EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

阪急今津線

2007年01月31日 | 乗り鉄

060409hky7007  乗り潰し足跡シリーズ第3弾は阪急今津線。この路線に乗ったのはおそらくこれまた幼少の頃、宝塚ファミリーランドの帰りに親がサービスで西宮北口経由で帰ってくれたことで乗れた路線だ。さすがに今津経由では帰ってくれなかったので、今津線の西宮北口~今津間はそのまま乗らずに放置されてしまい、初めて乗ったのは学生になってからだった。だから西宮北口にダイヤモンドクロスがあった時代には今津線でダイヤモンドクロスを通過していない。神戸線側からは体験済みだが、今津線側から乗れなかったのは今から思えば残念だ。

 今津線の初乗りの思い出としては、親に駄々をこねて昨日書いた旧型車(形式までは覚えていない)に乗せてもらったことだろうか。宝塚からは座って行けた記憶があるが、西宮北口から乗った神戸線の特急が大混雑だったのをよく覚えている。あの頃に比べると阪急神戸線は大きく没落したなと感じてしまう。

 今津線は幼少の頃は仁川ピクニックセンターへ行く際に利用するぐらいであまり他に乗った記憶はないが、後に競馬をするようになって、阪神競馬場へ行くのによく利用するようになった。仁川駅前は今では競馬場まで直通の地下通路が完成して便利になったが、私が最初に訪れた時には信号を渡って競馬場への陸橋へたどり着くという感じだった。京都競馬場ほどではないが屋台のような店も出ており、競馬場への最寄り駅という雰囲気があったが、その雰囲気もなくなりつつある。京都競馬場も淀駅の高架化により、競馬場とまさに直結するのでかなり便利になる。その反面昔ながらの競馬場の駅前の雰囲気がなくなっていくのはある意味寂しいものがある。

 現在今津南線と呼ばれる西宮北口~今津間は先述したとおり学生時代に暇潰しに乗った。それ以後撮影をするようになって、阪神から阪急へ移動する際の短絡線として何度か乗っている。最初に乗った時から既に今津駅は高架化されていたと思うが、ワンマン運転までしていたかどうかは定かではない。6000系3連がワンマン運転をしている光景を見ると自分が歳を食ったことを感じてしまう・・・阪急沿線の世代交代はよそに比べてかなり遅いので、あまりそういうことを実感するのは逆に困難な面もある。

 将来的には今津線を高架化して、かつてのように南北統一がなされる計画もあるようだが、なかなか計画が進んでいないようだ。最近今津南線の高架化が具体化したようだが、北線の方はいつになるのやら・・・。北線の高架化時には、短絡線も高架化して、神戸線の上下線と立体交差できるようにすれば、直通電車の設定が容易になるのだが、おそらくそこまでするつもりはないだろう。


阪急宝塚線

2007年01月30日 | 乗り鉄

060624hky51002  昨日の阪急京都線に続いて第2弾の乗り潰しの足跡を追うシリーズ。今回は阪急宝塚線。昨日つらつらと書いたとおり阪急京都線沿線で生まれ育ったため、阪急との関わりは幼少の頃から深かった。阪急宝塚線も乗り潰しの意識もなく乗り通したという方が妥当なところだろう。子供が宝塚へ行くとなれば、当然宝塚ファミリーランドへ行くというベタな理由しかない。ここはお出かけ好きの祖母ではなく、親に連れられて行ったのが初めてだったと思われる。親はクルマ族なので、移動にはクルマの利用が多かったが、宝塚ファミリーランドはなぜか電車で行ったことの方が多かったように思う。電車好きの息子にサービスのため電車で行ったのか、駐車場が高かったのかわからないが、そのおかげで阪急宝塚線乗り潰しは幼少期に終えることができた。

 私の父は阪急宝塚線沿線育ちの為、宝塚線には親しみを持っていたようだ。中でも十三の阪急そばは朝から立ち寄ってうどんを食べるほど、うまいという話を聞いていた。実際始めて阪急そばでうどんを食べた時これはうまいと感じたものだが、小奇麗に改装されてからは少し昔とは味が違っているように思える。

 阪急宝塚線と言えば、石橋、川西能勢口で分岐する箕面線、能勢電が思い浮かぶが、箕面線は明日あたり記そうと思っているが、幼少の頃乗り潰している。能勢電は宝塚へ行くたびに能勢口で見ることはあったが、大学に入るまで乗ることはなかった。幼少の頃の私は阪急の旧型車マニアで、2000系以前の車両に乗せてくれと親や祖父母にせがんだものだ。能勢電へ行けば、旧型ワールドが広がっていたのに、幼少時代に乗れなかったのは残念としかいいようがない。能勢電に初乗りした時には既に新性能車へほとんど置き換わっていたので、阪急の旧型車を体験して懐かしみことはできなかった。

 阪急宝塚線の話からずれてしまったが、幼少の頃は急行と普通しか走らない路線で、京都線や神戸線に比べて見劣りするというイメージがあった。青地に白文字の梅田-池田間の普通の標識看板などを思い出すが、そのうちに白地にオレンジ色の枠の新しい看板に変わってしまった。記憶が定かではないが、昔は池田行き、曽根行きが結構走っていて、雲雀丘花屋敷行きや豊中行きというのは少なかったように思う。

061022hky60122  昔から特急の運転がなかったことや今も昔と同じ急行と普通の2本立てに戻って、上辺では昔とあまり変わっていない印象があるので、京都線や神戸線のように没落したという感じはあまりしないが、ラッシュ時のダイヤやデータイムダイヤの変遷を見ると宝塚線も並行するJRに苦しめられているのがよくわかる。ダイヤが変わって改正されて便利になるのは利用者にとっては有り難いが、改正したのかどうかわからないような微妙な内容の改正と称するダイヤ変更や下手をすれば前のダイヤの方がよかったようなダイヤ改悪を頻繁にやられては利用者としてはたまったものではない。阪急宝塚線のダイヤは現行データイムに関しては良かれ悪しかれベストのダイヤと思われる。ラッシュ時ダイヤはなんぼか変化はあるかもしれないが、現ダイヤでしばらく動向を定めて欲しいと切に願う。


乗り潰しの足跡・・・第1弾阪急京都線

2007年01月29日 | 乗り鉄

061008hky9301  私が乗ってきた鉄道の足跡を追うということで、本日から私が乗り潰してきた鉄道を毎日・・・確実いや隔日に取り上げていこうと思います。第1弾はおそらく幼少期に何気に乗り潰してしまったであろう阪急京都線を取り上げます。

 阪急京都線は私が生まれ育った家の目の前を走っていたため、幼少期には阪急の影響をかなり受けて、自然と物心つく頃には“鉄”になっていた。所謂子鉄である?最寄駅が阪急京都線茨木市だったので、当然乗る機会も多く、とりわけお出かけ好きの祖母に連れられて梅田方面へはよく乗った。祖母はある意味で阪急信者というべき典型的な人間で阪急電車が好きというわけではないが、阪急百貨店をはじめ阪急に信頼を置く人間の一人であったといっても過言ではない。そういうことで阪急京都線に乗り、阪急百貨店へ連れられては、ミニカーならぬミニ電?を買ってもらい、国鉄大阪駅が見える喫茶店へ連れて行ってもらい、大阪駅に出入りする電車を眺めて子鉄ながらに鉄分を補給していた。

 梅田へ行く機会はそういうことでかなり多かったが、京都方面へはなかなか連れて行ってもらえなかったが、これまた祖母と祖父に連れられて梅小路の蒸気機関車館へ行った時に初めて河原町へ乗り入れ、阪急京都線が私の乗り潰し第一号となった。その当時はもちろんそんなことは意識もしていなかったので、いつ達成したかまでは当然覚えていない。おぼろげな記憶だが、行きは河原町まで行って阪急百貨店でお昼ご飯を食べて、おそらく四条烏丸まで歩いて、開業したての京都市営地下鉄に乗って京都駅へ出て、行きか帰りは京都駅から梅小路まで歩いたはずだ。祖父母とも非常に健脚だったのを覚えている。その影響を受けて私も結構歩くのは苦痛にならない。祖父母に感謝したい。

061022hky63572  その当時SLというのは煙をもくもく吐いて黒い塊にしか思えず機関車トーマス(私の幼少の頃からあったのには驚くがそれより今なお人気があるのにはこれまた驚く)以外には興味がなかったが、電車好きの孫を喜ばせようと梅小路へ連れて行ってくれたのだろうが、正直当時の私には弁天町の交通科学博物館へ行って食堂車(ナシ20)でお子様ランチでも食べさせてもらえる方がよっぽどよかった。とはいっても、京都の地下鉄の初乗りまで果たし、さらに帰りには河原町まで行って、梅田まで当時はまず乗れることがなかった6300系特急に乗せてもらったので、子鉄としては十分満足していたはずだ。6300系は昔からそれほど好きではなかったが、それでも子供の頃は自分の駅である茨木市を颯爽と通過していく姿しか見られなかったので、憧れの存在ではあった。乗車機会は当然少なかったが、お盆に淀川へお花やお供えものを流す風習が当時はあり、これまた祖父母に連れられて、8月14日だか15日の夜に十三まで行って、事を済ませて帰る際にちょうど6300系の急行が運用されているスジがあり、幸運にも何度か当たって、乗る機会があったのを覚えている。

 幼少の頃を過ぎると阪急からは徐々に離れていき、小学校、中学校と電車に乗る機会が少なかったこともあり、阪急よりも国鉄に興味を持つという鉄としては当然の過程を踏んで、高校、大学と阪急を再び使うようになって、また阪急趣味に戻ってきた。しかし、高校時代あたりまではまだJR発足直後で、まだまだ阪急が横綱相撲をしている時代で、阪急に対して特に不満もなかったが、JRの攻勢が激しくなり、阪急の落ち込み具合を目の当たりにしてきた時あたりから阪急に対して不満を持つようになっていた。昔日の阪急を思い出しながらもJRが中間駅への攻勢を強めているのに、20分サイクルという大英断はあったものの、特急は相変わらず京阪間ノンストップというのにはかなり不満であった。あの時もう少し早く高槻市への終日停車を判断していれば、今の展開はもう少し違っていたのではないかと思えてならない。今春のダイヤ改正で特急は私が幼少期に大変お世話になったかつての急行の停車駅に近づいたが、幼少期に憧れたけれども反面晩年は鬱陶しくも感じていた京阪間ノンストップ特急は見る影もない。昔からあまり好きではない6300系が消えていく日には京阪間ノンストップ特急も新京阪のP-6のように伝説になってしまうのだろうか・・・。

060401hky6330 あまり好きではなかった6300系だが、その中で6330Fだけは前パンタ好きの私好みの車両だった。


オーシャンエイプス

2007年01月21日 | 鉄道
 ブログで初めての競馬ネタです。ディープが引退して腑抜けになった競馬ファンもいるかと思いますが、土曜日の新馬戦で期待できそうな新星が現れました。オーシャンエイプス・・・武豊騎乗で1800m芝の新馬戦を8馬身差の圧勝。土曜日深夜の競馬ダイジェストで見ましたが、勝ちっぷりだけ見れば大物です。現役時代大好きだったマヤノトップガン産句だけにクラシック路線に乗るだけじゃなく、父が出走すら果たせなかったダービーを制覇して、秋には菊花賞で父子制覇を達成して欲しいものです。
 今年の牡馬クラシックは現時点では登竜門のラジオNIKKEI杯2歳ステークスを勝ち重賞を連覇したフサイチホウオーと2歳チャンプのドリームジャーニーが一歩リードの感がありますが、トライアルを終える頃には様相も変わってくるかと・・・オーシャンの方は次走で勝つか負けるかで春のローテが決まってきそうです。無理せず皐月はパスしてダービー1本の方がよさそうな気が・・・

年始鉄活動4

2007年01月17日 | 夜行列車
 信越線最終電車で直江津到着後は、1時間ほど待ち時間があったので、待合室でゆっくり休憩・・・と思っていたが、時刻表を見ると西から夜行列車が立て続けに3本来ることを発見して一転して撮影モードに。雨が降り寒い中だったが、私以外に熱心な撮影者が2~3名、日本海、能登、北陸の3列車の到着を待っていた。私がいたホームには長野と神奈川からクルマで来たという熱心な撮影者が雨の中三脚を立てて待っておられました。私のようにきたぐに待ちで暇つぶしに・・・という人はいませんでした。日本海1号は定時で到着、しかし次の急行能登は10分少々の遅れ、さらに寝台特急北陸は16分の遅れ・・・急行きたぐにの方が先に着いてしまい私は撮れずじまい。他の方も不安視していた被りに遭われたようで・・・並びが撮れたのならそれはそれで貴重だと思いますけどね。北陸に後ろ髪を引かれながらきたぐにの3段式B寝台の下段に身をすべりこませて京都まで爆睡。最近ほんと夜行で眠れるようになったとつくづく思う今日この頃です

年始鉄活動3

2007年01月16日 | 甲信越
 篠ノ井で時間調整をした後満員の長野行きで長野へ。短編成だと混雑するし、3連や4連を2本つなげて増結すると輸送力過剰になるし、ローカル線の輸送に関しては難しいところがある。それでも昼間から大混雑するのは輸送サービス上好ましくない。周辺のイベントごとなどを入念にチェックし、弾力性を持った運用をしてサービス向上に努めて欲しいものだ。それがモータリゼーションへの挑戦につながっていくはずだ。
 長野到着後はまず立ち食いで長野名物?なめこそばを食して、地下の長電長野駅へと向かう。以前長野に来た時にちょい乗りしたことがあったので長電は初めてではない。薄暗い地下駅のイメージがあったが、今もそのままだった。勿体無いと思いながら2日間有効のフリー切符を窓口で購入して早速ホームへ。乗車予定の普通電車はまだ入線してなかったが、真ん中の2番線?に早速お目当ての1000系ゆけむりが停まっていた。少々長い折り返し待ちのようだが、写真を撮っている一般人も多く長電移籍もまずは成功といったところなのだろう。ゆけむりはとりあえず撮影乗車はお預けということで普通電車で柳原へ。ここで千曲川にかかる有名な鉄道と道路共用の鉄橋付近で撮影。その画が上の1000系ゆけむりだ。小田急ではまず見られない光景だ。
 この後も撮影行脚を続け、須坂、桜沢で途中下車しながら撮影を行った。撮影の最終は信濃竹原~夜間瀬間の橋梁での撮影。上下のゆけむりを撮って日没を迎え、撮影活動はTHEEND。信濃竹原から終点湯田中まで乗り、湯田中で駅前銭湯で一風呂浴びる。銭湯で十分温もり、再び長電で須坂へ。須坂から乗り潰しのため屋代線で屋代へ。どっぷり日が暮れたが、撮影優先で動いたので仕方ない。夜遅いといっても19時頃だったが、屋代線の利用者は異常に少なかった。正月三箇日だからかもしれないが、それを加味しても少ない。屋代からしなの鉄道で折り返すことも考えたが、フリー切符が勿体無いので、長電で折り返し、須坂で折り返して長野へ戻る。
 長電に別れを告げ、JRに戻ってみどりの窓口で直江津から京都までの乗車券を購入する。長野で北陸線の切符を購入したのが無理があったのか、窓口のお姉ちゃんは少々手間取ったが、なんとか切符を入手して、直江津まで18を使って最終電車で移動した。

年始鉄活動2

2007年01月15日 | 甲信越
 正月三箇日を鉄活動で過ごした2007年。その最終日は松本から始まった。早朝から松本電鉄で新島々へ。上高地への表玄関になる駅だが、早朝のため観光客の姿もなかった。観光もせずに折り返し撮影地探しに出かける。新島々の次の駅淵東で降りて撮影する。陽が昇っておらず露出に苦しむが速度が遅いのでとりあえずOKの写真が撮れた。さすがに長野県ともなると寒さが身にしみるが、去年極寒の地を何度も訪問して、今年も元旦から極寒のヒガハスを経験していたので、それほど寒さが苦にならなくなってきている。
 予定より2本ほど早い電車で松本に戻って1本早い篠ノ井線電車に乗って長野を目指す。できれば姨捨あたりで撮影を・・・と思っていたが、次の電車が姨捨を通過するため断念。行き違い待ちの光景を撮影して我慢した。姨捨の手前でEF64プッシュフルの浪漫とすれ違った。おそらく予定されていた臨時と思われ、姨捨にはそれを撮影したと思われるファンがカメラと三脚を持ってうろうろしていた。
 1本早い列車に乗ったので、とりあえず篠ノ井で降りて撮影をすることに・・・あまり時間もないので駅撮りにしたが、駅を出て前後にいい陸橋があったので、長野新幹線の撮影もできそうだった。長野新幹線は駅舎付近から狙ってみたが、コンマワンテンポほど速かった画になってしまった。新幹線の撮影は一発勝負ではやはり難しい。

年始活動1

2007年01月14日 | 東海
 元旦に年末年始鉄旅行から帰って、一息つく間もなく2日から長野方面遠征へと出た。目的は明智鉄道、松本電鉄、長野電鉄の乗り潰しと中央西線の撮影。疲れた体を癒す間もなく2日の早朝から東海道を東上する。名古屋までの道中は年末に続いてとなり、前よりもかなり早い時間帯に乗ったが、米原から先の快速が117系8連だったため余裕を持って座れた。名古屋から中央西線に入る。とりあえず予定より早く着いたので、鶴舞で撮影を行い、千種から乗車整理券を買ってセントラルライナーで恵那へ。既に当方ホームページの付属の掲示板喫茶エクスプレスで書いたが、セントラルライナーが指定席制とは知らず適当に座って車掌に何も咎められることもなく恵那まで乗車した。
 恵那からは明智鉄道の初乗り。恵那出発時は結構乗っていたが、終着明智へは途中駅から方向を間違って乗った家族連れを除けば4~5人程度だった。明智鉄道ではイベント列車などを走らせて活性化を図ろうとしているが、それよりも恵那での中央西線との連絡を考えたダイヤに切り替えて欲しいものだ。
 恵那からは再び中央西線に戻り多治見から無料で乗れるセントラルライナーで中津川へ。ここから先落合川で撮影をするつもりにしていたが、雲行きが怪しいので街に近い中津川近辺で撮影することにした。本来であれば貨物の通過もあるのだろうが、正月休みで貨物の姿は全く見られなかった。小1時間ほど撮影しても撮れたのは上の213系快速や383系しなのなど3本のみ。大した収穫もなく中津川を去った。松本行きまで時間があったので南木曽行きで落合川へ。有名撮影地だが、日暮れが近く天候が悪い為露出も得られず、さらに列車も来ずということで何の収穫もなしに松本行きが来てTHEEND。翌朝の松本電鉄乗り潰しに備えてこの日は早めに宿に入った。

1年の計は元旦に・・・鉄

2007年01月11日 | 夜行列車
 元旦から鉄をするとまた1年鉄な1年になるという言い伝えがあるそうな・・・なければそれを自分で実践して実績を作るだけということで早速実績作りに元旦からヒガハスへ。大晦日の夜にテレビを見ていた為眠さに負けて予定していた早朝の能登、北陸、あけぼのの3点セットはさすがにパスしたが、カシオペア、北斗星はヒガハスでGETした。元旦と言うのに熱心なヒガハスの主たちが20人近く集まっていたが、場所が広いので混乱もなく落ち着いた撮影ができた。もっとも後半は寒さが身にしみて早く帰りたい衝動に駆られながら北斗星4号を撮影して即退散した。出来はまずまずだと思うヒガハスだったが、やはりこういうフィールドに来ると一眼が欲しくなってしまう・・・

12月31日鉄納め2

2007年01月10日 | 東海
 小田原から熱海まで乗る東海道線が大森での人身事故のため20分ほど遅れてるとのこと。熱海から伊東線に入り、伊豆急の撮影を楽しみながら伊豆下田へと思っていたが、どうなることやら・・・。熱海で余裕時分をとってあったので、大丈夫だろうと高をくくっていると遅れていた東海道線は熱海駅入線待ちでさらに遅れが増大。それでも伊東線には間に合うと余裕綽々で熱海に降り立つと伊東線ホームは人だらけ。なんでや?発車間近なのに列車の姿はない。なんでや?伊東線も東海道線の煽りで遅れてるのかな・・・と思いながら伊東線ホームへ行くと伊東線の方も別に網代駅の信号機故障で大幅に遅れているとのこと。ホームの人の数が尋常でなかったのでやめようかと思ったが、伊東あたりまでの辛抱だろうととりあえず乗ることにした。30分ほど遅れて来た電車は元東急8000系。熱海で時間調整して次の電車のスジにて出発。伊東までどころか伊豆高原を過ぎてもなかなか空かなかった。対向列車の遅れなどもあり、かなりの遅れをもって伊豆急下田へ到着。ダイヤ通りなら途中片瀬白田で降りて撮影を楽しもうと思ったものの、何があるかわからないのでとりあえず伊豆急下田まで行った。
 折り返しはリゾート21使用の普通で今度は片瀬白田で途中下車。しかし、遅れもあって最早日暮れ前。なんとか撮影地に海岸べりへいったものの、露出不足で撃沈これなら夕暮れ模様の岸壁からの撮影にすればよかった・・・
 たいした収穫もなく片瀬白田を辞して伊東へ。伊東からE231系普通で小田原へ行き、ここから湘南新宿ラインで長躯大宮へ。グリーンに乗ろうと意気込んで券売機を探すが、改札内には見当たらず、スイカ専用機があっただけだった。スイカを持たぬ地方人の悲しさを痛感した。ほんとにスイカ専用機しかなかったのかどうかは微妙なところだが・・・。

12月31日鉄納め

2007年01月09日 | 東海
 早朝沼津の宿を出て東海道線で富士へ。富士駅ではやぶさ・富士を迎え撃ち、その後は身延線堅堀で富士山バックの撮影を行う目論みだ。はやぶさ・富士通過までだいぶ時間があったが、ホームライナー沼津や東海道線・身延線電車を撮影してかなりいい暇つぶしができた。ただ、ビル影が長く冬場の撮影はあまり適していない場所だと思った。はやぶさ・富士はピンぼけで撃沈露出が上がらない中だったが、もう少しシャッター速度をかせいでおけばよかったのか?素人適当撮影ならではのボケ具合だった
 富士を辞して身延線堅堀へ。富士山が見える鉄橋へ行こうかと思ったが、ホームでも撮影できそうだったので、ホームに居座り撮影。373系ふじかわや313系などを撮影して満足して堅堀を辞す。再び富士から東海道線で今度は東上。熱海で東京行きに乗り換える段で富士から乗ってきた電車に三脚を忘れる失態。東京行き発車前に気づき急いで駅事務室へ行くと既に届けて頂いていて事なきを得た。昔はこんなことまずあり得なかったのにここ数年、マフラーと携帯を忘れる前科が有り、ボケの始まりを感じつつある。
 東京行きに1本乗り遅れて、お決まりのE231系に乗って小田原へ。ここから伊豆箱根鉄道大雄山線の乗り潰しを。大雄山線は駿豆線と同じ会社の路線だが、両線に接点がないのが特徴だ。JRと直通のある駿豆線に比べて、それのない大雄山線は少々地味な存在か?大雄山まで行って折り返して小田原へ戻ると東海道線がえらいことになっていた

12月30日鉄納め2

2007年01月08日 | 東海
 予定では岳南の後は伊豆方面へ向かう予定だったが、予想外に撮影をがんばってしまったため、予定を変更して次なる富士山スポットの伊豆箱根鉄道駿豆線へ。岳南鉄道で吉原まで戻り、三島で駿豆線に乗り換え、まずは撮影スポットの大場へ。この付近は先ほどの須津近辺ほどではないが、遠目に富士山が見え、撮影地としても有名どころである。駅から徒歩15分ほどの撮影スポットで撮影を楽しみ、修善寺までの乗り潰しをして三島へ戻り、宿をとっている沼津へ帰って本日の予定は終了!!富士山を中心に充実した鉄活動が行えた一日だった。

12月30日鉄納め

2007年01月07日 | はやぶさ富士
 ながら92号で東京入りして、すぐにトンボ帰りで373系静岡行き321Mに乗って函南へ。この電車に乗るのは3度目だが、毎回早朝から混雑するのには驚かされる。18シーズンだからながら折り返しや朝一の西下に利用する人が多いのかもしれない。函南に降り立つと同じように鉄人が一人降り立ちホーム端へ。軽く挨拶を交わすものの、撮影に集中したいのでダンマリを決め込む。はやぶさ・富士通過まで少し時間があったが、陽が上がってくるまで寒くて仕方なかった。313系5000番台などを撮影しながらはやぶさ・富士の通過を待ち、定時に同列車が通過していった。撮影自体はまぁまぁだったが、場所的には信号機が邪魔になるので、いまいちだったかなと思った。これなら無理して竹倉踏切にでも・・・と思うほど後に見た富士山は綺麗だった。
 函南を辞して、東海道線を西下して吉原へ。ここから岳南鉄道の乗り潰し。400円のフリー切符を買って岳南江尾まで行って、即折り返し。須津で降りて富士山をバックにした東海道新幹線の撮影地へ。事前にチェックを入れていたので迷うことなく15分ほどで到着。到着後1発目に下り300系続いてメインの500系が通過・・・三脚を準備する前に通過したので手持ち撮影となってしまった。続いて上り500系が通過したが、要領を得ずいまいちの出来。小1時間の撮影予定だったが、あまりに富士山が綺麗に見えたので、次の500系まで粘ることにした。

年末鉄1

2007年01月06日 | 東海
 12月29日はながらに乗る前に一仕事で、まず平日ダイヤの阪神本線の模様を淀川で撮影。天候に恵まれ淀川橋梁のトラスの影が諸に被り状況は最悪でした。まさにピンポイント撮影となりました。
 その後大阪から18を使って岐阜へ。岐阜は雪が降り非常に寒かったです(*_*)道中琵琶湖線が大幅に遅れていて、米原での東海道線名古屋方面との接続の有無が二転三転して当初接続待ちしてくれるという情報だったのに結局米原到着直前で遅れが増大したため、接続できないということになりました。30分に1本電車があるので、問題はありませんが、名古屋方面へ遅れを引きずることを避けるという意味では賢明な処置なのかなと思いました。これが60分毎だったら話は違ってくるのかも・・・人間って勝手なものです(^^;)
 岐阜で雪が降る中JR東海ご自慢の313系5000番台の撮影をして、高山線で美濃太田へ行き、長良川鉄道に乗ってきました。1日フリーきっぷがあると調べていったのですが、なんとフリーきっぷは土休日のみ!!29日は平日ダイヤのため、普通乗車券で往復!!北濃に着いた時には日が暮れて思いっきり雪が積もってました。長良川鉄道の印象は南部が関市周辺を中心とした輸送、北部が郡上八幡を中心とした輸送に分けられそうです。いずれも年末のためか利用が少なかったです。あれでよく成り立っていくんですね。本数は毎時1本程度確保されているので、超~不便なローカル線というわけでもなさそうですけど。
 長良川鉄道乗車後は美濃太田~岐阜~名古屋と辿り、名古屋でながらを待ちつつ、来春の廃止は免れて撮影者が3人だけだったはやぶさ・富士を撮ったりして時間を潰しました。今のうちに撮っておけばゆったり撮れるのに鉄道ファンって間際にならないと撮らない妙なプレミア志向がありますね。
 ながらは92号でしたが、相変わらず満席で活況を呈していました。ただ臨時の方は利用者が落ち着いた層なのか車内は静かでよく眠れました。名古屋を出て検札が終わってから熱海あたりまで記憶がないのは初めての経験です。
~明日へと続く~

国鉄色

2007年01月05日 | 九州
 国鉄色に戻ったキハ66・67系。元筑豊の主も今は大村線で第2の人生を送っている。リバイバル流行りの咋今、客寄せパンダのリバイバル色はあまり好きではないが、国鉄車両はやはり国鉄色が一番似合うと思う。