あかつき・なはの廃止まであと1ヶ月あまりとなった。同列車は銀河ほどの思い入れはないものの、関西ブルトレの一角としてよく撮影には出かけたものだ。最近は撮影がメインだが、あかつきには2回乗車もしている。1回目は生まれて初めての個室寝台体験で、長崎から大阪までB寝台ソロに乗った。2回目は岡山から博多までレガートシートに乗車した。ソロ、レガートシートとあかつきを代表する車両に乗ったが、後からコンバートされてきたA寝台シングルDXやB寝台ツインには乗らずじまいとなった。また、なはの方は乗車することもなく終焉を迎えることになる。
あかつき・なはは元々は単独運転で関西と九州各地を結ぶブルトレの一角として運転されていた。中学生の頃、大阪駅で駅撮りしたり、地元の安威川橋梁近辺で曲りなりの撮影を試みたりしたことがあったが、その時には朝の早いあかつきや彗星はいつも撮り逃してしまい、なはのみ撮影して帰るということが多かった。関西ブルトレは長らくEF65-PF牽引を続けていたので、PFファンの私としては嬉しい限りだったが、私が撮影に興味を示したのはごくわずかの期間で、長らく撮影からは遠ざかっていた。再度撮影に目覚めた時には単独運転のあかつきと彗星の姿はなく、この両列車の併結運転となはの2往復が残るのみとなっていた。あかつき・彗星の最後と単独運転最後のなはは混雑を避けるためにマイナーな千里丘で彗星のケツ打ちとなはは大阪方で正面撮影を行ったが、なは最後単独運転の牽引機はEF66だったことは今でも覚えている。PFファンとしては残念だが、珍しいものを最後に見せてもらったということで有難くカメラに収めた。
あかつき・なはになってからはなるべく早いうちに撮影をということで、ある程度撮影はこなしてきたが、山崎などのメジャー撮影地は結構足を運んだが、色々な場所での撮影は今となっては撮り足りなかったなと思っている。最期の撮影もなかなか進まずに1ヶ月を切ってしまっているが、最終列車については穴場で何とか楽に撮れるようにしたいと思っているので、色々思案していきたいと思う。