあれこれとアドバイスをしてくれている。

小生が稽古に通っている居合道の支部は、それまで指導してくれていた二人の先生のうち、一人の先生は病に倒れ、もう一人の先生は事実上身を引かれ、指導者不在のまま今日に至っている。

そのため、以前もそうだったのだが「同好会的」性格が一層顕著になって、各人がそれぞれのスタイルで稽古をするという状況が続いていた。

そんな中、小生が今年の目標の一つに掲げている居合道四段昇段のための「段位審査会」が1カ月余に迫っていた。

この段位審査会を目指して、これまで自分なりの稽古を重ねて来たのだが、果たして今のままの稽古で良いのだろうかと正直不安で一杯であった。


そして、前述のごとく、同好会的雰囲気が濃厚なだけに、これまでは先生であればともかく、仲間同士であれこれアドバイスし合うことに何となく遠慮があった。

それだけに、Tさん、Aさんが自分の稽古をそっちのけに親身になって、こと細かくアドバイスをしてくれるその気持ちがありがたくて、感謝の気持ちでいっぱいである。


また、そのアドバイスたるや自分が、今までこんなにも基本を「うろ覚え」のまま演武していたのか、また、知らず知らずのうちに「自分のやりやすい」ように演武していたか、そして、それがすっかり悪いクセになってしまっているとズバリ指摘され、「目から鱗」というか、この3年間、自分は一体何を稽古して来たのか、と臍をかむ思いである。


そして、居合の先生方が事ある度におっしゃる、

三段から四段を受験するまでに、なぜ3年もの期間が必要なのか。
それは、日頃の修行の質と量即ち、『修行の深さ』と言うべきものが問われているからであり、そのためには最低でも3年間は修業を積みなさい。それほどに四段と言う段位は『価値』と『重み』があるものなのだ。

と言う言葉を反芻する時、この3年間自分はそれにふさわしい精進をしてきたのだろうかと忸怩たる思いである。


お盆休みも終わり、いよいよ昇段審査会まで残された時間は少ないが、少なくともTさん、Aさんからのアドバイスだけは何としても身につけて、お二人の好意に報いられるよう最善を尽くしたいと思っている。


段位受審資格

初段 一級受有者で、中学校2年以上の者
二段 初段受有後1年以上経過した者
三段 二段受有後2年以上経過した者
四段 三段受有後3年以上経過した者
五段 四段受有後4年以上経過した者

「有終の美」飾れず~悔い残る一瞬の油断

2009-04-26 | 武道
<「ほっ」とため息>


土曜日、朝から冷たい雨が降りしきる。

そんな中、家の近くにあるA中央病院に行く。
病院は朝から非常に込み合っている。

外科病棟の前で待つこと約3時間。ようやく名前を呼ばれる。

「どうしました?刀で指を切ったって。ああ、これなら大丈夫心配ないよ」

と先生はいとも簡単に言い、傷口を消毒し、細いセロテープ状のもので傷口をしっかりととめ、バンドエイドを巻いて治療終了。

この間、5分。

化膿止めの薬もいらないという。

「ほっ」と、ため息をつく。


<「痛っ!」、一瞬の油断>


事の起こりは、前日金曜日の夜の抜刀の稽古。

前々回のブログで書いたが、抜刀は今月で退会することになっていて、稽古もその日が最終日であった。

稽古も終わりに近づき、斬り納めとなる巻き藁を斬り終って、刀にぬぐいをかけていると、仲間の一人が声をかけてきた。

刀に注いでいた神経が一瞬途切れたその瞬間、「痛っ」と感じた時は右手中指の先から見る見る鮮血が盛り上がっていた。

急いで血止めの応急措置を施す。

この時の仲間たちの冷静な対応は実に見事なものであり、本当に助かった。


抜刀で指を斬るケースは、刀を鞘に納める「納刀」と、刀の手入れ、特に刀にぬぐいをかける時が多い。

                 
                 5年間抜刀で使用した愛刀。
                 鞘には、抜刀の全国大会に出場した時に刀の検査を受けた印が貼付
                 されている。


<仲間たちに感謝>


抜刀を始めて5年。

この間、真剣を握っても一度たりとも指など切ったことがなかったのだが、いよいよ、真剣を握るのもこれが最後と言う段になって指を切るとは・・・・。

本来ならその夜の稽古で「有終の美」を飾れるはずだったのに・・・・。

最後の最後での不注意に、悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれない思いに「臍」を噛む。

5年間一緒に稽古に励んできた仲間には、土壇場で迷惑をおかけすることになってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいである。

そんな中、仲間から

「居合の四段に合格したら、また一緒にやろうよ」

「絶対、帰ってこいよ」

とそれぞれ思い思いの言葉をかけてもらって、落ち込んでいた小生もこの仲間たちの温かい言葉に救われる思いであった。