EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

出雲日記4

2006年02月22日 | 出雲

 2月19日は早朝5時30分頃倉吉の宿をチェックアウトし、倉吉発鳥取行きの始発列車に乗り込んだ。泊まで2駅。泊で降りて、地図を片手に初めての青谷踏切へ向かう。インターネットなどで調べた限りでは駅から徒歩20分程度とあったが、この時期早朝6時台はまだ暗く、暗中模索といった感じで暗闇の中を歩いた為、徒歩で何分かかったのかわからなかった。青谷踏切に到着!!列車移動では一番乗りと思っていたが、前日の伯備線同様車移動組が強く、既に10台近いクルマが踏切付近に停まっていた。取り急ぎ撮るポイントを探り、イン側の線路に近い位置の一番端っこ(要するに線路からは少し離れた位置)を確保した。場所取りに成功したものの、クルマ組と違い、列車組はその場待機となるため、出雲が通過するであろう8時30分ごろまで約2時間の間寒空の下、時折来る列車を撮影しながら待ちとなる。


 6時30分頃だとまだまだ周囲は暗く撮影には適していないが、とりあえず練習がてらにローカルやスーパーはくとの回送を撮ってみる。初めての撮影地ではなかなか好アングルを掴むまで時間がかかるが、デジタルの場合、撮ってすぐ結果がわかるので、その点は便利だ。出雲通過までに物凄い数の撮影者が来るのかと思っているとさにあらず。最初の時点で20名を越えるぐらいの人数が揃っていたので、それ以上はほとんど増えなかった。山陰線は鳥取-出雲市間ではそれなりに列車密度も高いので、何本か撮影して感覚が掴めてきたが、どれも出雲よりも短い編成ばかりなので、アングル的には練習になっているのかなっていないのか微妙なところだ。


 先週の餘部と違い、天候に恵まれていたので、出雲は定刻どおり青谷踏切に姿を現した。撮影は自分なりにはうまくいった感触があり、上の画の通りとなった。自分の腕ではこんなとこだなと自己満足に浸る(^^)V出雲撮影後はクルマ組はみな退散して行った。列車組は私だけかと思われたが、徒歩で来ている人もいたので、数人は列車利用で撮影に来たようだが、90%以上はクルマ移動で撮影に来ていた。何度も書くが、鉄道ファンとしては残念な限りだ。


 鳥取へ戻って、鳥取からスーパーはくとに乗って帰阪する予定だったが、泊には9時台に停まる列車がなく、10時15分まで時間があったので、しばらく青谷踏切に残る。アングルを換えて上り列車などを狙っていたら、昨日宍道で見かけたほのぼの山陰がやってきた。ネタものではないらしく、青谷踏切で撮影したのは私一人だった・・・というかクルマ組は米子に長時間停車する出雲を再度狙いに行ったのだろう。スーパーおき4号まで狙ったみようと青谷踏切で粘っていたが、遅れが生じたらしくリミットの駅まで20分となる9時55分でも列車が現れなかったので、撤収しようとした瞬間踏切が鳴って見事に撮影!!しかし、その代償は大きく、駅までの時間が20分を切ってしまった!!行きに時間を正確に計っていなかったいなかったことが悔やまれる。乗り遅れるわけにはいかないので、駅までリュックに小さい三脚を担いで走った。普段の不摂生がこういう時には祟るが、なんとか10時15分の列車に間に合い、列車内で爆睡。鳥取に着いた時に食べた砂丘そばがうまかった。鳥取からはスーパーはくとで一っ跳び。はくとは満席状態で休日とは言え人気の高さを感じる。予定通り大阪に14時前に到着して、14時03分の阪急京都線の急行に乗り込み帰宅。なんとか今年最初のG1レースに間に合った!!しかもスーパーはくとの車内での学習が効いて、ユートピアとシーキングダイヤを中心に買い、最後に押さえたカネヒキリの1着からの3連単をGETして、今回の旅の足しにできた。いい一日だった。



~完~


出雲日記3

2006年02月21日 | 出雲

 宍道からは出雲のたびを倉吉まで楽しむことにしたが、出雲の宍道到着が17時54分とぎりぎり走行中の撮影が可能かと思われる時間帯だったので、当初は宍道で出雲を撮り、後続のやくもで追いかけて米子から出雲に乗車しようと考えていた。しかし、それでは特急券が2枚必要ということで、コスト面から見て断念した。しかし、宍道での入線写真の撮影は捨て難く、対向ホームで入線を撮って、急いで出雲に乗車するという綱渡り撮影を敢行。シャッター速度を稼ぐ為、かなり暗い画にはなったが、この時期としては致し方ないということで個人的に満足できる画にはなったと思う・・・いまいちだが(>_<)  出雲の立席乗車可能でなおかつ禁煙の3号車に見事滑り込み。一路倉吉へ。車内はほどよく鉄人っぽい人、出雲廃止を意識して乗ったと思われる親子などなどで埋まっていた。とりあえず席を確保して、車内をうろついてみる。フリースペース化してしまった食堂車には酒宴を行う人などが集い賑わっていた。機関車直後のオハネフを覗いてみようと車内を進んで行くうちに立席客のいる寝台を除いてはかなり空いていることに気づいた。米子までの道中はサンライズと被ることもあるので仕方ないところだが、廃止を前にした列車の実態とはこんなものかという印象を受けた。1ヵ月後の出雲は惜別乗車のファンなどでお祭り騒ぎになり、プラチナチケットを手にしたファンが廃止が惜しいなどというコメントをして新聞記事になることが目に浮かぶ。今の状況を見る限り、廃止が惜しいというような状況ではないのは明らかで、何も知らずに廃止と言うお祭りを楽しむファンを見ると興ざめしてしまうのは私だけだろうか。などと考えながらも自分も同じ穴のムジナであることに気づく。と複雑な思いにふけりながら最後の出雲の旅を楽しんだ。


 列車は暗闇の中たくさんのファンが待つ米子へ到着。ここで機関車を交換するため、14分の長時間停車。私もホームに降りて機関車交換を見物、撮影したが、機関車廻りにはロープが張られる厳戒態勢がしかれていた。1ヵ月後の出雲廃止を睨んだ混乱防止策と見られるが、出雲のラストランまで事故のないよう関係者もファンも頑張って欲しいところだ。米子を出ると車内はなんとなく落ち着き、喧騒から離れて廃止前の没落した出雲に戻った感があった。倉吉まではDD牽引でも高速化により快調に飛ばして定刻通り19時46分に到着。倉吉で待ち構えているファンは非常に少なかった。ホームの明かりが乏しく夜間撮影には適していないのだろう。しかし、米子での過剰な盛り上がりを考えると倉吉あたりでじっくり撮影する方が賢明かもしれない。下車後は食料を調達して、今夜の寝床へ。明日の青谷踏切撮影に備えて早々と眠りについた。



~明日へ続く~


2月11日上り出雲撮影記

2006年02月15日 | 出雲

 20時20分の出雲到着に合わせてチェックインしたスーパーホテルを出るべく、夕食のかに寿司と家より持参した好物のシーフードヌードルを食し、一眠りした。19時ごろ目を覚まし、早めに駅へ向かう。12日の大阪までの乗車券を福知山経由で購入し、自動券売機で入場券を購入してホームに入る。出雲は3番線到着の為、向井のホームの2番線側に行ってみるが、一番乗りだったらしく、まだ鉄人は見当たらない。まだまだ場所はあるし、雨が降っているので、暇つぶしに3番線ホームなどにいき、スーパーはくとの撮影などを行っていると、2番線ホームに鉄人がうじゃうじゃとどこから湧いてきたのか現れ始めた。油断していた私が悪いが一番乗りだったのにちょっとの間に場所が取れるかどうか微妙なぐらいの増えようは圧巻でした。鳥取にはこんなに鉄はおらんはずなので、遠征組がほとんどと思われ、次の日の餘部が思いやられる。


 なんとか出雲を撮れるポジションを確保して、到着を待つ。若干の遅れを持って到着した出雲は遅れのためか、妙に短い停車時間で出発して行った。正直撮るまでの苦労が・・・というぐらいあっけなかった。出雲撮影後は停車中のスーパーまつかぜを撮って、次の日に備えて鳥取駅を辞した。


哀愁の餘部鉄橋

2006年02月12日 | 出雲
 今日の餘部鉄橋はタイトルとは無縁の表情を見せてくれました。昨日山陽新幹線、智頭急行、因美線と撮り歩きの旅を行い、夕方に鳥取入りして、駅前のスーパーホテルで一泊して、雪がちらつく早朝の鳥取駅を発ちました。車内にはどう見ても鉄人と思わしき人が多く(といっても思っていたほど多くなかった)、浜坂での乗換えで10人程度いるかなというのを確認して、餘部に到着。夜が明けきっていない上、若干吹雪いており、撮影には最悪の状態でした。とりあえずお立ち台に登り、車で来たのか餘部で一泊したのか先客が数名いるのを確認して、お立ち台の上の方を目指しました。足元が非常にぬかるんでおり、下に下りようか迷いましたが、下は既に鈴なり(というほどでもなかったが)だったので、我慢して滑り落ちないようにしながら三脚とカメラをセット。途中明るくなったり、吹雪いたりを繰り返しながら、はまかぜが暗い中を通過して行き、出雲は定刻よりも遅れ気味で通過。出雲通過時は見事に晴れ渡って・・・などということもなく、吹雪いた時に来たので、見事撃沈。ヘッドマークに出雲のマークはなく、ただの白い円いものが確認できるだけ、おまけにカメラに雪が付着して最悪の画になりました。先週の新疋田、南今庄でも雪にやられましたが、今回の餘部はよりひどい結果となりました。懲りずに来週は晴れあるいは最悪曇りであることを願って、泊へ出雲のリベンジに行く予定。