EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

淀上り線高架化

2011年05月31日 | 京阪

110528keih5554 京都競馬終了後観客輸送を行う普通出町柳行き/淀

110528keih90042  5月28日土曜日。京阪淀駅の上り高架化が完成しました。京阪のダイヤ変更を見物後、淀屋橋まで行き、休憩を挟み、特急に乗車して淀を目指しました。特急は淀には停まらないので、途中樟葉にて乗り換え。枚方市で乗り換えが通常ですが、樟葉で急行の折り返しを見たかったので樟葉まで行きました。引き上げ線から出てくる急行を撮影。隣には特急が停車しており、京都から香里園、寝屋川市方面への連絡を行っています。かつての急行は途中香里園などで特急待避を行っていましたが、今回のダイヤでは樟葉までの先着でダイヤが組まれています。急行利用者から見ればこの点は評価すべきところでしょう。準急は枚方市まで先着となっており、こちらも主要な寝屋川市、香里園の利用者にとっては待避がないのでありがたいダイヤと言えます。樟葉から準急に乗り淀へ。淀車庫が見えたあたりから電車は徐行。前に電車が閊えるということは考えられないところ。どうやら新線切替直後のための徐行のようです。京都方でもしばらく徐行してました。

110528keih72022_2 引き上げ線ではなく中書島方面から入線する淀始発の急行

110528keihyodo  淀駅に着いて驚いたのはまだ上り待避線は完成していないこと!まだ完工ではないんですね。今回はとりあえず上り本線を上に上げただけの高架化完了なんですね。ちょうど京都競馬のメインレースが終わったところなので少しホーム上で見物していきます。撮影者もちらほら見られ、競馬観戦帰りのギャンブラーもホームに入ってきていますが、雨と土曜開催とあってギャンブラーは少なめ。競馬人気も頭打ちだけに競馬輸送も下火になりつつあります。この日は中京競馬の代替開催と言うこともあり観戦が少なかったのかもしれません。それ以前に雨が降り過ぎていたということもあるでしょうが…。翌日はダービーなのでなんとか晴れて欲しいと思いながら、台風の影響で雨が降ることはほぼ決定事項なので祈りも通じません。まさに水を差されたと言ったところでしょうか。午前中にはポニー駅長が来たり、京都競馬場でも京阪とのコラボでイベントが行われているはずですが、盛り上がったんでしょうか?30分ほど淀駅ホームを見物して淀始発の急行を潮に撤収します。急行はてっきり引き上げ線に止まっている9000系が充当されるものと思っていましたが、意外にも京都方から回送で入線してきました。引き上げ線も完全ではないようです。構内配線もまだまだこれからといった感じで、本格稼働するのは高架完工の平成25年あたりになるのでしょうか。この後は祇園四条経由で阪急京都線に乗って帰宅しました。それにしても淀って阪急沿線からは遠いですね。水無瀬からバスに乗るのが常套手段ですが、京阪が遅すぎるのも痛いところです。

110528keihyodo2上り待避線の整備はこれからの淀駅


京阪ダイヤ変更

2011年05月30日 | ダイヤ

110528keih9004 ダイヤ変更でデータイムに復活した急行/西三荘

110528keih30052   5月28日土曜日。台風接近で各地が大雨となっているところ、京阪のダイヤ変更が行われました。淀駅上り線高架化完成に伴うダイヤ変更です。実質的には中之島線関連のダイヤ変更と言っても過言ではないダイヤ変更になっています。雨の中“新ダイヤ”の見物に京阪沿線へと向かいました。淀駅でのイベントの模様を見たかったのですが、この日は見事に出遅れ。午後からの出陣となりました。モノレールで京阪に入り、雨でも撮影できる西三荘でまず上下列車を撮影。雨の中数人が撮影していましたが、全般的に雨のためテンションは低め。3000系特急と急行樟葉行き、準急中之島行きが目新しいところですが、それ以外はあまりパッとしない感じです。と言うのも中之島行きはあれど、急行が枚方市行きから樟葉行きに変わり、特急が9000系から3000系に変わっただけで08年10月19日改正以前のダイヤとそう大差がないからです。その時のダイヤでは区間急行が存在し、淀屋橋~萱島間では毎時24本の運転でしたが、今回は減便も兼ねた変更のため毎時18本となっています。区間急行が丸々なくなっているので、その分の減便と言えます。準急がダイヤに彩りを添えてくれる形になっていますが、利用者としては急行に統一してくれた方が…という面もありそうです。あるいは準急に統一してしまうかですが、このあたりは以前の30分サイクルを引きずっているのかなと言う印象を受けます。

110528keih2604 準急は中之島発着で毎時2本が残存している/西三荘

110528keih90012 西三荘で小1時間ほど撮影して守口市に移動。ここで緩急接続の模様を少々見物して、京橋へと向かいます。守口市では従来通り急行、準急と普通が緩急接続し、区間急行の廃止を補っています。守口市からの急行の混雑はかつて特急が枚方市、樟葉に停まらなかった時代ほどではありませんが、立ち客がそれなりにいる状態で、適正な輸送力になった感があります。もっとも区間急行でゆっくり座って行くということができなくなったので、座りたい人は普通でさらにゆっくりと言うことになります。京橋では急行と先行の普通が相互接続。急行は淀屋橋110528keih8009 行き、普通は中之島行きとなっており、この接続により中之島線の優等廃止を補完している模様。中之島行き普通は急行発車後もホームに留まり、後続の特急淀屋橋行きとも接続。こちらは相互ではなく、ほぼ特急から普通への片乗り換えのみとなっています。しかし、中之島方面への乗り継ぎは少なく、急行からの乗り換え客や普通で通しで中之島線方面へ行く人にとっては迷惑な長時分停車になっています。この後、京橋から淀屋橋へ向かいましたが、準急が走るスジで3番線停車の準急が4番線の淀屋橋行き普通と接続し、その後4番線に特急が入るという珍しい光景に出くわしました。京橋手前で転線して4番線に入る特急が出現したようで、京橋連絡の醍醐味?を見た感じがしました。もっとも京橋での長時分停車により、唯一残った中之島線優等である準急はその効果を半分以上殺がれたようになっているのは痛いところです。

110528keihyodoyabashi  特急で淀屋橋へ行き、折り返しの様子などを見ます。なんと1番線、2番線が昼間閉鎖の処置が取られていました。毎時12本の運転になり、阪急河原町のように改札から遠く不便なホームを閉鎖する方式をとったようです。特急は4番線、急行と普通は3番線発着となっています。1番線、2番線ホームは立ち入り禁止処置が取られており、ホームの蛍光灯も消灯されています。4番線の特急を撮影するには少々窮屈で、一眼だと広角レンズが必要になります。これまでのダイヤでは淀屋橋発着は最低でも毎時18本は運転されていたので、今回の毎時12本の運転は淀屋橋発着列車に限ってはかなり減便されたのかなと言う印象を受けてしまいます。もっともこれまでの本数が多かっただけでこれが普通なのは他線の運転本数を見れば一目瞭然です。今回のダイヤの良し悪しはこれから評価されていくものと思いますが、運転本数に関しては適正本数に戻ったと見る方が良いのではないかと思います。


381系こうのとり

2011年05月29日 | JR西日本

110521takara381c603kono2 川西池田駅に進入する381系特急こうのとり

110521kobe583b4kita2  5月21日土曜日。新大阪駅で急行きたぐにを撮影して、塚本に移動。塚本で再度きたぐにの回送を撮影。ぎりぎりのタイミングだったので少しミスった。気を取り直して381系こうのとりを撮るため、上りホーム神戸方に移動。早速きたぐに撮影後の撮影者などが続々と集まってきました。まだまだパニくるほどの人数ではないものの、5月一杯で撤退する381系原色のこうのとりを撮るのが直近のトレンドとなっている。朝から雲が多くあまりいい天気ではなかったが、ここへきて漸く太陽の光が出てきた。381系特急こうのとり2号通過時には見事に陽が陰ってしまったが、この後の撮影は太陽の下で出来るのと出来ないのとでは大違いだ。381系こうのとり2号にて塚本を撤収。早朝からの超~朝練だったので、塚本で軽く朝食をとりブレイクする。そして再び撮影に…。早朝練習から朝練へ向かうという感じだ。どこへ行こうかと思案し、まだ撮影していない川西池田での381系こうのとりを狙おうということで普通新三110521takara183b41kono 田行きに乗り込んだ。川西池田までは先着するので空いた席に座って待ったり過ごす。いつも早起きすると睡眠時間が短くなるがこの日は5時間程度の睡眠を取っていたので、思ったよりも眠たくない。川西池田に到着。早速上りホーム宝塚方に陣取る。私が到着した時には撮影者はまだ誰もおらず、先の塚本の状況にしては意外に思えたが、通過時間が近づくにつれて撮影者が現れて、5人ほどが集まって381系こうのとり4号を撮影した。来週末(5月28日・29日)にはもっとたくさんの撮影者が集まることだろう。川西池田はキャパが大きいので、アホみたいに三脚を立てなければたくさんの人数で撮れる。この日は塚本も川西池田も三脚使用者は誰もいなかった。381系こうのとり4号撮影で早朝からのJR撮影は撤収。まだまだ撮り足りないので、続いてJRで宝塚まで移動して、次は欲張って阪急を狙った。

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九州新幹線新鳥栖駅を見る~九州遠征20~

2011年05月29日 | 乗り鉄

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 5月1日日曜日。久留米駅見学後、在来線で鳥栖へ移動。鳥栖から鳥栖の立ち食いうどんを横目に見て、長崎線で1駅新鳥栖へと向かう。先行のかもめの遅れで当該乗車列車も遅れて出発。遅れた時間でうどんを食べれば...と思いながら、帰りには絶対立ち寄るという決意を持って新鳥栖へと向かった。在来線新鳥栖も当然ながら初訪問。新八代と似たような鳥が翼を広げたようなイメージの新幹線の駅が前方に見え、それと交差する地点に在来線の新鳥栖がある。長崎線電車は案外利用者が多かったが、新鳥栖でもまずまずの人が降りていった。ゴールデンウィークだけに大荷物を持って新幹線に乗り換える人も数人いたが、多くは地元の人の利用のようだった。改札を出るが、新幹線連絡改札はない。とりあえず広い駅前を軽く散策する。九州新幹線各駅とも同じだが、駅前のターミナルは広いが、バスが止まっている台数は非常に少ない。と言うよりバスの姿を見つける方が難しい。その分タクシーはなんぼか止まっているが、これも台数はしれており、見学や送り迎えに来た自家用車の方が多いぐらいだ。
 駅前の見学はそこそこに新幹線駅の構内に入ってみる。ここも久留米同様あまり特徴的なコンコースではなく、コンコースよりもホームの屋根に金をかけた印象が強い。コンコースが地上にあるためホームに上がるエスカレータは長い。これもまた印象的な造りはしている。駅の屋根はミニ大阪駅といった風情で、これが新鳥栖駅の特徴と言える。2面4線の構内は熊本よりも広く感じる。おそらく人が少ない為と思われるが、将来長崎新幹線が分岐する計画もあるので、広くとってるのかもしれない。長崎新幹線(西九州新幹線?)は新鳥栖からは在来線を経由して武雄温泉付近からの新線(新幹線)を経由して長崎に至るので、新鳥栖で新幹線と直通するにはGCTを採用して軌間の変換を行う必要がある。このため将来的には新鳥栖に軌間変換装置を置かれることになるはずだが、現状は見た限りではそのような装置は見当たらなかったし、それを置くようなスペースも見当たらなかった。新鳥栖は見物客はそこそこいたが、利用者はあまり多くなかった。博多から1駅の距離では新幹線は贅沢だし、在来線でも十分利便性は高いので、よほど急ぎでない限り1駅利用は少ないだろう。関西や山陽新幹線沿線から鳥栖への利用もそれほど見込めないだろうから、小倉あたりからの利用が新鳥栖の生命線になるのだろうか。もっとも駅としての機能はほぼ長崎方面への連絡に特化したようなところがあるのは事実で、長崎線特急も同駅に停車し、佐賀や長崎方面への連絡を行っている。その延長が軌間変換方式の長崎新幹線であり、そのために新鳥栖駅を設けたといっても過言ではないだろう。

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急行きたぐに・きのくに快速

2011年05月28日 | JR西日本

110521kyoto583b4kita 583系唯一の定期列車の牙城を守る急行きたぐに/新大阪

5月21日土曜日。早朝からSRC、普通吹田行きと撮り歩き、吹田から新大阪に戻り、引き続き朝練となる。野球で昔朝練はしていたが、こんなに早い時間に朝練はなかった。せいぜい6時か6時半ぐらいが限度だ。今は5時どころか、4時半から朝練を行う。我ながら初夏の早起きぶりは凄いと思い。まだ6時過ぎなので、新大阪できのくに快速を撮影する。滅多に撮れないB快速としての進入シーンを押える。朝早くから一人同業者がいて、他のホームにも貨物の撮影をしている人もいた。鉄っちゃんの朝は早いと改めて感じた次第だ。おまけに夜も遅く、カメラ技術の進化により夜中の撮影も可能になってきている。寝ている暇がない。きのくに快速とは新大阪で案内される名称で、実際には何の愛称もない。113系を使用する貴重な存在で、太公望列車こと夜の御坊行き快速が225系に置き換わったので、余計113系快速が貴重になってきている。ましてや阪和色が入ったりするとそれはそれは…この日は残念ながらカフェオレこと更新車だった。この塗装もいつまで続くことやら。11番線で快速紀伊田辺行きの撮影をして、出発シーンは押えずに17番線に移動して急行きたぐにを撮影。反対側ホームなどに数人撮影者がいるものの落ち着いたもの。17番線貸切状態で、急行きたぐにを動画も含めて撮影。これにて新大阪での撮影を終えて、続いては塚本へと移動する。

110521umeda113f4082 貴重な113系での運用を続ける新大阪行きB快速


九州新幹線久留米駅を見る~九州遠征19~

2011年05月28日 | JR

110501kyusyuskurume3 2面2線で在来線併設駅となっている久留米

110501kyusyuskurume  5月1日日曜日。筑後船小屋駅見学後、在来線に戻って久留米へと移動する。813系快速に乗車したが、車内は編成が長いせいか余裕のある状態だった。811系が登場した頃は4両編成が多く、立ち客が多かった印象だが、近年は快速を中心に編成の増強が行われており、データイムには席につける確率が高くなった。東海地区でも同様の施策がとられており、京阪神でも漸く土休日の新快速が12連に統一され、各地区とも着席率が一昔前では考えられないほどよくなっている。筑後船小屋から久留米までは新幹線とずっと並行して走る。このあたりは線路改良のための新幹線ではなく、輸送力増強のための新幹線でもある。西鉄と立体交差して、久大線と並行して走り、久留米に到着。レンガ造り風の橋上駅舎が目につく。新幹線開業に合わせて立派な駅舎ができている。昨年久大線に乗りに来た時も在来線部の橋上駅舎は出来上がっていたが、時間の都合で見物はできていない。今回はじっくりと見物できる。早速在来線改札を出て、新幹線ホームの見物のため入場券を購入する。外へ抜ける自由通路にはステンドグラス風の窓に吹き抜け構造となっており、洋館の趣がある。新幹線改札はこじんまりとしており、ややもすると在来線の方が立派に見える。110501kyusyuskurume2 これまで見てきた駅はトイレとの仕切りの壁に特徴を出していたり、筑後船小屋のように駅周辺のPRを行ったり、それぞれに個性があったが、久留米は駅構内には特徴的なものはなかった。むしろ先述したステンドグラス風のコンコースの方が特徴的だ。ここはやはり新幹線単独ではなく在来線とセットで整備された駅と言うことなのだろうか。ホームは2面2線の単純な配線。久留米は新大牟田や新玉名とは一線を画す主要駅で、さくらの停車回数が多い。さすがにみずほは通過するが、新鳥栖と交互停車になっているが、新大阪直通のさくらの停車回数も多い。利用者の方も多いようで、ご多分に洩れず見学客も多かったが、それ以上に新幹線から降りてくる人の多さは、先に見た新大牟田や新玉名とは桁が違った。博多からの利用が多いのか、あるいはそれ以上の長距離客が多いのかは不明だが、いずれにしてもさすがに“新”を冠しない馴染みの駅に停車するだけのことはあって利用者は最初からついてくれているようだ。

110501kyusyus800u7tsuba久留米駅に到着する800系上りつばめ


普通吹田行き

2011年05月27日 | JR西日本

110521kyoto321d12 激レアものと言える321系普通吹田行き/新大阪

 5月21日土曜日。安威川堤防でSRCを撮影して、その後、急いで茨木駅に移動。家から安威川まで20分ほど歩き、その後、さらに急ぎ足で茨木駅まで30分のウォーキング。多少蒸し暑い朝でしたが、暑いどころか早朝から熱い熱いウォーキング三昧です。なんとか這う這うの体で6時32分の普通に間に遭いました。これに乗って新大阪へ。新大阪で狙うのは普通吹田行き。3月改正で登場したレア列車の一つです。吹田行きと言えば、国鉄時代はそれこそ定番列車でしたが、JR発足以後は何本か運転されていたものの、しばらく姿を消していました。それが今回1本だけ復活したのですから狙わずにはいられません。ましてやSRCとセットなら早起きの2度手間もなし。効率がいいです。やってきた321系のヘッドライトにやられて撮影はやや撃沈でした。吹田行きに乗車して、吹田での折り返し風景も見物。吹田の折り返し線に入る列車を見るのは今はなきタンゴエクスプローラ以来だ。


九州新幹線筑後船小屋駅を見る~九州遠征18~

2011年05月27日 | JR

110501kyusyuschikugofunago スーパー特急計画時代の名残で誕生したとも言える筑後船小屋駅

110501kagoshimachikugofuna  5月1日日曜日。新大牟田から這う這うの体で鹿児島線吉野駅まで歩いて、1時間弱電車を待ち、漸く乗り込んだ813系普通で筑後船小屋へ移動。羽犬塚周辺は利用者も多く、人口も多そうだが、筑後船小屋は旧船小屋駅から少々南に移動したところにあり、周りは田園風景が広がる長閑な駅だ。在来線も船小屋から筑後船小屋へ移設されたため、駅は新幹線はもちろん在来線も真新しい。電車を降りて改札へ向かうが、驚いたことに新幹線への連絡改札はない。新幹線と在来線が併設されている駅では連絡改札があるものだが、筑後船小屋に限っ110501kyusyuschikugofunag2 ては簡易な自動改札を通って、駅前広場を抜けて新幹線の立派な駅に入らなければならない。駅前広場はかなり立派な造りで、見物客が多いのかやたらと自家用車の姿が多く見られた。その一方タクシーの姿はそこそこあるものの、バスの姿はなかった。ゴールデンウィーク中なのでそれなりに駅前も賑わっていたが、平日などは閑散としているのではないかと不安に思う。新幹線改札に入るため入場券を購入する。どこの駅もそうだが、自動改札の数が少ない。改札を入り、ホームに上がろうとエスカレータに乗る。ホームへは直接行けず、一旦踊り場に出る。ここにモニターが設置され筑後七国と表したPRコーナーがあり、これまで見てきた各駅よりも豪華な演出がなされていた。

 ホームは2面3線となっており、下り線側が1面2線となっていた。早朝深夜に筑後船小屋発着のつばめが設定されており、このため折り返し用のホームが設けられているようだ。駅前広場に見物客がたくさんいたようにホーム上にもそこそこ見物客がいた。新大牟田110501kyusyuschikugofunag3の閑散としたホームが珍しいと言えるのだろうか。しかし、利用は少ないようで、列車も新玉名、新大牟田同様各駅に停まるつばめが毎時1本停まるだけとなっている。博多まで30分弱だが、先にも書いたように立地条件がよろしくない。筑後船小屋はかつての特急停車駅である羽犬塚、瀬高に挟まれており、この両雄からの転移を期待するしかない。瀬高からは在来線乗り継ぎで鉄道のみでのアクセスも可能だが、羽犬塚からだと1駅戻る方向になるため余計なコストもかかるため鉄道のみでのアクセスは使いづらい面がある。結局家からクルマで筑後船小屋まで来て、駅前パーキングに止めて新幹線利用と言うのが一番ポピュラーとなる。このような状況は各駅とも同様で、他の新幹線でも同様な状況である。都市間輸送では強みを見せるが、それ以外の短距離輸送では弱点を曝け出す感じは相変わらずである。これでは強力なクルマ社会には対抗できない。今後も北陸新幹線や北海道新幹線、西九州新幹線が建設されるが、北陸新幹線や西九州新幹線は短距離輸送も利用者増の一つのファクターになる。東京と各地方を結ぶだけが新幹線の役割ではない。在来線特急時代にフォローしていた範囲も極力フォローしていき、鉄道の利便性を拡大していくことを真剣に考えていかなければ鉄道離れは進行するし、新幹線、鉄道会社の赤字化も進行していくに違いない。JR九州は地域密着を旗印としており、九州新幹線の運営にもそれが色濃く出ている。筑後船小屋や新大牟田、新玉名などローカルと思われる各駅をどこまで引き上げていくかでJR九州の真価が問われるのではないかと思う。

110501kyusyus800u1tsuba筑後船小屋に停車中の800系つばめ


夏至が来ると掻き立てられるSRC撮影

2011年05月26日 | JR西日本

110521kyotosrc25052 早朝のJR京都線を行くスーパーレールカーゴ/摂津富田~茨木間

 初夏の風物詩スーパーレールカーゴの季節となりました。この時期になると撮影に行こう行こうと毎週思いながらも寝過ごしたり寝不足で撮影に行ったのは数えるほどということが多いです。今回は早めに手を打ち、5月21日に第一弾撮影。これまでで一番早い時期の撮影となりました。4時にセットした目覚ましに気づかず、4時半までぐっすり寝てしまいましたが、10分強で身支度を整えて家を出発。目指すはホームグランドと言うべき安威川堤防。なんとか速足で歩いて5時ちょうどに現地到着。家を出るとき三脚をどうすべきか迷ったが、セットしている時間がないかもしれないので、持たずに家を出ました。思いのほか外は明るく、カメラもISO感度が高めに設定できるので、手持ちでも十分でした。早朝から一汗掻いて、早速本番のSRCを撮影。手持ちの時計で5時04分に通過。定時運転のようです。ヘッドライトによる迷いAFを嫌い、マニュアル置きピンで撮影しましたが、見事にピン甘です。まだまだ修行が足りません。堤防は草がぼうぼうかと思っていたら、案外今年は草が生えるのが遅いようで、まだまだ何度か足を踏み入れられそうです。またリベンジに来たいと思います。ここでゆっくりする間もなく、安威川ではSRC1発撮って退散しました。続く狙いは普通吹田行きです。


つばめ1駅利用で新大牟田~九州遠征17~

2011年05月26日 | JR

110501kyusyus800u4 新大牟田駅を通過する800系さくら

110501kyusyus800u7tsuba4  5月1日日曜日。新玉名駅見物を終えて、新玉名から新大牟田までつばめで1駅間ワープする。新玉名発13時14分のつばめ344号。自由席特急料金830円。決して安くはないが、費用対コストで考えると大幅な時間の節約が図れるのは確かだ。もっともこの区間を利用する人はほとんどいないだろう。13時14分のつばめを逃すと14時14分まで列車はない。バスに救われた。800系の車内はさすがに空いている。新大牟田までわずか8分で到着。在来線の快速だと玉名から大牟田まで距離は違えど23分かかる。新幹線はやはり速い。もっとも新玉名はともかく、新大牟田は市街地から大きく外れており、利便性では在来線の方がかなり上だ。なるべく直線で結び、土地買収に手間のかかる市街地は新幹線建設では避けたいのはよくわかるが、利用者の便を考えれば大牟田に限れば市街地に駅を造った方が良かったのではないかと思う。

110501kyusyusshinomuta6  新大牟田駅も新玉名駅同様2面2線の単純な配線になっている。駅の方は新玉名よりも利用者も見物客も少ない。とりわけ見物客が少なく、つばめが出て行った後のホームはまさに閑散としていた。新玉名よりも市街地から離れたところにあるだけに周辺の住民が訪れるには車で来るしかないところなので、見物客が少ないのも仕方がないのだろう。あるいは大牟田市民の新幹線への関心度が低いのだろうか。
 駅前のバス停で2匹目のドジョウを狙い時刻表をのぞいてみる。生憎いい時間帯にバスはない。ここも1時間に1本しかバスが来110501kyusyusshinomuta ない。新幹線も正味1時間に1本なので、バスが1時間に1本しかなくても仕方がない。そもそも遠方から駅の見物に来る客など想定したダイヤにはなっていないので、バスは新幹線の発着に合わせてダイヤが組まれている。駅見物をゆっくり終えてバスに乗ろうなんて言う甘い魂胆は見事に覆されてしまう。駅前に團琢磨の銅像が立っているが、それ以外は新玉名と同様閑散としている。市街地は新玉名よりも離れており、在来線の最寄は大牟田と言うよりも吉野の方が近くなっている。吉野は普通しか停まらないので大牟田の方が便利だが、歩く距離をケチりたいので吉野まで徒歩で向かうことにした。一応駅前で地図を確認し、吉野駅の方を向いて歩く。延々と歩き、どこを歩いているのかわからなくなり、本当に辿り着くのか不安になる。バス停があり、バスが来たが、どこ行きかわからないので、パスして歩き続ける。この2匹目のドジョウに乗っておけば大牟田駅に着けたかもしれない。なんとなく曲がった小道を歩いていき、踏み切りの音が近づいてきたので、線路が近いと思い、足を速めて歩いていくとちょうど吉野駅に辿り着いた。早速ホームの時刻表を見ると...なんと電車は1時間後!快速がやたら通過していくが当然ながら停車はない。仕方なくホームで天皇賞の予想をしてIPATで3連複を購入。ついでにWIN5にも賭けてみる。そうこうしているうちに時間は過ぎ、813系普通が到着。これに乗って次の目的地筑後船小屋を目指す。

110501kyusyusshinomuta4 團琢磨の銅像が立つ新大牟田駅前


京阪ダイヤ変更前

2011年05月25日 | ダイヤ

110521keihan6010 ダイヤ変更で姿を消すデータイムの特急枚方市行き/西三荘

110521keihan7002  5月28日のダイヤ変更により京阪のダイヤが大幅に変わります。データイムでは快速急行がなくなり、特急は全て出町柳行きとなる。特急が京阪間通しで10分毎の運転となるため、現行ダイヤのような枚方市での乗り継ぎはなくなる。淀屋橋~出町柳間では元の鞘に戻ったと言ったところでしょうか。中之島から京都方面への速達列車はなくなり、区間急行も廃止。中之島線では出町柳行きの準急が毎時2本、出町柳行きの普通が毎時2本、萱島行き2本の運転となり、快速急行と区間急行のみの運転から普通が主体となるダイヤに変更。淀屋橋発着では準急が急行に変更され、淀屋橋~樟葉間に毎時4本運転されるようになっています。中之島線に対する後ろ向きなダイヤ変更のためか、京阪ではダイヤ改正とは言わずダイヤ変更と言う形であまり広報活動にも力が入っていないようですが、大規模なダイヤ変更だけに変更後は賛否両論出てくるのではないかと思われます。

110521keihan3005 快速急行は中之島線が開業した08年10月19日のダイヤ改正で誕生。中之島~出町柳間にデータイム30分毎の運転で設定。停車駅は中之島~京橋間の各駅と守口市、寝屋川市、香里園、枚方市、樟葉、中書島、丹波橋、七条、祇園四条、三条となっている。枚方市以遠では特急と同じ停車駅となり、淀屋橋発枚方市行き特急と枚方市駅で接続し、特急を補完するダイヤが組まれた。中之島線から京都方面への利便性を確保し、さらに中之島線から京阪本線の主要駅への利便性を両立させた列車というのが快速急行の役割だったと言える。また、110521keihan3002 特急が無視する守口市、寝屋川市、香里園などの主要駅から京都方面への利便性を確保でき、特急とは毛色の違う異色の列車でもあった。しかし、中之島線の不振があり、さらに京橋発着ベースで特急とはダイヤパターンが異なるため、時間帯によって京阪間直通利用で枚方市での乗り換えを強いられるなど不都合な面も見られた。今回のダイヤ変更ではその不都合を見事に解消され、特急の10分毎運転が復活している。守口市、寝屋川市などの主要駅から京都方面へは再び枚方市などで乗り換えが必要となったが、おそらくそれらの利用よりも淀屋橋や京橋から京都方面への利用が多く、そちらに重点を置かざるを得なかったのだろう。中之島線開業を機に投入された3000系はダイヤ変更により主たる運用であった快速急行から降りることになる。おそらく淀屋橋発着の特急中心の運用となるだろう。わずか3年弱での快速急行廃止は如何に中之島線が不振であるかを如実に表している。今後中之島線はかつての天満橋止まりの電車が中之島まで延長運転されたような形で運転されるが、果たして快速急行のような京都方面直通の優等が復活するのだろうか?

110521keihan30052 快速急行出町柳の表示はっ間もなく見られなくなる


3000系快速急行の旅

2011年05月24日 | 乗り鉄

110521keihan30042 中之島で3000系が見られる機会も激減する

110521keihan30045  5月21日土曜日。撮るだけでは飽き足りず、この日の午後の遅い時間帯に京阪快速急行に乗ることにしました。交野線でトーマスを撮影して、学研都市線経由で新福島へ。ここから徒歩で中之島へと出ました。15時ちょうどの快速急行に乗車します。一歩で遅れて、運転席直後のアリーナは確保できず、先頭の1人掛けのシートをとりあえず確保して、3000系快速急行をあちこち撮影。昼間に3000系が中之島に乗り入れることは臨時以外では見られなくなると思われます。ラッシュ時でも特急運用に充てられるなら快速急行に運用されるのかどうかも微妙なところかと思います。とりあえずローアングルから3000系快速急行を狙い、車内も110521keihannakanoshimaついでに撮影。情報案内装置も貴重な快速急行出町柳を出しているので、これも記録して出発を待ちます。中之島発車時は3割どころか1割程度の乗車しかなく、寂しい状況で す。これでは廃止もやむなしかと思っていると、渡辺橋でワイワイガヤガヤとくそガキ・・・いやお子様の団体が乗車。土曜に遠足はないでしょうから子供会の遠足でしょうか。一気に車内は賑やかを通り越して騒がしい状態に。中之島界隈ではこういった形の利用が少ないはずなので、ある意味貴重な利用者です。このような利用が多ければ快速急行も生き残ったのかもしれません。想定外の利用もあり、あまり車内はゆっくり落ち着ける状態ではなくなったので、イヤホンで耳に蓋をして道中を楽しみます。大江橋で多少の乗車があったもののなにわ橋ではほとんど動きなし。もっとも先頭車は閑散どころか満員御礼なので、途中駅からは避けられた状態になっていたものと思われます。天満橋から地上に出て、右手に大阪城を拝み、高架複々線を走り京橋に到着。ここで大量の乗車があり、時ならぬ満員御礼状態。1-2配列のシートなので立ち席面積は広いが、立ち客が結構占有しており、昼下がりとは思えない混雑になりました。

110521keihankayashima  京橋を出ると複々線を快調に走ります。京阪3000系と言えば、阪急9300系と同様に静粛性と乗り心地が抜群にいい車両と言う評価を持っていましたが、静粛性はよかったものの、微動が気になる場面が力行時にありました。車両単体の特性なのか、あるいは3000系全般に見られるものなのかどうかわかりませんが、最上級の乗り心地と言う印象が強かっただけに少し残念です。守口市で乗り降りがあったものの、車内は依然として満員御礼。守口市からは線形が悪いことと先行する区間急行との兼ね合いからあまりいい走りをしない。寝屋川市でも乗り降りはあるが、あまり減らず、香里園で件のガキども…お子様の団体が下車して車内が落ち着く。枚方公園の案内放送が流れる中、電車はあっさり枚方公園を無視して通過。枚方市では特急連絡のためしばし停車。特急からの乗り換えを受け入れて、立ち客をまた増やして出発する。これまでは急行の役割を果たしていたが、ここからは特急の役割を果たす。快速急行は後半が“快速”なのである。もっとも枚方市~樟葉間は比較的線形がマシなのでサクサク走るが、樟葉以遠はカーブが多くゆったりとした走りとなる。樟葉でも乗り降りがあったが、車内はあまり減らず立ち客がいるまま京都府に入る。

110521keihanneyagawa_2 萱島を通過すると右手に寝屋川車庫が見える。

110521keihanneyagawa2_2寝屋川市で下り快速急行とすれ違う

110521keihankorien 香里園で区急と緩急接続

110521keihanhirakatashi 枚方市で当駅止まりの特急と連絡

110521keihankuzuha くずはタワーシティを望み樟葉に到着

110521keihanyawatashi  急行は停車するが、快速急行はパスする八幡市を通過する。それにしても淀駅上り線高架化後の八幡市の上り待避線はどうなるのだろうか?木津川、桂川と淀川の支流を渡り、淀車庫を眼下に見て、一旦高架から下りる。上り線はこのまま地上を走るが、5月28日からは下り線とともに高架に上がり、“新”淀駅に入ることになる。この日は競馬開催のため淀に臨時停車。メインレース終了時ではあったが、早い時間帯だったので乗車は少なかった。中書島で結構な下車があり、さらに丹波橋で立ち客がいなくなり、席も空く状態になった。特急も同じような傾向になるのだろうが、樟葉~中書島間がピークと110521keihantyusyojima なっている。丹波橋を通り越した人は京阪間直行客なのだろうか。それとも中間駅からの利用が多いのだろうか。どちらにしても中之島から京都方面まで乗り通した人はファンらしき人を除けばかなり少ない。と言うより京橋からの利用でもそれほど多くないと思われる。阪急が京阪間直行の快速特急京とれいんをデビューさせたこともあり、京阪でも同様の列車を!という声も出てくるかと思うが、実際に利用動向を見るとそのような列車を設定する価値は今のところなさそうだとしか言えない。京阪の場合特急と続行で走らせても所要時分が長いのでよほど魅力のある車両を導入しないと利用率が悪くなりそうだ。ましてや阪急と違い、豪華な特急車両で運転される特急がほとんどなので、わざわざ観光列車を運転する必要もない。そう考えると来る5月28日のダイヤ変更以降は8000系+3000系による特急の10分毎の運転で、阪急の目玉である京とれいんに対抗していくしかないだろう。京阪にとってより気になる存在として堺筋直通特急の運転もあるが、行楽シーズンに嵐山へ運転されるだけなので今のところ大勢には影響はないだろう。もっとも阪急は天下茶屋から河原町への特急の運転にも色気を持っているようで、そうなると京阪としては安穏としていられる状況ではなくなる。

110521keihan30046  列車は丹波橋から少しサクサクした走りを披露するが、すぐに深草の急カーブで減速。以降は急カーブが連続するためゆったりとした走りとなる。JR奈良線と交差して、東福寺を通過する頃には運転席のカーテンが自動で下りてきて、地下へと入る準備が行われる。阪急に比べるとカーテンが下りるタイミングが早いように思う。JR東海道新幹線、JR琵琶湖線と交差して、地下に潜り七条に到着。ほとんど乗り降りはなく、すぐに発車する。五条を通過して、京都方のメインステーションの一つ祇園四条に到着。私は阪急に乗り換えるためここで快速急行のミニトリップを終える。中之島から祇園四条まで60分。ミニトリップと言うには少々長い1時間旅行はなかなか見所もありファンとしては面白いが、実際利用する人にはどうだろうか。また、今後マンションなどが立ち並んでいくこともあるだろうが、基本的に住宅地ではない中之島では他線との連絡もなく(阪神福島、JR新福島は割合近いが…)、京都へ向かう旅客を掴む要因が少な過ぎる。渡辺橋も大江橋も同様で、他線との連絡はあっても乗り換えが不便だったり、本線の方が便利だったりするため、中之島線が活かされていない。逆に沿線から中之島界隈に人を呼び込むにしても、目玉となる施設がないという致命傷がある。中之島界隈は大阪にしては落ち着いた雰囲気で、散歩するにはなかなかいいところだが、リラックスはできても、他に何かする目的地が見当たらないところでもある。こういった状況を考えると今回のダイヤ変更で快速急行が整理されてしまったのも仕方がないのかなと思う。


京阪夕方ラッシュ時

2011年05月23日 | ダイヤ

110518keihan30062 快速急行中之島行きもあまり見られなくなる/関目

 5月28日のダイヤ変更(京阪では決して改正とは言わない)で京阪のダイヤが大幅に変わります。名目的には淀駅上り線の高架化完成に伴うダイヤ変更だが、実質的に中之島線のダイヤ整理のためのダイヤ変更と言える。データイムから快速急行が姿を消し、終日京阪間を結ぶ形で運転されていた快速急行は樟葉止まりなどが多くなり、中之島から京都への直通列車は実質的に姿を消す形になっている。中之島線は非常に寂しくなるダイヤ変更だが、ファン的には見所が多いダイヤ変更で、快速急行に関しては下り限定だが、2扉車による快速急行も登場する。このあたりはダイヤ変更後に改めて取材してきたいと思います。

 今回は快速特急の特急化など変更点が多い夕方ラッシュ時ダイヤを取材してきました。撮影場所は関目。その前に京橋で乗り具合を見ていましたが、列車によって混雑率に差があるなと思いました。特急と急行は混雑が激しく、快速急行も京橋から混雑する感じ。しかし、準急はやや空き加減、快速特急は着席100%程度の乗り、区間急行は空席すらある列車もある状態でした。快速特急の廃止もやむなしという状態です。快速急行は三条行きから樟葉行きに変更されますが、京都方面への優等が毎時9本という現行の体制が過剰ぎみなので今回の処置は仕方がないところかもしれません。

110518keihan3003樟葉行きに変更される三条行き快速急行/関目


阪急春シーズン最後の臨時列車

2011年05月22日 | 近畿

110514hkyo666074夕陽を浴びながら天下茶屋を目指す66系直通特急/茨木市~南茨木間

110514hky63543  5月14日土曜日。午前中に堺筋線を中心とした臨時を撮影し、その後、準急と京とれいんの撮影などをしながら京都線を走り回り、夕方は再び臨時の撮影をすることに。昼下がりから天気が怪しくなり、突然の大雨に降られたり、天候は不順。水無瀬など京都方での撮影を目論んでいたが、雨が降るからか水無瀬の駅は撮影者で満員御礼。あまりキャパのあるところではないので、ここは回避して、大人しく南茨木へと向かった。茨木市~南茨木間の踏切には先客がいたので、とりあえずパスして、駅チカの陸橋へ。3階席?に一人いたが、2階席?を独り占めして快速特急と京とれいんの2本を撮影。そこで天候が持ち直し加減で陽も出てきたので、件の踏切へと移動。ここもキャパが狭く、ピンポイントでしかいい画が撮れないが、なんとか先客さんの合間から狙うことにして、天下茶屋行き直通特急を皮切りに、直特3本を同所にて撮影した。正直出来はいまいちだ。光線状態に負けて踏切まで来たが、これならホームで撮るか陸橋から撮ればよかったと少々後悔している。

110514hky83102 さがののヘッドマークを付けた8300系快速特急梅田行

110514hky70232 あたごのヘッドマークを付けた直通特急高速神戸行

110514hky7017とげつのヘッドマークを付けた直通特急宝塚行


バスに助けられ新玉名~九州遠征16~

2011年05月22日 | JR

110501kyusyusshintamana 玉名駅から山鹿温泉へ行くバスが立ち寄る新玉名駅

110501kagoshimatamana2  5月1日日曜日。熊本駅新幹線ホームを見物して、熊本発12時01分の普通に乗って熊本を後にする。新幹線ホームは見ていて飽きないので後ろ髪ひかれる気分だったが、その先の行程を考えればゆっくりはしていられない。電車はロングシートの815系2連で、車内は座席定員ぐらいの乗り具合。上熊本で乗車があり、後は降りていく人ばかり。まったりした車内で、朝から歩いた疲れを取るため爆睡。気がつけば田原坂を越えて玉名に着いていた。玉名駅で降りて向かうは新玉名駅。熊本での大雨が嘘のように晴れ間がのぞいてきた。しかも少々暑い。駅前で情報を収集してみるが、地図に新玉名駅は載っていない。ネットで見た地図では結構近い感じだったが…30分程度歩けば辿りつくだろうと、携帯片手に歩き始めた。110501kyusyusshintamana4 しかし、行けども行けども市街地を抜けることができず、途方に暮れかけていたときにバス停を発見。なんというバス停か忘れたが、時刻表を見るとちょうど新玉名駅を通るバスがあるではないか。しばし待つとバスが現れ、この救世主に乗り込み新玉名駅を目指す。バスがどういうルートを通っているのかよくわからないが、玉名駅から新玉名駅まで3km以上あるのではなかろうか。30分ではとても歩ききれないほどの距離だとバスに乗って初めて気づきバスに助けられたと思った。周辺の風景が開けて田んぼの中に突如として現れた新玉名駅。歩いてい110501kyusyusshintamana5 てはとても辿り着けなかったと思ったので、その姿を見て少し感動した。時間的に余裕があれば何時間かけてでも歩いて行くのだが、今回は新玉名から新大牟田の間は新幹線でワープすることにしていたので、1時間に1本しか停まれない新玉名駅の利便性を考えるとこのバスに乗った効果は非常に大きかった。1時間の余裕が生まれたのだから後行程が楽になる。

 新玉名駅前には広大なバスターミナルがあるが、タクシーが数台停まっている程度でバスの姿は非常に少ない。ここまで乗ってきたバスも1時間に1本だ。駅前はまさに何もなく寂しい限り。玉名温泉へは車で5分程110501kyusyusshintamana2 度なので、これからは温泉利用の呼び込みが必要だろう。また、毎時4本も運転している九州新幹線なのだからせめて毎時2本ぐらいの停車は欲しいところだ。もっともそれだけの需要があるかどうかで今後の停車本数は決まってくるだろう。駅は木材が多用されており、森の中をイメージしてデザインされているという。確かに森の中ではないが、それに近いところにあり、駅周辺のイメージとはマッチングしている。駅構内は意外に見物客が多く、結構盛り上がっていた。毎時1本停まるつばめの到着を待っているのかと思いきや、つばめが来ても乗り込む人は少なかったので、利用者よりも見物客が多かったのだろう。しかし、これでは一時的な見物客がいなくなった後を想像すると先行きの厳しさを感じざるを得ない。なんとか利用者を増やす施策が必要だろう。