EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR留萌本線

2009年06月08日 | 北海道

050717rumoi545093  JR留萌本線には05年7月17日に乗車した。それまで北海道は学生時代に1度、さらにもう1度行ったことがあったが、周遊券や周遊きっぷを使うため、優等中心に乗り回したこともあり、盲腸線で、ローカル列車しか走らない留萌線は必然的に後回しとなり、乗車することがなかった。乗り潰しを本格的に考え始め、なんとか安上がりに乗れないものかと思案して、JR北海道とJR東日本の普通列車が乗り放題となるきっぷを購入して東北・北海道遠征を企てた。急行はまなすの自由席に乗れるのが魅力的な切符で、往復それを利用して十分元が取れるように行程を組んだ。西の人間にとっては東エリアまでの移動費が馬鹿にならないので大したコストダウンにはならないが、東エリアの人にとっては北海道方面乗り潰しにはもってこいの切符と言える。

 留萌線には石勝線、根室線、富良野線と乗り継いで旭川に出て、旭川からの数少ない直通列車に乗って終点の増毛まで乗り潰した。キハ54には道北や道東で何度か乗車しているが、国鉄末期生まれの車両としては良くできた車両のように思う。ただ、留萌線沿線は言葉は悪いが寂れたイメージがあり、今後も未来永劫的に路線を維持できるかどうかは疑問が残る。北海道の首都とも言うべき札幌へ直結していない点も痛いところで、地域輸送だけではとても成り立たない印象を受ける。SLの運転なども行われていたが、比較的札幌や旭川から近い立地を生かして、この手の客寄せを行い、それを継続していくことが重要なのではないかと思う。


JR千歳線

2009年06月05日 | 北海道

050717chitose721f52022  JR千歳線には数回乗車している。北海道に行く度乗っているので、4度は乗車していることになるだろう。初めて渡道したときは急行はまなすで北の大地に足を踏み入れた。そのときに見た早朝霧がかった千歳線の風景が今でも印象に残っている。それまで九州や四国を旅してきて色々な風土に接してきたが、それらとは違った、また大阪とは全く違う風景や風土が展開される北の大地は同じ国でありながらまさに異国の地を味わえる地であったと大げさながらに思ったものだ。列車の方は、北海道で1,2を争う華やかな路線だけに、撮影していても飽きない路線と言える。04年12月には新千歳空港への枝線に乗車して、千歳線完乗を果たした。札幌~新千歳空港間は785系特急が快速エアポートとして走る区間で、18きっぷでも乗れる乗り得列車となっている。おまけに510円(310円)でリッチな気分が味わえるUシートも連結されており、名実ともに北海道を代表する快速となっている。05年には珍しく2度渡道しているが、この時は急行はまなすを使いまくったので、千歳線は夜か朝かという利用になっているので印象が薄い。それでも乗り潰しの合間に新札幌で列車撮影などを行っているので、自分なりには北海道で一番馴染み深い路線という印象を持っている。


北海道写真整理

2008年11月03日 | 北海道

050812kaikyo485hakutyo2  今日も昨日に続いてお家で写真整理。体調不良もありますが、早めに0系を撮っておきたかったのに…来週から0系中心に鉄活動していきたいと思います。今日は1日京阪の写真整理をしつつ、古い写真の整理も…05年夏に遠征した北海道での写真を整理してみました。それ以来北海道には行っていないので、まだ3年程度だからあまり変わっていないだろうと思いながら写真を見ているとご当地ではなつかしの日本海になってしまった24系日本海とこちらも貴重になっている485系白鳥の並びの写真がありました。日本海は大阪ではまだ健在ですが、北海道から撤退して2年ほど経ちます。この当時はまだ元気に函館まで乗り入れていたのかと思うと…。写真を整理していると北海道に行きたくなりますね。もう少しうまく撮れたやろとかもっといい画を撮れなかったのかなどと思っていると、ついつい行かねば!!という気になります。私鉄乗り潰しがひと段落したら行ってみたいと思いつつ、いつになるのやらと思ってしまいます。050814nemuronemuro4


JR日高本線

2008年10月27日 | 北海道

041219hidaka403596  JR日高本線には04年12月19日に乗車している。北海道遠征はそれまで2回行っていたが、枝線である日高本線は乗り潰しするには非効率な路線のため、それまでの2回は敬遠していた。今回は周遊きっぷなどのフリー切符を利用せずに18を利用しての遠征だったため、普通列車の旅で元が取れる路線である日高本線と室蘭本線の乗り潰しを主目的として遠征した。前日室蘭から暗闇の中、札幌まで戻り、札幌駅近くのビジネスホテルで1泊した。ホテル室内の暖かさに驚きながら1夜を過ごし、早朝6時前にホテルを出て札幌駅へ。夜明けが早い北海道でもさすがにこの時期はまだ夜が明けきっていない。この頃はまだ存在していた夜行列車群を撮影して、711系普通に乗って苫小牧を目指す。苫小牧からは専用塗装をまとったキハ40で日高本線へ。同線はサラブレット銀座とも言える路線で、寒い中放牧に出される馬たちの姿を見ながらの道中となった。太平洋側だけに雪はそれほど多くないが、風がきつくて寒い。しかし、車内は異様に暖かく、車中と車外の温度差で風邪をひきそうになる。終点の様似からは襟裳岬へのバスも出ているが、その日に帰る行程を組んでいたので、そのまま日高本線列車で折り返した。


JR室蘭本線沼ノ端~岩見沢間

2008年10月03日 | 北海道

041218muroran407863  JR室蘭本線沼ノ端~岩見沢間には04年12月18日に乗車した。北海道の乗り残し区間を割安で乗り潰すために、JALのバースデー割引と18きっぷを組み合わせて室蘭本線、日高本線を乗り潰すのが目的の渡道だった。それまで北海道には2度訪れていたが、いずれも夏の訪問で冬の北海道を訪れるのはこの時が初めてだった。北海道=究極的に寒いというイメージがあったので、とにかく防寒対策を余念なく行い、とにかく着込んで大阪を発ったのを思い出す。着いて快速エアポートに乗り込みあまりの暖かさに驚いた。他の車両でも同様で、駅の待合室、ホテルなども異様に暖かいのには驚かされたものだ。北海道の友人からそのようなことは聞いていたが、寒暖の差が激しいので、返って風邪をひきやすいのではないかと心配したものだ。とにかく脱いでは着、脱いでは着しながら乗継ぎの旅を楽しんだ。

 北海道に着いて、1発北斗星を撮って、とりあえず札幌まで出て、札幌で昼食にサッポロラーメンを食べてまずは北海道に来たことを実感する。続いて函館本線の普通で岩見沢まで行く。731系だったが、全面かぶりつき派には物足りない前面展望だった。岩見沢からは目的の一つである室蘭本線の枝線とも言うべき岩見沢~沼ノ端間の乗り潰しにとりかかる。追分から石勝線に入って夕張支線の乗り潰しも検討したが、時間が合わず、室蘭本線の室蘭までを乗り潰すことにした。北海道のローカル線では腐るほど走っているキハ40に乗り中は常夏、外は極寒の世界の旅を楽しんだ。北海道は陽が昇るのは異常に早いがその代り陽が暮れるのも異常に早い。遠く離れた大阪に住んでいるとそれを実感してしまわずにはいられない。日本は広いと実感する瞬間でもある。終点の苫小牧に着いた時には既に夕暮れ時という風情で、このあとの東室蘭から室蘭までの道中は既に陽が暮れかけの中の道中となった。


札幌市電

2007年12月27日 | 北海道

030814sapporosiden8512  札幌市電には03年8月の北海道遠征にて乗車している。昨日書いたJR札沼線に乗った後、札幌で宿にチェックインする前の一仕事として、札幌市電の乗り潰しを行った。地下鉄ですすきのまで出向き、すすきのから札幌市電の乗り潰しに取り掛った。札幌市電と言えば、竹箒を付けたささら電車が有名だが、さすがに夏には稼働している由もなく、普通に乗り回しただけとなった。途中電車事業所前電停で降りて車庫の隅っこにササラ電車らしき車両を確認したが、動いているササラ電車を見ることはできなかった。北海道には5回ほど訪れているが、そのうち4回は夏の訪問で、冬には一度しか訪れたことがない。この冬の一度もJRの未乗区間の乗り潰しに奔走したため、札幌市電を訪問することができなかった。次に冬の北海道に訪れる機会があれば、是非とも札幌市電や函館市電のササラ電車を見物したいものだ。

 札幌市電は半環状運転をしており、すすきの周辺や終点の西4丁目周辺に近付くに連れて利用者が多くなり、超満員の電車も走っており、終点では降車に時間がかかり、折り返し電車が大幅に遅れるという光景も見られた。利用者自体は多いものの、郊外部分では中心部へ遠回りとなるところもあり、モータリゼーションの波に逆らえない部分もある。札幌駅方面への延伸の計画などもあるようだが、なかなか話が前に進まないお決まりのパターンとなっており、札幌市電の復権もまだまだ遠い話となりそうだ。


JR札沼線

2007年12月26日 | 北海道

030815sassyoline201d103  JR札沼線は03年8月の北海道遠征で乗り潰している。8月13日に北海道入りして、夜にちょうど渡道していた友人と札幌ドーム見物などをして、札幌で宿泊する友人と別れて夜行特急利尻に乗って稚内へ向かった。翌朝とんぼ帰りで、スーパー宗谷2号に乗って滝川まで行き、滝川から新十津川まで歩いて、新十津川から札沼線の乗り潰しに取り掛かった。滝川から新十津川までは想像以上に遠く、途中道に迷いながら何とか1時間弱で歩き抜いて、這う這うの体で新十津川駅に着いた。新十津川まで来る列車は一日3往復しかないので、乗り遅れたら、また滝川まで引き返す羽目になるので、半ば小走りになるほど急いで歩いたのを思い出す。新十津川は秘境の駅というには少々周りに人家があり過ぎ、幹線道路なども走っているため、秘境中の秘境という駅ではなかったが、1日3本しか列車(おまけに列になっていない列車だ)が来ないということもあり、趣のある駅ではあった。新十津川ではあまり時間がなく、列車に乗り込むとしばらくして発車するという余裕のない乗継ぎだった。12時57分の列車に乗ったが、これを逃すと19時22分までないのだから贅沢は言ってられなかった。乗り継ぎ駅の北海道医療大学まで単行気動車に揺られるのんびりした道中を楽しみ、広大な石狩平野を延々と走り続けた。北海道医療大学からはそれまでの道中とは異なり、学生などの姿が目立ち、札幌都市圏に入ったことを実感した。途中のあいの里教育大~八軒までは複線で、八軒近辺は高架化され、すっかり都市圏路線の趣になっている。学園都市線の愛称が付けられているとおり、沿線には大学や高校が多く、学生の姿が目立つ路線だった。沿線人口は多く、札幌都市圏でも有数の利用者数を誇る札沼線だが、如何せんスピードに関しては物凄く遅かった。ダイヤ編成上、札幌から八軒までが単線となっているのがネックになっているのかもしれないが、とにかく気動車列車とは言え、もっと速く走れるのではないかと思える走りだった。将来的にも非電化のまま推移していくだろうが、ハイブリッド気動車の導入や、札幌までの複線化などを行い、是非ともスピードアップしてモータリゼーションの波に打ち勝ってほしいものだ。


JR富良野線

2007年06月10日 | 北海道

050717furano1509  富良野線には第1次北海道遠征(97年9月)と第4時北海道遠征(05年7月)で2度乗っている。第1次遠征の時は旭川に宿を取って、富良野線に乗って富良野へ行き、富良野観光をして、旭川へ戻るときは根室本線を使っている。富良野ではレンタサイクルで観光をしたが、昼食に初めてジンギスカンを食した。その後サッポロビール園でもジンギスカンを食べているが、正直言って、普通に牛なり豚なりの焼肉を食べている方が美味しいと私は思った。富良野線はその頃からキハ150系が使われていたが、8年後の2005年7月に訪れた時も相変わらずキハ150系が使われていた。何の変化もないローカル線と言える富良野線だが、観光客が多いのか2度とも利用者は多かった。観光列車は札幌からの利用をあてにしているため滝川から根室本線に入る列車が多い。このため富良野線はノロッコ号を除いてローカル気動車が走るだけの魅力に乏しい路線ではある。それでも沿線には富良野以外に美瑛などの観光地を持っているため、案外利用者が多いのかもしれない。今後もJR北海道では珍しい観光地を抱えた有望なローカル路線として活躍していくに違いない。


JR函館本線札幌~旭川間

2007年06月09日 | 北海道

030814hakodateline261soya2  JR函館本線の札幌~旭川間に初めて乗ったのは、第1次北海道遠征時(97年9月)に根室本線で富良野から滝川へ出て、滝川~旭川間でスーパーホワイトアローに乗った時だった。785系スーパーホワイトアローは在来線最速特急電車(最速はその当時は気動車のスーパー北斗だった)で、スピード狂の私は同列車に乗るのを楽しみにしていた。130km/hで疾駆する列車は滝川から旭川まであっという間に着いた。とはいえ、深川~旭川間の走りは案外で、函館本線にも線路条件が厳しいところがあるのかと妙に感心してしまった。第1次北海道遠征ではその後、上り急行利尻で函館本線旭川~札幌間を乗っている。また、特急に乗り足りないと言うことで、最終日に友人が札幌観光をしている間に、札幌~岩見沢間で781系ライラックと785系スーパーホワイトアローで往復している。

 第2次北海道遠征(03年8月)でも同区間には乗車しているが、特急利尻では夜中に素通り、その折り返しのスーパー宗谷では旭川~滝川間のみ乗車と札旭間直通利用はあまりしていない。スーパー宗谷を滝川で降りて、新十津川まで小1時間ほどかけて歩いて、札沼線の乗り潰しをしたのはこのときだ。

050717hakodate781lilac  第3次北海道遠征(04年12月)では札幌~岩見沢間で731系区間快速を利用している。この時は室蘭本線沼ノ端~岩見沢間の乗り潰しなどを目的に冬の北海道を初めて訪れている。防寒対策をこれでもかと言うほど施していったが、外に出なければ、車内や室内は暖房が異常に効いており、暑いとさえ思うような列車もあったのには驚いた。

 第4次遠征(05年7月)では根室本線から富良野線に乗り継いで旭川に出て、旭川から増毛までの直通の留萌線列車で留萌線を制覇して、帰りに深川から札幌まで特急に乗っている。普通列車乗り放題の北海道&東日本パスを利用していたので、この区間だけは別途特急料金と運賃を支払って利用した。わざわざ特急を利用したのは普通の本数が少ない・・・と言うよりないということと札幌からはまなすに乗る前に一風呂浴びたかったから速い特急を利用した。

050815hakodate785ne5  第5次北海道遠征(05年8月)では久しぶりに旭川~札幌間通しでスーパーホワイトアローを利用している。全区間ほぼフルノッチ運転という感じの走りを堪能した。07年10月には789系1000番台が投入され、スーパーホワイトアロー、ライラックの愛称が消え、スーパーカムイに統一される予定だ。30分毎に新しい特急が高速で結ぶことになる札旭間はさらに便利になるに違いない。その一方で同区間の輸送を支えてきた781系が姿を消すのは残念なところだ。


JR石北本線

2007年06月07日 | 北海道

050815sekihoku183okhotsk2  JR石北本線には釧網本線で網走に入り、網走で一泊して翌日網走刑務所などを観光して、午後のオホーツクで全線制覇している。この時はただ乗っただけで何の記録も残っていないが、車内で海の幸がふんだんに入った?オホーツク何とか弁当?を食したのを覚えている。石北本線は山越えの印象がある路線で、いつまで経っても高速化されない前近代的な路線であるが、沿線を見渡すと高速道路の建設が行われており、同線にとっては死活問題となり兼ねない事象が周辺では進行しつつあった。その光景は後に乗った時も同様だったが、高速道路の方も部分的には開通しているものの、こちらの方も道路公団の改革などで北見や網走まで全通という状態にはなっていなかった。それでも何も手付かずの石北本線とは違い牛歩の歩みでも高速化を行っている道路の方が最後には桁違いの利便性を発揮するに違いない。もっとも北海道には冬場の厳しい自然条件という鉄道にとってはありがたい環境が存在するので、石北本線を廃止に追い込むというところまではいかないと思われる。それでも現在より厳しい状況に落ち込むことは十分考えられる。何とか石北本線も根室本線や宗谷本線のような高速化を行ってほしいものだ。

050815sekihoku54504  2回目の石北本線は網走からオホーツクに乗り、北見で特快きたみに乗り換える道中となった。前日に北海道ちほく高原鉄道の乗り納めを行い、北見から石北本線ローカル列車で網走まで行き、網走で一泊して翌朝オホーツクに乗るという行程だった。朝早い時間帯のためかオホーツクはかなり空いていた印象だ。北見からはそれなりの乗車があったようだが、北見で乗らなければ、遠軽か上川に期待するしかないような路線なので乗車率はあまり高くなかったように思う。特快きたみまでの待ち時間を利用して北見周辺で放置されているラッセル車などを撮影して時間を潰して特快きたみで旭川までののんびりした道中を楽しんだ。特快だけにローカル列車よりも足は速く、特急レベルの走りをするが、如何せん線路が悪いので所要時分は長かった。今後の見通しもあまり甘くない石北本線だが、高速化していないという利点もあり、今後まだ高速化できる余地があると思えば、まだお釣りがある状態とも思える。ただ、その高速化の予算をどこがどう補うかが大きな問題と言える。


JR宗谷本線

2007年06月05日 | 北海道

030814soya183risiri  JR宗谷本線には第1次北海道遠征(97年)で全線制覇している。この時は旭川で泊まって、午前中の急行礼文で宗谷本線を全線制覇している。根室本線釧路以東や釧網本線で乗ったキハ54系だったが、急行仕様車ということで少々豪華な造りかと思っていたが、根室本線で乗ったキハ54系も同じように急行仕様の500番台だったので、あまり新鮮なイメージはなく、快速で乗ったのに今度は急行かよという程度だった。もっともその時は今はなきワイド周遊券を利用していたので急行であろうが、快速であろうが、懐の方は何も痛まないのでどちらでもよかった。ただ、学生時代の若き頃だったので、このような理不尽さには常に文句をつけていたように思う。だから国鉄はダメなんだというのが口癖でそれを受け継ぐJRも先が思いやられると某鉄道アナリストのように吠えていたことが多かったように思う。

 急行礼文で北海道の原野を走り、利尻富士などを拝み、日本最北端の地へと着いた時は感慨無量とまではいかないものの、ここまで来たかという感動はあった。稚内ではレンタカーを借りて、宗谷岬やノシャップ岬などを観光して、その日の夜の急行利尻の自由席で札幌へ戻った。急行利尻は結構な乗車率で、狭い稚内駅の待合室は待ち人でいっぱいになっていた。昔はこまめに増結などをしていたので座れるのかなというような心配はなかったが、レンタカーを返してからの待ち時間が長く暇つぶしが大変だったのを思い出す。ちょうどダイアナ妃が事故で亡くなった日だったか、その後だったかで待合室のテレビがそればかりを映していたのを覚えている。但し、そのテレビも20時か21時ごろに見事に消されてしまったのも覚えている。

 2度目の北紀行は第2次北海道遠征(03年8月)で、北海道入りした日に札幌でたまたま北海道一人旅を同じ時期に楽しんでいた友人と出会い、札幌ドーム(外から見物)などを観光してラーメンを食べて、友人と別れて特急利尻に乗り込んで北上した。特急利尻は旭川まではかなりの混雑で、これは眠れないと思いながら眠りに落ちた。学生時代はナーバスだったのか、物音などがするとなかなか眠れなかったが、年をとって図太くなったのか、最近は夜行列車でもよく眠れるようになっている。座席夜行に関しては違った意味で年をとって眠れない場合もある…年には勝てぬ。特急利尻で稚内に着いて、稚内駅でミニ撮影会の状態の中、私も混じってキハ183系利尻を色々な角度から撮影し、駅前の食堂で朝からカニ入りラーメン(かなりお高い値がついていたと思う)を景気よく食して、駅近くを散策して時間を潰し、折り返しお初のスーパー宗谷に滝川まで乗った。名寄までは乗客も少なく快適な道中だったが、名寄から大挙押し寄せてきて、居心地が悪くなったので、席を立ってかぶりつきを楽しんで滝川まで立って行った。名寄から先は最高速度130km/hの高速運転を堪能できたが、高速で走る分乗り心地は少々悪かった。立っていたのだから当たり前と言えば当たり前だが、高速列車は座ってなんぼであることを改めて実感した。


JR釧網本線

2007年06月02日 | 北海道

050814senmo54526  JR釧網本線には第1次北海道遠征(97年9月)で乗っている。根室で一泊して根室本線で釧路へ戻り、キハ54系釧網本線ローカル列車で網走まで乗り通している。本数が少ない同線では途中下車など考えも及ばずいつまで続くのかと思うぐらい長い道中だった。道中で列車が警笛を大きく鳴らし駅でもないところに止まったのを思い出す。鹿か熊か何かわからなかったが大きな動物が線路を横切ったようだった。根室本線の釧路以東でも似たようなことがあったが、北海道らしい光景だったと言える。この時は釧路湿原を実感することは出来なかった。車内が結構混雑していて景色をゆっくり楽しめなかったが、車内からは湿原はわかりにくいのかもしれない。釧網本線は運転本数が少ないせいか、釧路、網走近郊では結構混雑していた。釧網本線にはそれ以来乗る機会がなかったが、05年の第5次北海道遠征の時に釧路での乗り継ぎ時間を有効に使って、釧路~釧路湿原間のみ乗っている。この時は釧路湿原で降りて、近くの踏み切りでノロッコ号の撮影をして引き返している。このとき乗った列車も結構混雑しており、観光シーズンなどは増発は無理にしても増結があってもよいのでは?と思った。場所が場所だけに今後もあまり訪れることのない路線だが、07年春からDMVの試験運転を行っており、乗るのは難しいかもしれないが、どんな乗り物かを見物ぐらいはしたいという気持ちはある・・・しかし何分にも釧網本線は遠すぎる・・・。


JR根室本線

2007年05月31日 | 北海道

050717nemuro283superozora2  JR根室本線には第1次北海道遠征(97年9月)の時にスーパーおおぞら1号~快速ノサップの乗り継ぎで全線制覇している。この時キハ283系初乗りで振り子気動車を初体験したことになるが、前日の白鳥~はまなすから乗りっ放しだったこともあり、根室本線に入る頃には眠りの中という状態だった。キハ283系は座席モケットにたんちょう鶴があしらわれているのが印象的だった。あっという間に釧路…というほどではなかったが、帯広までは速かったし、帯広以東も少しスピードが落ちるものの快適な走りを披露してくれた。釧路でミニ観光をした後、再び根室本線に戻りキハ54系快速ノサップ(はなさきだったかも?)で終点根室へ。未開の地根釧台地を走る景色は雄大で北海道へ来た!!というのをここで実感した感じがした。荒野の大地というイメージが多々あったが、荒野といってもアメリカの西部劇に出てくるような砂漠の荒野ではなく起伏が激しい未開の地という印象が深い。そこに生える植物は本州などで見られる物とは違い、湿気った感じのする植物が多いように思った。終点根室に着いて、駅近くの民宿に荷物を置いて、バスでノサップ岬まで行ったが、ものすごく遠かったのともの凄く時間がかかったのと、さらにもの凄くバスの運賃が高かったのを思い出す。北海道にはその後何度か渡道しているが、北方領土を遠くに望んだのはこの時だけだ。根室で一泊して民宿で一人一匹つく花咲ガニを堪能して、翌朝は列車がないので徒歩で東根室へ行き、最東端の駅で記念撮影して、列車に乗り込んだ。

 第1次遠征ではこの後、道東から網走を経由して、旭川へ行き、旭川から富良野線で富良野に入り、富良野観光をして、根室本線経由で札幌に出て、旭川に戻っている。この時根室本線の滝川~富良野間を制覇したが、この区間はそれ以来乗っていない。

030815nemuro183marimo4  次に根室本線を訪れたのは第2次北海道遠征(2003年8月)で、この時は翌日の行程の都合で札幌行きの夜行に乗るために、夕方に札幌を発って、夜釧路に着いて、夜行特急まりもで折り返すという行程で根室本線を訪れている。夜間の道中だけに景色も見えずあまり面白くなかったが、盆休みの期間だったので沿線で花火大会が行われていて花火を楽しみながらの道中となった。スーパーおおぞらも最初乗った時は速達タイプに集中して投入されていたこともあり、停車駅も厳選されていた印象があったが、03年に乗った時には主要駅以外とも思える駅にも停車していたので以前乗った時のような速さはあまり感じなかった。むしろよく停まるという印象の方が強かったように思う。夜行特急まりもは今や道内唯一の夜行特急となっているが、この頃は利尻やオホーツクも健在で、札幌から旭川方面までの近郊輸送も担う2列車と違い、まりもは札幌と道東を結ぶのが目的で、前記2列車のようなアルバイトはしていないので見た目乗車率は低い。釧路から乗った同列車も余裕で4人分の席を確保して余裕の姿勢で眠れたし、05年8月の遠征の際に札幌から乗った時も思いのほか空いていた。ただ、旭川を過ぎると閑古鳥が鳴く利尻、オホーツクとは違い、一旦乗ると終点まで降りない人が多いという点で夜行特急まりもは季節格下げを免れているのかもしれない。

 第4次北海道遠征(05年7月)では、石勝線夕張支線とともに根室本線で乗り残していた富良野~新得間の乗り潰しを行った。ぽっぽやで有名な幾寅で途中下車といきたいところだったが、いったん下車してしまうと気が遠くなるほどの待ち時間を要するのと、この時の北海道遠征は1日限りだったので、時間の都合で乗っただけとなった。

050717nemuro40765  第5次北海道遠征(05年8月)でも根室本線には乗っており、夜行特急まりもで札幌から臨時延長運転を行うため根室まで乗り通し、その折り返し列車で速攻折り返している。まりも折り返しの列車は普通扱いの乗り得だったが、寝台車は立ち入り禁止の処置が取られていた。根室本線の釧路以東のホーム有効長は短く、長編成(6両だったか?)のまりもは各所ではみ出し停車をしていた。その後釧路で待ち時間を利用して、釧網本線にちょい乗りして釧路湿原まで行ってノロッコ号の撮影をしている。釧路に戻りスーパーおおぞらに乗り換えて、池田までのミニトリップをして、池田から北海道ちほく高原鉄道最後の旅を楽しんだ。

050814nemuro183marimo


JR石勝線

2007年05月29日 | 北海道

050717sekisyo183tokachi  JR石勝本線には第1次北海道遠征の際に、2日目に急行はまなすで北海道に上陸して、速効朝一のスーパーおおぞらで釧路まで移動した時に初乗りを果たしている。この頃は夜行列車での寝つきが非常に悪く、翌朝の状態は最悪ということが多かったが、はまなすののびのびカーペットを利用して横になれたことでこの時はそれほど気分は悪くなかった。石勝線の印象は山がちの中をかっ飛ばすという印象だったが、130km/hでガンガン飛ばすという感じではなく、各所に結構制限があったり、ポイント制限や行き違い待ちが多い路線というイメージだった。第1次遠征では石勝線に乗ったのはこの時1度のみで、次に乗ったのは第2次遠征の時だ。この時は夕方のスーパーおおぞらで札幌を発ち、夜に釧路に着いて、その夜のまりもで折り返すというまりもを宿代わりに利用する手を使った。

050717sekisyo401701  第4次遠征では夕張支線に乗るために、札幌からスーパーとかちに乗り、新夕張でキハ40単行に乗り換えて夕張に初乗り入れしている。夕張と言えば破綻という悪い印象を受けるが、訪れた時はまだ破綻の言葉は表面上では聞かれなかった。JR北海道が企画したウォーキングで案外賑わっていた感じさえあったぐらいだ。夕張ではすぐに折り返して新夕張から新得まで普通乗車券のみでスーパーおおぞらに乗って新得から根室本線の未乗区間新得~富良野間を乗り潰しに行った。


JR室蘭本線長万部~苫小牧間

2007年05月28日 | 北海道

041219muroran283superhokuto  JR室蘭本線には1997年夏の第1次北海道遠征で初めて利用し、その後も渡道の際に利用することが多い路線だ。初めて乗った時は急行はまなすで北海道に上陸して、長万部から室蘭本線に入り、千歳線を経由して札幌に入るルートだったが、室蘭本線内では目を覚まさず目覚めたのは千歳線に入ってからだった。第1次北海道遠征は学生時代の夏休みに言ったので、1週間ほど北海道に滞在して、その終盤に函館巡りをする時に札幌からスーパー北斗2号に乗って室蘭本線を制覇している。制覇といっても東室蘭~室蘭間と沼ノ端~岩見沢間は乗っていない。この2区間については第2次遠征でも乗っていない。

041218murorantwilightexpress  第3次遠征でこの2区間と日高本線に乗るために、JALのバースデー割引と18きっぷを利用して初めて冬の北海道を訪れている。この時は新千歳から快速エアポートで札幌まで行き、札幌駅構内のラーメン屋で暖をとって、函館本線普通で岩見沢まで行って、岩見沢~沼ノ端間の室蘭本線を制して、続いて東室蘭まで行って東室蘭~室蘭間を制している。東室蘭には15時頃着いて、15時46分のトワイライトを同駅で撮る段取りをしていたが、冬の北海道は日暮れが早く、16時前では結構薄暗く見事に失敗してしまった。撮って撮れない状況ではなかったが、望遠で撮ったのでブレてしまいボケてしまった。夏ばかり北海道に出向いていたので、冬の北海道の日没時間の早さには驚いてしまった。そのあと室蘭までの初乗りを果たしたが、室蘭駅に着いた時には既に日没の時間となっていた。