EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

神岡鉄道

2008年08月29日 | 東海

040905kamiokaokuhidaonsenguchi10  04年9月4日に能登半島の鉄道を乗り潰し、折り返して津幡から北陸本線を東へ進み富山にて宿泊。予約していたホテルが明かりが消えてどう見ても閉まっているように見えて焦ったが、閉まっていたのは旧館で隣の新館でチェックインしてほっと一息つけた。翌朝は富山駅で早朝から北陸、能登などの撮影をしたが、生憎の雨でロクでもない画になってしまった。富山から猪谷までの道中はジャジャぶりで、猪谷から乗り換えた神岡鉄道の道中もジャジャぶりだった。神岡鉄道の列車は囲炉裏付の車両だったが、季節的に囲炉裏がいるわけでもなく、車内は鉄っちゃんらしき人がパラパラと地元の人がパラパラ乗っているだけの寂しい車内だった。鉱山への貨物輸送が主体の鉄道だけに旅客はおまけといったところなのだろうが、私が乗った同年の秋には貨物輸送が廃止され、ついには06年12月1日に路線自体が廃止となってしまった。終点の奥飛騨温泉口にはタンク車を改造した妙な車両が置かれていたのが印象的だが、駅周辺に小規模な町が広がるものの、人は少なく、今から思うと廃止もやむなしという状況だったのかなと思う。


のと鉄道

2008年08月28日 | 北陸

040904notont1324  04年9月6日はJR七尾線の乗り潰しをして、午後からのと鉄道の乗り潰しに取り掛かった。のと鉄道は2001年に輪島への路線が廃止されている。その翌年にクルマで輪島まで行った時に廃線跡は拝んでいるが、輪島線は乗車することはできなかった。穴水~蛸島間の路線の廃止も決定されていた時期だったので、沿線や車内にはカメラやビデオカメラを持ったファンの姿が結構見られた。私が乗った列車は土曜の昼下がりだったので、高校生が大量に乗りこんでいた。しかし、混雑していたのは穴水までで、穴水から先は閑散とした車内になっていた。穴水以北が廃止になるのも仕方ないといったところだろうか。観光客と思しき人の姿もちらほら見られたが、地元の人の利用は高校生とお年寄り以外は皆無に近いという感じだった。道路の整備が進み、現役世代には鉄道不要というのが地元の認識なのだろう。終点の蛸島まで乗り通し、折り返しに1時間以上時間があったので、事前にリサーチしていた日帰り温泉まで歩いて温泉に浸かりに行った。途中で雨が降り、想像以上に距離があったり、さらには温泉には身体にいろいろ絵を描かれている方が入っておられたり(ちょっとちびりました)とゆっくり温泉に浸かってリラックスするという雰囲気もなく、そそくさと入って列車に間に合うように走って駅まで戻ったのを思い出します。


JR七尾線

2008年08月27日 | 北陸

040904nanao4157  JR七尾線には04年9月4日に乗車した。18きっぷシーズン最終週に余った18を有効活用して北陸~高山~岐阜と回るルートで乗り潰しを計画した。早朝茨木を出て、湖西線経由で北陸へ向かう計画を立ててみた。当時は敦賀直通の新快速もなく、近江今津が関所のようになっており、1日数本しかない永原~近江塩津間の列車を基準に乗り継ぎを考えなければならなかった。午前中のうちに金沢に着かなければ、のと鉄道も含めた能登半島の鉄道乗り潰しができないので、どう見ても早朝の乗り継ぎを行わなければ目的を達せられないので、結局は金沢までサンダーバードを使うことにした。18は七尾線と宿を取っていた富山までの移動のみとなり、少々勿体ないが、ここは乗り潰しを優先した。七尾線内は415系800番台に乗り、とりあえず七尾へ。並行する能登有料道路に比べると見劣りする路線だが、さすがに特急が走る路線だけにそれなりの軌道にはなっているようだ。七尾でのと鉄道への乗り継ぎの間に駅付近でしらさぎやサンダーバードの撮影を行い、珍しい415系800番台の快速をカメラに収めてのと鉄道の乗り潰しへとかかった。七尾港へ向かう使われていない線路が少し気になったが、それを探求するだけの時間がなかったのは残念だった。


東武日光線

2008年08月26日 | 関東

040815tobunikko61772  東武日光線は04年8月15日にJR日光線の乗り潰しをした折り返しに乗車している。この時は東武宇都宮線の乗り潰しをしたので、東武日光~新栃木間の乗車となった。東武日光から6050系快速に乗りこんだが、車内は行楽帰りの人で一杯。さらに下今市で会津方面からの列車と併合してさらに混雑。車内ではあまり身動きがとれぬまま新栃木へ。鬼怒川温泉方面へ乗る時にじっくり景色を見ればいいと思っていたが、05年10月9日に遠征した時には生憎の雨。浅草からじゃじゃぶりの雨の中を走り、鬼怒川温泉を過ぎたあたりで漸く雨が止むという最悪のパターンだった。このため、東武日光線をはじめ、伊勢崎線、鬼怒川線はろくに景色も見ていない。それにしても05年に乗った時もハイカーと思しき人やゴルファーなどがたくさん乗り込んでおり、観光行楽路線のイメージは2回乗っても強いものがあった。逆に平日は空いているのではないかと思うが、平日に乗る機会はおそらくないので確認することはおそらくできない。


東武宇都宮線

2008年08月25日 | 関東

040815tobuutsunomiya5157  東武宇都宮線は04年8月15日に乗り潰しを達成している。東北からの帰りに寄り道として栃木県内でJR烏山線、JR日光線に乗って、東武日光線で東武鉄道に移り、栃木で東武宇都宮線に乗り換えて、そのまま東武宇都宮まで全線乗り通した。東武宇都宮からはというと、地図上では歩けない距離でもないだろうと前日に確認を入れて、徒歩でJR宇都宮まで移動した。地図も持たずに前日に見た地図と東武宇都宮駅近くにあった地図を頼りにJR宇都宮方面へと歩いてみた。想像以上に距離があり、途中何となく迷ったのかどうかさえ分からないまま商店街などを歩き続けて漸く新幹線の立派な高架ホームを見つけてほっとしたのを思い出す。宇都宮の市街地にはやはり餃子店が多く、つい立ち寄りたくなったが、時間がおしていたので餃子は断念してそそくさとJRで東京方面へと移動した。

 東武宇都宮線は昔は青い帯も付いていない豆腐みたいな車両という印象の5000系などが主力で走っており、伊勢崎線などの本線系統から外れた路線だけに古い車両ばかりが集められている印象を受けた。地元の阪急も大概古い車両を使っているが、東武をはじめ関東の私鉄の古い車両は阪急の古い車両とは大変レベルに差があるように思える。もちろん阪急のほうが現在でも十二分に通用するだけの内装の造りと十分な性能を有しているように思うのである。


地方でもICOCA

2008年08月24日 | 近畿

080823maiduru115r14  最近西日本エリアの山陰などへ遠征するとICOCAには縁もゆかりもない気動車にICOCAの使用可能エリアなどが記載されていて、ICOCAの案内のミニ冊子が置かれていたりするのを見かけます。広島エリアにもICOCAが導入され、広島地区でも気動車が走る芸備線の気動車などはICOCAと関わりがあるので、下関地区などを走る気動車にも同じ案内が載せられているのでしょう。しかし、使えないエリアでICOCAの宣伝をしても無駄というもの。返って利用者にとってはややこしいことこの上ありません。近年東日本エリアではSUICAが勢力を伸ばし、西日本でも岡山、広島地区でもICOCAが利用できるようになり、勢力を伸ばしつ080823obama125187 つあります。しかし、それ以上の拡大となると費用対効果を考えればなかなか導入に踏み切れないところもあるでしょう。今のところJR各社でICカードが読み取れる機器を搭載した車両は見られません。地方鉄道では伊予鉄や富山ライトレールあたりでICカード読み取り機搭載の車両が見られます。料金体系が複雑なJRでどこまで対応できるかわかりませんが、シーズン中を除けば短距離利用が多いはずで、ワンマン運転を行う路線などではICカード読み取り機を搭載して、ICカードの利用促進を行えば、運転士の料金精算などの負担が減るのではないかと思います。主要駅にはICカード対応の自動改札を置き、利用者の多い駅では簡易読み取り機を置き、ワンマン運転などが行われている利用者の少ない路線では車両に読み取り機を置いて乗車時にカードを読み取らせ、降車は車内か駅で再びカードを読み取らせるようにすればそれなりのコストでICOCAを導入できるのではないかと思います。


阪神近鉄・JR北近畿地区

2008年08月23日 | 近鉄

080823kinnarah1504  今日は近鉄奈良線で阪神1000系の試乗会があるということで、雨の中撮影に出向きました。阪神車の近鉄線内での試運転は平日しかしてないので、近鉄線内を走る1000系を撮るまたとないチャンスということで雨の中学園前まで行きました。かなり早く着いたようで、あとから来られた事情通の方から色々面白い情報を頂き、小1時間ほど待って、付属編成2本をつなげた4両編成の1000系を撮影して撤収しました。

080823fukuchiyama223f9  学園前から新大宮まで行って、新しい奈良駅を見てという計画でしたが、時間が合わず近鉄京都線に乗って京都へ。京都から18きっぷを利用してJR湖西~北陸~小浜~舞鶴~山陰~福知山とJR西日本の北近畿地区を巡ってきました。223系5500番台が運用を開始しているので、それの撮影も目当てです。敦賀までの新快速で睡眠を取り、小浜線へ。小浜線は当然ながら125系ばかりで223系が入ってくる余地はありません。昼下がりの時間帯だけに小浜近辺で高校生が乗ってきた以外はほどほどの乗り具合で単行でもよさそうな乗りでした。舞鶴線で来た電車は115系でしたが、途中行き違いで223系5500番台に初遭遇。5000番台に近いフロントと2000番台の最終グループに近い側面を持つ車両です。貫通扉にラインが入るのは6000番台と同じく120km/h運転仕様ということなんでしょう。福知山では223系5500番台の姿がたくさん見られるかと思いきや、113系や115系もまだまだ生き残っています。さすがにサンパチの姿はありませんでしたが、嵯峨野線複線化、ATS-P導入が済むまでは113・115系の姿も見られそうです。また、福知山線で京キトの113系が運用されているのも見ました。今までそんな運用があったのかどうかわかりませんが、大ミハの113系といいまだまだ113系は健在しているようです。


JR烏山線

2008年08月22日 | 関東

040815karasuyama401002  JR烏山線には04年8月15日に乗車している。東北遠征の帰りに、帰りがけの駄賃として立ち寄った。宇都宮線を黒磯から南下して、宝積寺から烏山線に入るルートを取って、烏山線を往復して宇都宮直通列車で、宇都宮へ出て日光線の乗りつぶしをするという栃木JR乗りつぶしルートを形成している。JR東日本では珍しくなりつつあるキハ40、キハ48を使用する路線で、案外勾配がきついのか途中喘ぎながら走るという感じがした。ロングシートの割合を高くしているのはラッシュ時対策なのかもしれないが、水郡線のキハE130系のような新車が烏山線にもそろそろ欲しいところだ。


茨城交通

2008年08月21日 | 関東

040812ibako3  旧茨城交通(ひたちなか海浜鉄道)には04年8月12日に乗車した。磐越西線~磐越東線などを乗り継いで新潟から水戸までたっぷり乗りつぶしの旅を堪能した翌日に、東北へ旅立つ前の一仕事ということで、水戸から勝田まで移動して勝田から阿字ヶ浦まで茨城交通の旅を楽しんだ。キハ20に乗車したが、新鋭の37100形の姿が見られなかったのは残念なところだ。茨城交通からいつの間にやら社名が変わったが、沿線は長閑な田園や畑が多く、今後も厳しい経営が続きそうだ。


おいでませ山口都合4.5日目

2008年08月17日 | 0系

080817yamaguchic57c56maite  14時30分頃に無事山口遠征から戻ってきました。今日は半日行程で、早朝からはやぶさ・富士を本由良で撮って、小野田線、宇部線に経由で新山口へ戻り、SLやまぐち号最終撮影のために山口駅まで行って来ました。昨日は雨もあってやまぐち号を撮っている人は少なかったですが、今日は日曜日ということもあってか、山口駅の時点でかなりの人が集まっていました。山口駅は5人程度が撮影しているだけでゆったり撮影できました。マイテが機関車の後ろに連結されているので、ケツ打ちはできないので、上のような写真になりました。SLの後は直後の普通で新山口へ戻りました。新幹線の時間の都合で、SLの撮影はほどほどに終えました。小1時間ほど新山口で新幹線待ちとなりましたが、その間に0系こだまと080817sanyos500w1 500系のぞみを見ることができました。昨日徳山で見た光景と同じですが、予期せぬ出会いだったので撮影は適当なものとなりました。新山口の新大阪方面行き上りホームは帰省客で混雑しており、私が乗るレールスターの前を走るN700系のぞみはグリーン車のデッキにも立ち客が出るほどの混雑でした。私が乗ったレールスターも指定席の通路にまで立ち客が出るような状態で、新大阪には3分程度遅れての到着となりました。全般的に新幹線の混雑は例年以上に激しいようで、原油高騰の影響が出ているような感じでした。在来線はさすがに大混雑というほどではありませんが、山陽本線などは18きっぱーらしき人たちが大移動している光景も見られ、ファンのみならず一般人の利用も多くなっている印象を受けました。


おいでませ山口都合4日目

2008年08月16日 | JR西日本

080816yamaguchi492  島根山口遠征3日目。この夏の山口遠征は都合4日目です。今回は雨に祟られています。朝から富海ではやぶさ・富士の撮影で活動を開始したまではまだ曇り程度でしたが、昨日に続き山口線に入ってから雨にやられました。長門峡で撮影をしましたが、雨もあってか撮影者はなにわの時のような鈴なりではなく、まったりした雰囲気でした。長門峡到着時にはまだ降るか降らないかの状態でしたが、やまぐち号通過前に雷鳴が轟き、昨日同様土砂降りとなりました。よほど行いが悪いのか、今回の遠征は最悪です。昼からもSLを追う予定にしておりましたが、雨が止みそうにないので断念。どこへ行っても雨のため、予定を変更して、新山口~徳山と在来線で移動して、徳山~新山口間の新幹線きっぷを買って徳山の新幹線ホームでしばらく撮影。狙いは500系と0系。ちょうど0系こだまが500系のぞみに追い抜かれるので、秋以降見られなくなるコラボをカメラに収めました。出来は天気が悪いこともあり今ひとつですが、いい記念になりました。0系こだまでの新山口までのミニトリップも体験でき、漸く今回の遠征で満足感を得ることができました。新山口ではSLやまぐち号の到着を撮影と行きたかったのですが、ここでは到着番線を見誤って大失敗。マイテを初撮影できたことが唯一の救いでした。明日は天気がよければ宇部線の乗り直しとSLやまぐち号のリベンジをしてから新幹線で帰阪する予定です。

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おいでませ島根…

2008年08月15日 | JR西日本

080815sanin1261002  今日は益田を起点に山陰本線西部を巡り、山口に戻り津和野でSLやまぐち号を撮影してきました。岡見貨物は運休だったので、予定より早く益田を発ち出雲市へ。学生時代などに既に乗っているが、乗り直しを結構。よさげな撮影地が点在する風光明媚な景色が展開されるが、列車本数が少なく降りて列車を撮るという気にはなかなかならない。出雲市でサンライズなどを撮って、小1時間で折り返し。浜田までは普通列車で戻れたが、浜田から先は列車がなく、18から離れて津和野までスーパーおきでワープ。キハ120も結構力走していたが、キハ187系はやはりパワーが違う。もっとも浜田以西はあまりスピードが出せず、山口線内は線路条件が厳しいこともあり、トロトロと走っていた。津和野到着後はレンタサイクルを借りて撮影地へ。自転車を走らせた途端に大雨が…昨日からついてません。ずぶ濡れになりながらとりあえず自転車を走らせ、近場で撮れそうなところへと足を向けた。有名撮影地はもう少し先だったが、あまりにも雨が強いので、そちらは断念していつでも駅へ帰れるように近場で撮ることにした。先客はおらず雨も一旦止んで晴れ間が覗いてきたが、SLが通過する寸前に雷鳴が轟き、土砂降りになった。傘をさしての無理な体勢での撮影となり、それ以上に大雨でとりあえずSLにカメラを向けられてよかったという状況だった。雨の中駅まで戻り、自転車を返して、津和野から普通列車を乗り継いで宿をとっている防府へと向かった。明日もSL撮影に奔走することになるが、なんとか今日のリベンジをしてきたい。

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おいでませ山口都合3日目

2008年08月14日 | JR西日本

080813sanin47misuzu  今年2度目の山口遠征に出ています。狙いは前回に続いてSLやまぐち号。前回はSL重連になにわの組み合わせでしたが、今回はマイテとの組み合わせ。明後日再度山口線に行きます。今度は長門峡あたりへ行けたら・・・と思っております。今日はムーンライト九州でとりあえず山口入り。恒例のブルトレ撮影をどこでしようかと思いながら眠りについたが、目を覚ますと広島で抑止中。5時頃隣にブルトレが入線。大雨のため、広島~岩国間で運転を見合わせているとのこと。6時過ぎになんでか横川まで1駅移動。ブルトレも後を追ってきたが、7時過ぎの運転開始時にはブルトレが先行するとのこと。撮影もへったくれもなくなり、なんとか下関まで着けばという状態でした。岩国まで徐行運転を繰り返し、新山口などで信号待ちなどをしながら漸く11時前に下関着。ブルトレはもはや姿はなく、予定が狂い、空いた時間で前回失敗したオグタマでのみすず潮彩の撮影を目論んでいたが、それも時間が間に合わず、結局下関でふくうどんを食してあとは山陰本線を北上して益田で予定終了という味気ない1日となった。明日は計画段階では運転があると思っていた岡見貨物の運転もなさそうなので、出雲市までの山陰本線乗り直しと山口線を南下して、宿を取っている防府まで往復するだけの1日となりそうだ。帰りがけの駄賃でSLを撮影できれば御の字という1日になりそうだ。


JR宇都宮線

2008年08月13日 | 首都圏

040815utsunomiya231u582  JR宇都宮線大宮~黒磯間に初めて乗ったのは04年8月15日だ。仙台から阿武隈急行などを経由しながら南下して、黒磯からE231系5連に乗って、途中宝積寺で一旦烏山線を往復して、宇都宮からは日光線を乗り潰して、さらに日光からの帰途は東武日光線に乗って、東武宇都宮線に乗って、東武宇都宮から長躯歩いてJR宇都宮まで戻り、宇都宮から再び宇都宮線南下の旅となった。宇都宮から小山までは明かり区間を走る道中だったが、小山から先はどっぷり陽が暮れてしまった。同じようにJR両毛線に乗った時なども日暮れ時に宇都宮線に乗っており、小山から大宮間はあまり景色が見える時間帯には乗っていない。07年正月に有名撮影地である“ヒガハス”へ行った時に大宮~蓮田間は朝の時間帯に乗っているがそれ以外は夕暮れ時しか乗っていない。次は朝の早い時間帯などにゆっくり乗ってみたいものだ。


JR日光線

2008年08月12日 | 関東

040815nikkonikko4  JR日光線には04年8月15日に帰りがけの駄賃として東北本線を仙台から南下する途上に乗車した。黒磯から宇都宮線で南下して、宝積寺で途中烏山線の乗り潰しをして、烏山線からの直通列車で宇都宮に到着した。宇都宮からは107系日光線電車に乗って日光線乗り潰しへ。想像していたよりも駅間距離が長く、乗車時間も結構長かった。観光都市日光への路線なのに107系という中途半端な車両を走らせているのはどうかと思うが、JRも東武への直通特急を走らせて日光線を見離した感さえある。この当時はまだスペーシアの新宿乗り入れは実現前だったが、この頃からJRは日光線にやる気を見せていなかった。終点の日光には臨時快速用の183系が停車していたが、それが唯一の目玉で、定期列車でない点が如何にも力が入っていない感じがした。日光は写真のように荘厳なレトロ調の駅舎があり、伝統を感じさせるが、如何せん東武日光に比べて人が少ないのは残念なところだ。