折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

一足早い、しかも「予期せぬ」クリスマスプレゼント?

2011-12-22 | 趣味
かれこれ20年の長きにわたり小生の側にあって、CD再生の役割を担い続けてくれたCDプレーヤーが「ピー」という音が出るだけで音楽を再生できなくなった。

 
20年もの長きにわたって頑張ってくれたパイオニアPD-T07(左)、期待を担う新機種マランツSA-15S2(右)

実は、今から10年ほど前にも同様な症状が出て、メーカーに修理してもらった。

今回も修理しようかどうかちょっと考えたが、もう20年も前の製品でもあるし、できればこの辺でSACDも聴ける最新のモデルが欲しいものだとかねがね思っていたので、この故障を『渡りに船』とばかりに新規に買い換えることにした。

そして、以前より買い替える時は、アンプとデザインを揃えたいと思っていたので、今回の買い替えでその念願がようやく実現した。

              マランツ製でデザインが揃った我が家の再生機器

今、手元に届いたばかりのCDプレーヤーに好みのCDを取り換え引き換えあれこれ聴きまくって、新しい音の世界を堪能している所である。

そんな訳で、クリスマスを前に、小生にとっては一足早い、そして全く予期しないクリスマスプレゼントを頂戴した気分である。

ウオーミングアップ~3字体『千字文』の総仕上げ

2011-02-11 | 趣味
『今年の展示会は、いつもの年より早くなりました。4月上旬までに作品を仕上げておいて下さい』

書道教室の先生からそんな話があったのは先週のこと。

書道教室恒例の展示会は、みんなが気合を入れて作品に取り組む、教室の一大イベントである。

小生は、展示会に出品するのなら、思い出に残るものにしようと考え、1年ごとに『千字文』を楷書、行書、草書の3字体で出品することにした。

即ち、一昨年は楷書、昨年は行書で、それぞれ千字文を書き上げて展示会に出品した。

そして、その総仕上げに当たる3年目の今年は、小生にとって最大の難関、草書による『千字文』が大きく立ちはだかっている。

これまで教室では楷書、行書を習ったものの、草書はこれまで書いたことがないのだ。


お手本
大貫思水著『新版四体千字文」(日本書学館)



草書の『千字文』のお手本を目にした時、行書との余りの違いに『これは、ちょっと』と、正直、二の足を踏む思いであった。

何とも無謀なチャレンジであるのは十分わかっているが、楷書、行書の2字体で千字文を書き上げたからには、ここは何としても草書を入れた3字体の『千字文』を是非とも完成し、有終の美を飾りたい、の一念である。

遅まきながら、昨年の後半から先生について草書の初歩から教えていただき、その筆使いを猛特訓中である。

また、授業中にも草書の千字文のお手本と首っ引きで書いているのだが、何分1000字もあるので、遅々として進まない。

楷書、行書の時は、本番の失敗が即ち練習と割り切って、練習なしで書いていたが、草書ではそうは問屋はおろすまいから、極細のサインペンで1000字を一通り書いて見る、先ずこれから始めようかと思っている。

プロ野球も2月に一斉にキャンプインした。

これまでは、ウオーミングアップもしないでいきなり本番だったが、今年は十分に肩慣らしをした上で、本番に入りたいと思っている次第である。

競作・『千字文』~書道教室の展示会

2010-07-23 | 趣味

競作・千字文 
写真左から順に90歳代の人、小生、(以上2作品は『行書体』)、70歳代、20歳代(以上2作品は『楷書体』)の人が出展した千字文


『今年は千字文を4人も出展して、まるで千字文の競作ね』と小生が通う書道教室のA先生。

『昨年、K(小生)さんが、千字文を出展したでしょう、あれに刺激を受けた人が今年は自分もと思って出展したんだと思うわ』とB先生。

『今年の出展者の中には、90歳を過ぎた人もいらっしゃるのよ』とA先生。

『わたしの教室の子は20代だわよ。他に、70代後半の人もいるわよ』とB先生。

『書体も楷書が二人、行書が二人と変化があって、それぞれみんな力作よね』とA先生。


昨日、猛暑の中、月2回通っているTカルチャースクール書道教室の今年度の作品展示会に行って来た。


出展作品の千字文をバックに先生と記念写真
(武蔵野市立吉祥寺美術館市民ギャラリーにて)


展示会初日とあって、小生の先生を始め、他のクラスの先生方も顔を見せていて、前述のような会話となった次第である。

それにしても、90歳を過ぎて、なお千字文にチャレンジしているとは!!

と、その作品の前に立ち止まって、小生と同じく行書で書かれた千字文にしばし、見入ってしまった。

とても90歳を過ぎているとは思えない力強い筆力、闊達な筆さばきに脱帽であった。

自分で書いて見て良く分かるのだが、常に誤字、脱字に注意を払い、しかも、一字一句、精魂こめて1,000字書くというのは、大変な根気と集中力を必要とする作業であると同時に、いかに気力、体力を要する作業であるかを身をもって知っているだけに、90歳を過ぎても、なお、これら諸々の要素がなお健在であることに驚嘆し、『世の中には頑張っている人がいるんだ』と深い感銘を受け、心から敬意を捧げた次第である。

『Kさんは、昨年は楷書で、今年は行書でそれぞれ千字文を書いたんだから、来年は草書でチャレンジしなければね』とA先生。

『そうよ、90歳を過ぎた人でも、まだ頑張っているんだもの、あなたのようなまだ若い人は、大いに頑張らなければ。来年の草書体での千字文、期待してるわよ』とB先生。

先生方に言われるまでもなく、小生も草書でのチャレンジは考えているのだが、楷書や行書と違って草書となるとちょっと手に負えそうにないなと弱気になっていたが、両先生に『発破』をかけられた今は、ちょっぴりその気になりつつある。

それにつけても、近年になく大いなる刺激を受けた今年の作品展示会であった。

認められ、ほめられることの喜び

2010-04-28 | 趣味
池袋にあるTカルチャースクールの書道教室に月2回通っている。

勿論、書を習うのが目的だが、リタイアすると中々都会に出る機会がないので、大都会の雰囲気を肌で感じようという副次的なねらいも含まれている。

今回は、その書道教室での話である。

 
お手本


授業は、12時30分から2時30分までの2時間。
その間、先生が書いた数枚のお手本を練習、清書、添削してもらう。

添削は、それぞれ書き終わった順である。
小生の順番が来た。

いつもは、すぐに朱色で直しの筆を入れるのだが、その日は、しばらくの間、じっと見つめたままで、直しを入れる気配がない。

そして、先生がおもむろに口を開く。

『さっき、見せてもらった作品の『千字文』だけど、何枚ぐらい書いたの?』

『5枚ほど書きました』と小生。


この日は、今年の『展示会』に出品する作品を各自が持参して、先生に校閲していただくことになっていて、小生も行書で書いた『千字文』を先ほど見てもらったばかりであった。(昨年は、楷書で書いた『千字文』を出品した。)

『5枚と言うと、5000字よね、一瞬も気を抜かないで、集中して5000字書くって、大変だったでしょう。でもね、それだけ一心不乱に書くと、知らず知らずに力がついて、レベルが上がるものなのよ。あなたの場合は、そのよい見本、<一皮むけた>と言う感じだわよ』

『今日の課題も、直す所がない。このまま作品になるわよ』

と言って、清書した作品を添削なしで戻してくれた。

生徒を励まし、やる気にさせる先生の『テクニック=おだて』が多分に含まれているにしても、3日間一心不乱に骨身を削るような思いで作品(『千字文』)に立ち向かった努力が、先生のこの一言で報われて心の底から嬉しかった。

ましてや、この年齢になると滅多にほめられることがないだけに、人間だれしも、一生懸命の努力を認められ、ほめられるのは、あまたある喜びの中でも、最高に嬉しい喜びの一つである、ということを今回改めて身にしみて感じた次第である。

「将棋界の一番長い日」~生放送の醍醐味

2010-03-02 | 趣味

将棋のA級順位戦の最終戦全5局が「将棋界の一番長い日」としてテレビで生放送された。(3月2日 NHKBS2)

将棋界の一番長い日

今日3月2日は、将棋のA級順位戦の最終戦全5局が一斉に指される日である。この日、名人への挑戦者と降級者2名が決定されるわけで、これまでも悲喜こもごものドラマが生まれた1日でもある。

 
対局開始寸前の対局室の様子            駒を並べる棋士の美しい手


テレビは、対局開始寸前、盤上に駒を並べる棋士の姿を写し出す。

カチッと乾いた音を響かせて将棋の駒が作法通りに並べられていく。その棋士の指先をカメラがアップで追う。頂点を極めた超一流のプロたちの所作の美しさに、しばし見とれる。

そして、開始時間までのわずかな『間』。

緊張感が画面を通して伝わってくるようだ。

定刻10時、立会人の合図で一斉に対局が始まる。

一呼吸置いて、すぐに第一手を指す人、瞑想して容易に初手を指さない人、カメラは5局を同時進行で次々に写し出していく。

これぞ生放送の醍醐味だ。

『わくわく』、『ドキドキ』、『ハラハラ』しながらテレビの前に釘づけになった。

オリンピックに続き、大好きな将棋の対局を生で見られる自由な身の幸せを改めてありがたいと思った次第である。

将棋の思い出

大好きな将棋を指さなくなってから大分経つ。

3年ほど前に次兄の家に行って指したのが一番記憶に新しいところだ。

この時の様子をブログに書いたが(2007・4・4『久々の兄弟対局』)、このブログは、我々4人の息子たちが生前のおやじさんと最後の将棋対局をしたのを紹介したブログ(2006・9・1『オヤジVS息子たち』)と並んで、小生が書いたブログの中でも最も気に入っている、自画自賛できる出来栄えのブログの一つである。

この二つのブログの中でも書いているが、4人兄弟のうち弟を除く3人は、おやじさんからそれぞれ将棋の手ほどきを受けた。

そして、将棋の腕前では、兄弟の中で最も気性が激しく、負けず嫌いな次兄が小さい時から『他流試合』で腕を磨いて、一頭抜きんでた存在であった。

その次兄にくっついて、よく他流試合を観戦に行ったが、『お前、やって見ろ』と言われると、内気で、引っ込み思案の小生は、いつも尻込みしてしまっていたものである。

そんな次兄に何とか勝てるようになったのは、成人した後であった。
そして、勝った時は嬉しさを隠しきれずに、笑いをかみ殺すのに苦労したのを今でもまざまざと思い浮かべることができる。


10年ぐらい前は、実家に兄弟が揃うと必ず将棋になって、それぞれの家族の顰蹙をかったものだが、今は、そんな元気はなくなって、ぽつり、ぽつりと世間話をしている様を見ると、『おい、やるか』と兄弟の誰かが将棋盤を持ちだしてきた頃が、無性に懐かしい。

今は、将棋はちょっとご無沙汰だが、元々、大好きな趣味の一つである。
そのうち、将棋盤に古今の名局を並べて楽しむ日がそんな遠くないうちに必ず来るだろうと思っている。