JR根室本線には第1次北海道遠征(97年9月)の時にスーパーおおぞら1号~快速ノサップの乗り継ぎで全線制覇している。この時キハ283系初乗りで振り子気動車を初体験したことになるが、前日の白鳥~はまなすから乗りっ放しだったこともあり、根室本線に入る頃には眠りの中という状態だった。キハ283系は座席モケットにたんちょう鶴があしらわれているのが印象的だった。あっという間に釧路…というほどではなかったが、帯広までは速かったし、帯広以東も少しスピードが落ちるものの快適な走りを披露してくれた。釧路でミニ観光をした後、再び根室本線に戻りキハ54系快速ノサップ(はなさきだったかも?)で終点根室へ。未開の地根釧台地を走る景色は雄大で北海道へ来た!!というのをここで実感した感じがした。荒野の大地というイメージが多々あったが、荒野といってもアメリカの西部劇に出てくるような砂漠の荒野ではなく起伏が激しい未開の地という印象が深い。そこに生える植物は本州などで見られる物とは違い、湿気った感じのする植物が多いように思った。終点根室に着いて、駅近くの民宿に荷物を置いて、バスでノサップ岬まで行ったが、ものすごく遠かったのともの凄く時間がかかったのと、さらにもの凄くバスの運賃が高かったのを思い出す。北海道にはその後何度か渡道しているが、北方領土を遠くに望んだのはこの時だけだ。根室で一泊して民宿で一人一匹つく花咲ガニを堪能して、翌朝は列車がないので徒歩で東根室へ行き、最東端の駅で記念撮影して、列車に乗り込んだ。
第1次遠征ではこの後、道東から網走を経由して、旭川へ行き、旭川から富良野線で富良野に入り、富良野観光をして、根室本線経由で札幌に出て、旭川に戻っている。この時根室本線の滝川~富良野間を制覇したが、この区間はそれ以来乗っていない。
次に根室本線を訪れたのは第2次北海道遠征(2003年8月)で、この時は翌日の行程の都合で札幌行きの夜行に乗るために、夕方に札幌を発って、夜釧路に着いて、夜行特急まりもで折り返すという行程で根室本線を訪れている。夜間の道中だけに景色も見えずあまり面白くなかったが、盆休みの期間だったので沿線で花火大会が行われていて花火を楽しみながらの道中となった。スーパーおおぞらも最初乗った時は速達タイプに集中して投入されていたこともあり、停車駅も厳選されていた印象があったが、03年に乗った時には主要駅以外とも思える駅にも停車していたので以前乗った時のような速さはあまり感じなかった。むしろよく停まるという印象の方が強かったように思う。夜行特急まりもは今や道内唯一の夜行特急となっているが、この頃は利尻やオホーツクも健在で、札幌から旭川方面までの近郊輸送も担う2列車と違い、まりもは札幌と道東を結ぶのが目的で、前記2列車のようなアルバイトはしていないので見た目乗車率は低い。釧路から乗った同列車も余裕で4人分の席を確保して余裕の姿勢で眠れたし、05年8月の遠征の際に札幌から乗った時も思いのほか空いていた。ただ、旭川を過ぎると閑古鳥が鳴く利尻、オホーツクとは違い、一旦乗ると終点まで降りない人が多いという点で夜行特急まりもは季節格下げを免れているのかもしれない。
第4次北海道遠征(05年7月)では、石勝線夕張支線とともに根室本線で乗り残していた富良野~新得間の乗り潰しを行った。ぽっぽやで有名な幾寅で途中下車といきたいところだったが、いったん下車してしまうと気が遠くなるほどの待ち時間を要するのと、この時の北海道遠征は1日限りだったので、時間の都合で乗っただけとなった。
第5次北海道遠征(05年8月)でも根室本線には乗っており、夜行特急まりもで札幌から臨時延長運転を行うため根室まで乗り通し、その折り返し列車で速攻折り返している。まりも折り返しの列車は普通扱いの乗り得だったが、寝台車は立ち入り禁止の処置が取られていた。根室本線の釧路以東のホーム有効長は短く、長編成(6両だったか?)のまりもは各所ではみ出し停車をしていた。その後釧路で待ち時間を利用して、釧網本線にちょい乗りして釧路湿原まで行ってノロッコ号の撮影をしている。釧路に戻りスーパーおおぞらに乗り換えて、池田までのミニトリップをして、池田から北海道ちほく高原鉄道最後の旅を楽しんだ。